目白大学 鈴木章生研究室 

目白大学社会部地域社会学科の教員が、大学の様子や身近な話題を提供します。

学生の関心

2017年07月02日 | 時事
学生の社会に対する関心度が低いという。いやいやいや、今こそ政治も経済も外交も注目度ナンバーワンでしょ。まあ、政治家があーでは、見たくも聞きたくもないという異論も出ようが、どうもそういう問題ではないらしい。

学生は、本、新聞はもとよりテレビも見なくなった。YOO TUBEとかネットでいいじゃん、という。スマホなしでは生きていけない時代。学生はスマホでゲーム、エンタメ、音楽、TUBE・・・ニュースなんて見てる人がいると絶滅危惧種のような扱いかも。

総選挙もAKBのことで、結婚します宣言なら意見交換の会話はできるが、豊洲だ築地だなんてどうでもいい。都議選に触れても「トギセン?」「新しい地下鉄?」
その感性の鋭さを別の所に使って欲しい。

この記事をはてなブックマークに追加

事後処理のやり方

2016年10月14日 | 私事
都庁のゴタゴタが巷間を騒がせている。どこで何が変わってしまったのか。普通は何らかの指示や圧力、改ざんや不正が見え隠れするもの。まさに伏魔殿とはこの事をいうのだろう。問題はその時期と首謀者ということになるが、それをうやむやにするのが、実は事後の動きだ。

日本では核心に来ると隠すことを是とする習慣がある。組織の根幹を揺るがしかねない場合に発展する恐れがあるからだ。静かに処分や更迭、自主退職で幕引きを考える。何となく美徳に思えるが、過去に何度もそんな事で問題が発覚するのは、組織の甘えとそこにいる当事者たちの最後の砦意識なのかもしれない。そこに都民や国民の姿はない。ひたすら組織の守りと、首長の権力保持に動いているだけに思えてならない。責任の取り方が変わってしまったとも言える。

役所が巨大化し、都庁の職員(病院もバスも全部入れて)16万人余を数える組織に自主的な刷新浄化作用は弱い。警視庁のパトカーで違反切符切られそうになると、「同じ都の仲間じゃないか」と言って逃れようとする人がいた。

モラルだ倫理だ啓発だと冊子が配られ、順番に研修に行かされる。でも、議会の野党からの質問に担当局長は、「冊子16万部を各職員に配布し、順次職員研修を実施」したとの答弁でお茶を濁すのが当たり前。印刷経費は当然税金だ。

研修は、一時間程度ではない。講義とワークショップ(ロープレとか意見交換)、ビデオを観たり、場合によってはテストと解説までついていたりする。三時間程度のプログラムになっていて、そのため四時過ぎに終わるので実質半日職免となる。戻って仕事をする人もいるが、終わったから飲みに行こうという職員も当然いる。おわってからの飲み会の方が本当の研修で、過去の経験や同僚の失敗談が勉強になったりする。

議会もまた弱くて、事後の効果やモラルチェックを追求することはまずない。答弁も「引き続き再発防止と職員の啓発を図って参ります」。
こうやって組織の闇のなかに埋もれていく。

担当者は更迭処分になったが、けじめという変な落とし前のため、大将の首を取れば終わりというのが日本だ。でも戦国時代や江戸時代より甘いかな。戦国時代は、首謀者家族全員、打ち首、追放だ。殿が切腹し、お家断絶したら、家臣は浪人。これくらいの緊張感はほしい。

この記事をはてなブックマークに追加

眠れない

2016年09月14日 | 私事
教員は休みが長い。それはそれで事実なんだが昼と夜が転倒して、生活のリズムが壊れることが多いのは、おそらく私だけではあるまい。

この時期、後期の授業開始に向けて必死にリハビリをしている。しかし今年の夏も宿題をやり残して今日まで来てしまった。さてさてどうしたもんじゃろなぁ。

もうひと踏ん張りしないとまずい状況にある。昼は家事労働、夜は仕事と、いきたいところだが、家事労働は思ったより大変だ。家事労働は段取りと切り換え。掃除をしながら、洗濯。洗濯を干しながら食事の準備。段取りと判断力が大事。方や、原稿執筆は資料準備と集中だ。何かをしながら、別なことをすることができない。このアンバランスな関係をいかにコントロールするか。正直言ってうまくできていない。
とある先生は毎週、毎時間、こもって古文書を読んでいた。この手の仕事はやれる。論文執筆はそうはいかない。
年間5本も書く大先生は、さすがに家事労働はしないだろう。しかし、それを言っては主夫はできない。

