目白大学 鈴木章生研究室 

地域人になろう!
目白大学社会部地域社会学科の教員が、地域や社会の出来事や疑問に対するメッセージをお届けします。

親の背中をみて

2018年06月08日 | 私事
日曜出勤する前に義父の入っている施設にルーペを届けに行った。
義父が施設に入ってもう2ヶ月。施設からは、帰りたいとか、人に罵声を浴びせるとか、手を挙げたり、モノを投げたりするといった連絡はない。

昨日もサロン室みたいなところで皆とくつろいでいた。他の年寄りに比べると義父はしっかりしている。多くの人が、一点を見つめてるような顔をしてるのに、義父は目が悪いせいかしかめっ面で、ひたすら新聞、雑誌を読んでいる。野球と車の雑誌を手元において、新聞を読むのが日課のようだ。家にいたのと変わらない。

以前、義父の兄もこの施設に居たことがあるが、皆に声をかける社交的な兄に比べて、義父は静かで物足りないくらい大人しい。
ルーペを渡すと「何だっけ」という。「これがあると字が大きくなって読みやすいでしょ」というと「あぁ、どうもありがとうございます」と他人行儀な挨拶が帰ってくる。おそらく私のことは理解していない。
一緒に行ったカミさんに向かっておばあさんが「娘さん?、こっちは旦那さん?」と言ってくれた。入るときも「奥にいるよ」と大きな声をかけてくれるおじいさんがいる。回りの方が私たちを覚えている。

将来、自分もこういうところに入るのだろうかと、目の前の光景に自分を当てはめようとして呆然となる。そうなりたくないと言いつつも、入るときは良いとも嫌だとも言えなくなっているに違いない。いや、その頃には施設に入るだけの年金はもらえず、貯金だ底をつけば孤独死を待つのみ。雇用のあり方は老後のあり方をも決める。後何年もすると、高齢者があふれ、入りたくても入れず、子どもの世話になって、子どもも仕事を辞めざるを得なくなって共倒れする時代がくる。子どもがそっぽ向いたらどこかひっそり死を選ぶのか。

施設は穏やかな空気と静かに過ぎる時間だけが流れている。毎月のように行事があって、メリハリのある生活を過ごすようだ。職員もゆっくりしたなかで、手と足はまめまめしく動き、声を掛けあっている。人生の終末をどう過ごすか、親の背中をみて自分のことを考える世代になってしまった。

事後処理のやり方

2016年10月14日 | 私事
都庁のゴタゴタが巷間を騒がせている。どこで何が変わってしまったのか。普通は何らかの指示や圧力、改ざんや不正が見え隠れするもの。まさに伏魔殿とはこの事をいうのだろう。問題はその時期と首謀者ということになるが、それをうやむやにするのが、実は事後の動きだ。

日本では核心に来ると隠すことを是とする習慣がある。組織の根幹を揺るがしかねない場合に発展する恐れがあるからだ。静かに処分や更迭、自主退職で幕引きを考える。何となく美徳に思えるが、過去に何度もそんな事で問題が発覚するのは、組織の甘えとそこにいる当事者たちの最後の砦意識なのかもしれない。そこに都民や国民の姿はない。ひたすら組織の守りと、首長の権力保持に動いているだけに思えてならない。責任の取り方が変わってしまったとも言える。

役所が巨大化し、都庁の職員(病院もバスも全部入れて)16万人余を数える組織に自主的な刷新浄化作用は弱い。警視庁のパトカーで違反切符切られそうになると、「同じ都の仲間じゃないか」と言って逃れようとする人がいた。

モラルだ倫理だ啓発だと冊子が配られ、順番に研修に行かされる。でも、議会の野党からの質問に担当局長は、「冊子16万部を各職員に配布し、順次職員研修を実施」したとの答弁でお茶を濁すのが当たり前。印刷経費は当然税金だ。

研修は、一時間程度ではない。講義とワークショップ(ロープレとか意見交換)、ビデオを観たり、場合によってはテストと解説までついていたりする。三時間程度のプログラムになっていて、そのため四時過ぎに終わるので実質半日職免となる。戻って仕事をする人もいるが、終わったから飲みに行こうという職員も当然いる。おわってからの飲み会の方が本当の研修で、過去の経験や同僚の失敗談が勉強になったりする。

