日曜出勤する前に義父の入っている施設にルーペを届けに行った。
義父が施設に入ってもう2ヶ月。施設からは、帰りたいとか、人に罵声を浴びせるとか、手を挙げたり、モノを投げたりするといった連絡はない。
昨日もサロン室みたいなところで皆とくつろいでいた。他の年寄りに比べると義父はしっかりしている。多くの人が、一点を見つめてるような顔をしてるのに、義父は目が悪いせいかしかめっ面で、ひたすら新聞、雑誌を読んでいる。野球と車の雑誌を手元において、新聞を読むのが日課のようだ。家にいたのと変わらない。
以前、義父の兄もこの施設に居たことがあるが、皆に声をかける社交的な兄に比べて、義父は静かで物足りないくらい大人しい。
ルーペを渡すと「何だっけ」という。「これがあると字が大きくなって読みやすいでしょ」というと「あぁ、どうもありがとうございます」と他人行儀な挨拶が帰ってくる。おそらく私のことは理解していない。
一緒に行ったカミさんに向かっておばあさんが「娘さん?、こっちは旦那さん?」と言ってくれた。入るときも「奥にいるよ」と大きな声をかけてくれるおじいさんがいる。回りの方が私たちを覚えている。
将来、自分もこういうところに入るのだろうかと、目の前の光景に自分を当てはめようとして呆然となる。そうなりたくないと言いつつも、入るときは良いとも嫌だとも言えなくなっているに違いない。いや、その頃には施設に入るだけの年金はもらえず、貯金だ底をつけば孤独死を待つのみ。雇用のあり方は老後のあり方をも決める。後何年もすると、高齢者があふれ、入りたくても入れず、子どもの世話になって、子どもも仕事を辞めざるを得なくなって共倒れする時代がくる。子どもがそっぽ向いたらどこかひっそり死を選ぶのか。
施設は穏やかな空気と静かに過ぎる時間だけが流れている。毎月のように行事があって、メリハリのある生活を過ごすようだ。職員もゆっくりしたなかで、手と足はまめまめしく動き、声を掛けあっている。人生の終末をどう過ごすか、親の背中をみて自分のことを考える世代になってしまった。
義父が施設に入ってもう2ヶ月。施設からは、帰りたいとか、人に罵声を浴びせるとか、手を挙げたり、モノを投げたりするといった連絡はない。
昨日もサロン室みたいなところで皆とくつろいでいた。他の年寄りに比べると義父はしっかりしている。多くの人が、一点を見つめてるような顔をしてるのに、義父は目が悪いせいかしかめっ面で、ひたすら新聞、雑誌を読んでいる。野球と車の雑誌を手元において、新聞を読むのが日課のようだ。家にいたのと変わらない。
以前、義父の兄もこの施設に居たことがあるが、皆に声をかける社交的な兄に比べて、義父は静かで物足りないくらい大人しい。
ルーペを渡すと「何だっけ」という。「これがあると字が大きくなって読みやすいでしょ」というと「あぁ、どうもありがとうございます」と他人行儀な挨拶が帰ってくる。おそらく私のことは理解していない。
一緒に行ったカミさんに向かっておばあさんが「娘さん?、こっちは旦那さん?」と言ってくれた。入るときも「奥にいるよ」と大きな声をかけてくれるおじいさんがいる。回りの方が私たちを覚えている。
将来、自分もこういうところに入るのだろうかと、目の前の光景に自分を当てはめようとして呆然となる。そうなりたくないと言いつつも、入るときは良いとも嫌だとも言えなくなっているに違いない。いや、その頃には施設に入るだけの年金はもらえず、貯金だ底をつけば孤独死を待つのみ。雇用のあり方は老後のあり方をも決める。後何年もすると、高齢者があふれ、入りたくても入れず、子どもの世話になって、子どもも仕事を辞めざるを得なくなって共倒れする時代がくる。子どもがそっぽ向いたらどこかひっそり死を選ぶのか。
施設は穏やかな空気と静かに過ぎる時間だけが流れている。毎月のように行事があって、メリハリのある生活を過ごすようだ。職員もゆっくりしたなかで、手と足はまめまめしく動き、声を掛けあっている。人生の終末をどう過ごすか、親の背中をみて自分のことを考える世代になってしまった。