秘書、家政婦を求む。

この記事をはてなブックマークに追加

眠れない

2016年09月14日 | 私事
教員は休みが長い。それはそれで事実なんだが昼と夜が転倒して、生活のリズムが壊れることが多いのは、おそらく私だけではあるまい。

この時期、後期の授業開始に向けて必死にリハビリをしている。しかし今年の夏も宿題をやり残して今日まで来てしまった。さてさてどうしたもんじゃろなぁ。

もうひと踏ん張りしないとまずい状況にある。昼は家事労働、夜は仕事と、いきたいところだが、家事労働は思ったより大変だ。家事労働は段取りと切り換え。掃除をしながら、洗濯。洗濯を干しながら食事の準備。段取りと判断力が大事。方や、原稿執筆は資料準備と集中だ。何かをしながら、別なことをすることができない。このアンバランスな関係をいかにコントロールするか。正直言ってうまくできていない。
とある先生は毎週、毎時間、こもって古文書を読んでいた。この手の仕事はやれる。論文執筆はそうはいかない。
年間5本も書く大先生は、さすがに家事労働はしないだろう。しかし、それを言っては主夫はできない。

秘書、家政婦を求む。

この記事をはてなブックマークに追加

百貨店100年の危機

2016年09月07日 | 時事
百貨店業界苦戦の原因は、UNIQLOとAmazonなのだろう。そっち方面の専門ではないので推測ではあるが、三越だけの問題ではないようだ。

百貨店つまり、デパート誕生の歴史をこの三越が刻んだことは有名。もっと言えば江戸時代から革命的販売方法の採用は教科書にも出るほど有名だ。

百貨店は明治30年代後半の日露戦争頃から、三越、松坂屋、松屋、大丸、白木屋と続々開業してきた。順番はこの通りではないと思うが、呉服店からの進化だ。呉服に加えて雑貨、家庭用品、ホールや食堂、さらには美術工芸や舶来品を並べ、催事場は後に博物館としての歴史も刻んだ。まさに、最新情報発信地として憧れの的だった。

大正からは鉄道系のターミナルデパートと、経済成長期からは大型スーパーマーケットとの熾烈な競争もあったが、およそ100年ここに来て老舗百貨店も終活にきたか。

70代、80代の親世代には百貨店の序列がしっかりあった。今や20代、30代にそうした認識はどれくらいあるだろう。丸井の赤いカードを持ったときは大人になったようで嬉しかったが、貧乏学生だったのでほとんど使わなかった。否、使えなかった。

百貨店の総合的な歴史を消費文化、社会風俗として検証する必要があるだろう。

この記事をはてなブックマークに追加

ゼミ合宿 下仁田

2016年09月05日 | フィールドワーク
下仁田町の観光パンフにはジオ○○といった商品がたくさんあるが、ジオ丼がそのひとつ。店主曰く、「ただのバラ肉だよ」と。肉厚でうまい。しかし、800円は高いか。ご飯の中段に細い刻み海苔が挟まれ地層をイメージしているらしい。

下仁田町は、中央構造線が真下を通っているのだそうだ。熊本地震の際に出てきたワードで、九州、四国、近畿、愛知県までまっすぐ東西に走るが、静岡県あたりで群馬方面に湾曲しているあの断層帯。

下仁田町は、自然地理、地質分野の研究者には注目の地域で、この周辺は大地の動きがわかる場所がたくさんある。日本では39あるジオパークのひとつがここにある。町はそれを町おこしのひとつにしている。

自然館で説明を聞いたが、学生は「・・・」「へー」止まり。石の標本で宝石(原石)にだけテンションを上げていた(笑)。ジオ丼は町民の知恵から生まれた名物というわけ。ネギやコンニャクだけではない。世界遺産(荒船風穴)もある、石もある、温泉もある、知恵も人情もある。

この記事をはてなブックマークに追加

医療事故

2016年09月05日 | 時事
群馬大学の医療事故は、群大だけに限らず全ての大学に起こりうる事故。特に癌などの特別医療機関の認定や特定医療専門医師の有無、先端医療研究機関はいうまでもなく、その特定機関になろうとしているところは危険をはらんでいる。