議会もまた弱くて、事後の効果やモラルチェックを追求することはまずない。答弁も「引き続き再発防止と職員の啓発を図って参ります」。
こうやって組織の闇のなかに埋もれていく。

担当者は更迭処分になったが、けじめという変な落とし前のため、大将の首を取れば終わりというのが日本だ。でも戦国時代や江戸時代より甘いかな。戦国時代は、首謀者家族全員、打ち首、追放だ。殿が切腹し、お家断絶したら、家臣は浪人。これくらいの緊張感はほしい。

眠れない

2016年09月14日 | 私事
教員は休みが長い。それはそれで事実なんだが昼と夜が転倒して、生活のリズムが壊れることが多いのは、おそらく私だけではあるまい。

この時期、後期の授業開始に向けて必死にリハビリをしている。しかし今年の夏も宿題をやり残して今日まで来てしまった。さてさてどうしたもんじゃろなぁ。

もうひと踏ん張りしないとまずい状況にある。昼は家事労働、夜は仕事と、いきたいところだが、家事労働は思ったより大変だ。家事労働は段取りと切り換え。掃除をしながら、洗濯。洗濯を干しながら食事の準備。段取りと判断力が大事。方や、原稿執筆は資料準備と集中だ。何かをしながら、別なことをすることができない。このアンバランスな関係をいかにコントロールするか。正直言ってうまくできていない。
とある先生は毎週、毎時間、こもって古文書を読んでいた。この手の仕事はやれる。論文執筆はそうはいかない。
年間5本も書く大先生は、さすがに家事労働はしないだろう。しかし、それを言っては主夫はできない。

秘書、家政婦を求む。

眠れない

2016年09月14日 | 私事
教員は休みが長い。それはそれで事実なんだが昼と夜が転倒して、生活のリズムが壊れることが多いのは、おそらく私だけではあるまい。

この時期、後期の授業開始に向けて必死にリハビリをしている。しかし今年の夏も宿題をやり残して今日まで来てしまった。さてさてどうしたもんじゃろなぁ。

もうひと踏ん張りしないとまずい状況にある。昼は家事労働、夜は仕事と、いきたいところだが、家事労働は思ったより大変だ。家事労働は段取りと切り換え。掃除をしながら、洗濯。洗濯を干しながら食事の準備。段取りと判断力が大事。方や、原稿執筆は資料準備と集中だ。何かをしながら、別なことをすることができない。このアンバランスな関係をいかにコントロールするか。正直言ってうまくできていない。
とある先生は毎週、毎時間、こもって古文書を読んでいた。この手の仕事はやれる。論文執筆はそうはいかない。
年間5本も書く大先生は、さすがに家事労働はしないだろう。しかし、それを言っては主夫はできない。

秘書、家政婦を求む。

ご連絡 

2013年01月15日 | 私事
みなさんへご連絡

ただいまブログとフェイスブックの両方を使っています。
ブログは少し長めの主張型の文章で、フェイスブックは普段のさりげない情報話題でやっていました。
しかし、フェイスブックの方が気楽で、すぐに入力できる環境にあるので、主張型の文章もファイスブックに記入登録することも多く。
なかなかブログの方には手が回りません。

二つの差別化と両立はむずかしい状況にあるのですが、このまま時間が経ってもいいとう寛大な方もいらっしゃるかと思えば、
はやく書きなさい、読みたいという方もいる。
ここでは何とも言えませんが、とりあえずぼちぼちやっていきます。
あしからずご了解ください。

それでは連絡まで

月の光

2010年01月01日 | 私事
あけまして おめでとうございます。

毎年恒例の不忍の弁天堂への初詣は、深夜12時をめざして出かけた。
夜の246号線を快走して、池の端に路駐して参拝である。

深夜のせいだろうか、初詣先としてはマイナーな場所のせいだろうか。
参道はまだまだまばらだ。
境内のたき火で暖を取る人々の輪が昔懐かしい田舎の正月の雰囲気を呼び覚ましてくれる。
たき火の炎の先をふと見上げると満月かと思われる月がほぼ真上から照らしていた。
昼間の強風のせいか空気がきれいなのだろう、夜空の星もいつもより輝きが強い。
それにもまして月の光が強く地面を照らしている。

青白い月の光である。

子どもの頃、愛知県の田原に住んでいたころ何度も夜の道を歩いた。
その時、自分の影をしっかりとつくっていたあの青白い光である。
「月がとっても青いから…」という唄があったが、あの青い月だ。

昨年9月、学生と沖縄・八重山諸島に盆調査に出かけた。
旧盆だから当然満月である。
竹富島の海岸で学生たちと青い月の光を見ようと出かけた。
学生たちは月の光が青いということをここで初めて知ったようだ。

今年は、この神秘的な光を感じて今年1年がスタートした。

底から湧きあがるような生命力。
自然のなかに生かされているんだという勇気みたいなもの。
そんなものをもらったような気がする。

スーザン・ボイルさんの歌の力は、コウハクの舞台では届かなかったと感じた。
でも、彼女のアルバムを聴いてみるとやはり澄んだ歌声の中に力強さを感じる。
まるで青い月の光のような繊細な光。それでいて一本筋を貫き通したような信念の強さがにじみ出ている。





ふりかえり

2009年12月31日 | 私事
一年をふりかえる。

12月31日大晦日ともなると、1年間の出来事をふりかえる番組がいくつか放送される。ああ、あんなこともあったな。これって今年だっけ?なんてことも。
じゃあ、自分にとって今年一年がどうだったか、ふりかえってみたい。

正月、早々家族で松本に行く。娘が歴ジョになったことによる。
大河ドラマの「天地人」の影響で、寒風ふきすさぶ川中島合戦場跡を訪れる。

3月、弘前の図書館で2日間缶詰。必死になってノートに史料を写し取る。しかし、近年にない至福のひとときを過ごす。

4月、大学1年の担任として熱海のフレッシュマンセミナーに参加。好奇心旺盛な、なかなか個性的な学生が揃った。

5月、交通史研究会大会を法政大学で開催。新しい会長での執行部体制になる。

6月、北海道網走出張。世界遺産の知床ではボランティアの懇切丁寧なガイドに魅力倍増。

7月、教員免許講習の講師として遠足・巡検の講座を担当。なかなかユニークな講座だが、要するに博学連携に向けての講座と言ってもよい。ただ、7月、8月と暑い中での開催だったのが少し辛かったが、現役の先生方との交流は勉強になったことは確か。

8月、怒涛の夏休みが始まる。1日から4日まで弘前・黒石のねぷた祭り調査。学生同道。13日から1週間、イタリアへ家族旅行。古代遺跡がいたるところにあり、教会の歴史や芸術をまじかに見る。これは溜息ばかりだった。帰国してすぐ博物館実習の視察で鹿児島。岡崎の伊東先生の会に出席。

9月、3年生ゼミの合宿調査で沖縄へ。旧盆行事の調査で、沖縄名護、石垣島白保、竹富島をめぐり、エイサー、アンガマ、獅子舞など民俗文化に触れる。
交通史の碓氷シンポジウム開催。

10月、シティガイド検定の対策講座。学園祭では学科主催の第2回地域フォーラムを実施。

11月、日本風俗史学会大会を立正大学で開催。事務局が目白に移り、第50回目の大会ということで少々疲れた。

12月、歯石除去のため歯医者に通う。夜もやっている歯医者なので助かる。

そのほか、中央区のまち歩きボランティアの講師も2年目。今年は成果発表編として、各グループで銀座や日本橋や築地界隈を歩いてガイドするようになる。

自治会役員も2年目。防犯部長も後、3カ月で終わる。大きな事件が起きないことを祈る。

今年、1年をふりかえってみて、仕事の多さは相変わらずという感じである。
それなりに自分の持てる力を精いっぱいぶつけているつもりである。
おかげさまで、なんとかやってこれたのは、これも皆さんの支えがあってのことと感謝しています。