大学が独立法人となった今、国に依存するだけでなく自分から外部予算を取ってこないといけない。理系の学部や医学部は躍起になって営業に走り、民間企業との技術協定やその実績づくりに励む。

文系の研究規模はもともと屁のようなものだが、医学などは何千万。京大の山中伸弥教授の再生医療などの最先端となれば億単位のお金が国から降りてくる。かつて、スパコンで日本が1位を取るために予算を仕訳するしないで蓮舫さんが吠えていたあれもそうだが、今注目なのは軍事関係研究費の分配と争奪だ。さすがに大学のイメージや姿勢が問われるだけに大学も喉から手が出るだろうが即決とはいかない。

研究者が毎年必死になって計画書や申請書類を出して取ってくる科学研究費の申請も、今や大学がその内容をチェックする時代。取れる書類にするためにどうしたらよいか添削指導までしてくれる。なぜなら純粋に研究者が研究に使う直接経費以外に間接経費として事務経費に1割程度回る分が確保されているから。大学によってはそれも研究者に回るところもあるが、大学の収入になるようだ。科研費を取れとれとうるさいのは、この間接経費欲しさだと言えなくもない。もちろん、有能な研究者がたくさんいる大学であることを示す指標の1つであるが。

病床の稼働率、オペの回数など点数稼ぎは日常茶飯事。若手医師も経験が大事だと、未熟ながらもオペ回数のカウント稼ぎに回される。よく言われることは、ベテランの医師も、新米医師も、患者から見れば医師は医師。最先端の腹腔鏡手術は点数も高く、大学の実績づくりにはもってこい。しかも、入院は早くて日帰り。慎重なら術前検査と術後の経過観察で2泊3日程度。患者負担は少なく、ベッドの回転も早いとなれば、大学としてもおいしい。

問題の本質は、医療に限らず大学が点数や経営を重視したことで、何かがおかしくなったということ。チームとしての組織的な対応やコントロールが現場にはなかったことが報道でわかりつつある。有名な「白い巨搭」のように、人として、研究機関として、教育機関として大学の理念や哲学より、大学の名誉や経営を優先させてしまったことで、何人もの人の命を犠牲にしてしまったことは遺憾だ。

小説では財前教授の死をもってご破算にした感じだが、雑誌連載から半世紀を越えた。今や、一人の教授の野望ではなく、大学全体の姿勢や責任が問われている。少なくとも日本の大学そのものの質の低下を世界に露呈させてしまった感がある。今回も、執刀医師の責任が問われているが、問題はそれを許した医学部全体の問題であり、大学の経営や管理責任も問われるべきであろう。

危惧するのは、国を挙げて力を入れている地域創成、観光、スポーツ、アニメやサブカルなどの分野には、莫大な税金が注ぎ込まれている点である。大学トップがそのお金欲しさに学部学科をやたらといじくり回し、同じ看板をやたらと掲げたがる。文学部否定論もそうした流れの中にあることは否めない。
「世のため、人のため、国のため、道のため」と説いた緒方洪庵の教えは、医師としての姿勢や方向を示したものだろうが、金のため、名誉のためとは言ってない。今一度、噛み締める時かも知れない。

この記事をはてなブックマークに追加

学祭の現在

2014年10月20日 | 時事
秋、大学では学祭があちこちで行われる。
夏休みが終わって1か月経たない内に学生にとって大きなイベントを迎えることになる。

かつてシラケ時代のころは、大きな体で焼きそばなどを売る運動部と地味ながらも世間に自分らの活動を知ってもらおうと懸命の演劇や文学関係のサークルが主流だったような気がする(偏見かも)。
しかし、学生の多くは帰宅部で、学祭に参加すること自体がまず「行くの?」と疑問符を打たれる。
家でしっかり音楽を聴いたりして休養するか、野球シーズン最後の応援に球場に行くか、パチンコ三昧に明け暮れる自称パチプロなんかがうようよいたような気がする。
私も、友人数名で旅行に行ったし、地方の祭りを見に行ったような記憶がある。

最近の学生はおとなしい。
学生だけでなく、近隣の店舗や地域住民のブースもあって、大学の門は開かれており、学祭は地域交流の場でもある。
その分、学生の暴発的な行動や危険なにおいのする団体行動はなくなった。
時間通りに始まり、時間通りに終了。
ゴミも決められた場所に廃棄され、テント内の器物は整頓されている。
研究発表的なものも少しはあるが、サークルなど2つ3つ掛け持ちしてる学生も少なくない。
だからゼミ発表だとか学科プログラムなどがあると大変な事態になる。
学生の祭典だからこそ、学生の主体性に任せてもいいはずなのだが、保護者会だとかシンポジウムとかがあっていささか気の毒にも思える。
年に一度の晴れの舞台だからこそ、教職員もここぞと集中するのだろうが、そこは一歩譲ってもよいように思える。

昔のように「休みだからどこか行こうぜ」的な雰囲気は少しはあるだろう。
でも結構学祭を楽しんでいるようにも思える。
学生自らが企画して、行動実践して、何かを得る。それがいいのだろう。

お笑い芸人が今年も来た。
ミスコン、ミスターコンテストが復活?した。
学生たちが求めるものは時代を反映し、これからの社会を創るのだとしたら、まだまだ日本は平和ということか。
60年や70年の頃の社会に反発するあのエネルギーは今はない。
いかに今を楽しむかというエネルギーと行動が蔓延している。
終わったらキャンパスは静まり返る。

祭りなのだ。

この記事をはてなブックマークに追加

ご連絡 

2013年01月15日 | 私事
みなさんへご連絡

ただいまブログとフェイスブックの両方を使っています。
ブログは少し長めの主張型の文章で、フェイスブックは普段のさりげない情報話題でやっていました。
しかし、フェイスブックの方が気楽で、すぐに入力できる環境にあるので、主張型の文章もファイスブックに記入登録することも多く。
なかなかブログの方には手が回りません。

二つの差別化と両立はむずかしい状況にあるのですが、このまま時間が経ってもいいとう寛大な方もいらっしゃるかと思えば、
はやく書きなさい、読みたいという方もいる。
ここでは何とも言えませんが、とりあえずぼちぼちやっていきます。
あしからずご了解ください。

それでは連絡まで

この記事をはてなブックマークに追加

2013年 新年のご挨拶

2013年01月15日 | 時事
遅ればせながら
2013年、新年最初のブログ。

みなさんお元気ですか。
年末は29日まで仕事をして、あわただしく年越しをしました。
年明け4日には大学で仕事をしましたが、すっかり正月特番の鬼平犯科帳にはまり、
寝正月と食べ続けて、おかげさまで気力体力、そして体重少々を取り戻しました。

13日土曜日、目白大学社会学地域社会学科主催 第5回地域フォーラムを開催。
前半1時間は学生5人の報告。
後半は「観光で地域を盛り上げる」をテーマにしたシンポジウムで、
観光庁次長、地域の歴史文化や地場産業を活かした地域イベントの団体などの事例報告から
ディスカッションを行いました。

フォーラムの成果はこれからいろいろ分析しますが、
学生の報告の場は、調査の社会還元の場としてとても重要だということがわかります。
短い時間ではありますが、100名以上の人の前で話すというのはそうそうあるものではありません。
それを見事やり抜くのはそれなりの度胸と自信がないとできません。
こうした経験はいずれ自分の将来に役立つことができると信じています。
この場を感謝するとともに、今後の活躍と発展を祈ります。
在学生の方も聴講していたが、先輩後輩たちが発表しているところを聞いて、何等かの発奮材料になれば
教員としてはとてもうれしい。

今回、学生報告の司会を男性と女性の二人、3年生にお願いしたところ、見事やってくれた。
一応、台本を作って渡したところ、自分からこうしていいですかと変更を申し出てきた。
頼もしい限りだ。

楽しみながら経験して学ぶ。
経験のなかから楽しいものを見つけ出すのは
いまどきの若者のいい能力だと思う。
参加型の学びは、大学で本ばかり読んだり、講義を聴くだけにはない面白い発見とよろこびがある。
何よりも自分が本気になればなるほど楽しくなるというのが参加型の魅力だ。
今年もそうした教育の仕掛けづくりに奔走して、学生たちに多くの経験と感動を与えてみたい。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

平成25年1月15日 
鈴木章生




この記事をはてなブックマークに追加