反省点は、研究成果がきちんと出ていないということだろうか。
来年は寅年。年男である。
来年こそは、きちんと調査研究をまとめて成果を世に示していきたいと思う。

来年こそはもう少し更新回数を増やそうと思う。

みなさまのご健康とご多幸を祈念しつつ、
来年もよろしくお願い申し上げます。

地域デビュー

2008年04月13日 | 私事
地域の自治会役員をすることになった。
子どもが産まれると公園デビューというのがあるが、この場合は地域デビューである。
平日仕事もあり、子育ても終わらぬ私たち夫婦に、自治会役員が勤まるはずがないと拒みはしたが、順番に役も回る約束ごとなので、地域住民として暮らしている以上義務を果たさなければならないかなと腹を括った。

我が家が仰せつかったのは、防犯部長である。
江戸時代ならさしずめ火付盗賊改方の長官 長谷川平蔵である。
実は、私の住んでいる地域はある時期、空き巣に入られる被害が続出した。
そこで防犯と防災の両方を担っていた部長職を二分し、防犯対策と防災対応を別の人間が担当して専門特化したというわけである。
しかし、今の私には、太刀まわりもかっこよく不審者をやっつける鬼の平蔵には到底なれない。
銭形平次のように、すばやく市中を走り、相手めがけて銭を投げてやっつけるなんて飛び道具もなし。
腕も弱く、運動不足のこの体でできることは、体当たりぐらいか。

それでも地域住民の財産を守るのは、自分たち自身の問題。
毎日パトロールをしようということで、夕方4時過ぎと夜10時に地域を巡回するパトロール隊を結成し、続けている。
部長の仕事は、参加者の向こう1か月のスケジュールと参加者の把握である。
また当然のことながら、警察や区役所との連携、街路灯の改善とかの細々とした仕事が存在する。なかなか荷の重い役負担となった。

他の役員との連携もあり、自治会運営に積極的に関わることは必至である。

基本的にパトロールは、自由意思での参加である。つまりボランティアだ。
私がする本格的なボランティアということになるかも知れない。
さすがに部長といえども、毎日毎晩歩くことはできないので、夜を中心に月2回程度である。
昨夜、はじめての巡回パトロールをやった。
参加者は私たち夫婦と子ども3人。ここに地域から他3人が参加。
およそ40分の巡回ツアーだ。いい運動だ。
これでメタボ対策もばっちりといいたいが、月2回程度では……期待できないか。
真夏や真冬のことを思うと、うーん。慣れるまでたいへんかな。

それにしても参加しないと地域のことはわからないもので、今回のこのお役目でずいぶん地域に対する意識は変わった。
これまでほとんど地域の行事には参加していなかった。
昨日、午前中の総会で、住民たちのバトルをみてしまった。
そこまで言わなくてもいいじゃないか、と心の中で思いつつここはぐっとこらえて、成り行きを見守る。

昔の日本なら、隣近所の人の顔を知らないことはなかったはず。
こうしてみると今日の自治会の運営がどこもうまくいかないのは当たり前かもしれない。
総会運営もおかしいところがあるが、総会が審議機関であり、決定機関であることがどうも徹底していない。役員会や会長が判断して決めるなんていうことが出てくるのは、どうも納得がいかない。
自治会は、民主主義の基本ではないか。
誰かに任せればいいわけではなく、住民個々の責任で考えて意思表示しなければ意味がないではないか。と初日から思ってしまった総会であった。

昔ながらの近隣つきあいが少なくなった現在、今一度地域に飛び込む機会を与えてくれたことで、なんだか自治会が楽しくなるかもしれないと、密かに期待もしている。
今日は雨の中、公園清掃をやった。おお、地域人してるぞ!

原稿はどうしたんだ?




祖母の葬儀

2008年02月14日 | 私事
父方の祖母は、明治39年生まれ。
西暦1906年10月が誕生日なので満101歳であった。

私の名前すらわからない状態が続いてずいぶんになる。
10日ほど前、肺炎で入院し、病状が急変して11日朝亡くなった。

父方の実家は伊良湖岬で知られる渥美半島にある。
農業と畜産、電照菊でも有名なところであるが、いたって素朴な田舎である。
小学校3年まで、この近くの田原に暮らしていた私は、祖母のいる家にちょくちょく出かけていくことが多かった。
歳の差のないいとこが3人いたので、夏休みや正月休みには欠かさず押しかけていた。

よくある子ども同士のけんかやモノの取り合いに対して、
「仲良くしなさい」「あぶないことはしない」などとよくしかられた。
顔のしわはさすがに農家なので隠せないが、垂れた目はとてもやさしかった。

祖母は、教員をしていた夫を早くに亡くし、一人で家を守ってきた。
土間に竈があった田舎の農家である。
祖母の苦労ははかり知れないものがあったに違いない。
私が物心ついた頃には、おじさんが農業を継いでいた。
60歳を過ぎていたであろう祖母は小さな部屋で裁縫をしながら、コツコツと仕事をしていたのが印象的である。
夏休み、一人でバスに乗って訪ねるとニコニコしながら迎えてくれた。
またバスに乗って帰るときも新聞紙にくるんだ土産(果物や野菜)をもって停留所まで送ってくれた、やさしい祖母であった。

祖母は寺や神社などの行事に熱心に参加していた。
お盆は、迎え火や送り火が行われた。
準備した線香や供花を新聞紙に包みながら、私たちいとこたちを引き連れてお寺さんに向かう。その道々でいろんな話をしてくれた記憶がよみがえる。

先祖様に対する姿勢や態度はきびしかったと思う。
家を訪ねるとまずは、「お線香をあげていらっしゃい」とうながす。
むずかしい作法やお説教めいたことはいわない。
「手を合わせなさい」「感謝しなさい」と言うだけであった。
それが私を歴史や民俗に関心を持つことになった理由ではないが、全く影響がなかったとはいえないような気がする。ここでのたくさんの経験や見聞は、間違いなく貴重なものとなっている。

葬儀は曹洞宗のお寺で、僧侶9名による立派な儀式であった。
僧侶ひとりひとりが語る亡き祖母への葬送の句に、祖母の優しさ、熱心な仏教徒、指導者であったと盛り込まれていた。
私にとっての祖母はおおらかで、優しい、大きな存在でった。
無言の教えがあるとすれば、祖母の教えはまさにそれである。
やっていいこと、悪いこと、感謝すること、礼を尽くすこと。
そのすべての大切さを祖母の日々の行動や態度で教わったような気がする。
霊室妙教大姉 安らかな眠りを
合掌


1月が終わる

2008年01月30日 | 私事
モチと酒で過ごした正月が終わり、2週目からは即大学が始まる。
大学にとって1月は結構緊張する時期だ。1月は試験やらレポートやらであわただしく過ぎていき、気がつくと1月も末だ。

今年も3年連続のセンター試験の監督業務をやることになり、あのリスニングの緊張感をまたまた味わうことに。
19日20日の両日5時起きで、帰宅も7時過ぎ。帰るとどっと疲れが。
階段教室を足音をたてないで巡回するのは結構な運動量だ。
長い長い2日間が終わり、「大きなトラブルはありませんでした」という担当課長の声に
みな思わず拍手をしたのは自然でしたね。
新聞や報道のさらしものにはならずにすんだから、まずはやれやれだ。

3週から4週目には学期末試験のオンパレード。
ゼミのグループ発表もあったりで大忙し。
今回は、大学周辺在住の人や新宿区の人にも参列していただき、これまた緊張。

まだまだある。この間に卒業論文を読んだり、大学院の修士論文を読んだりで、時間がいくらあっても足りない。

そういうなかで、Y社の辞典原稿の執筆をこなさなければならず、朝3時、4時の生活がずっと続いてようやく完成。
明日は、単発の原稿を終わらせ、T社の原稿執筆に移る。
これがまた難解で眠れない日はしばらく続くだろう。

ところで、26日は私の誕生日。
「でもそんなの関係ない」って感じで誰も祝ってくれない。
夕方、ぼそっと「今日、誕生日なんだよなぁ」って言ったら、
かみさん曰く、「ふうん」だって。

1月はあっという間の年初め。それだけ充実していたということか……