目白大学 鈴木章生研究室 

地域人になろう!
目白大学社会部地域社会学科の教員が、地域や社会の出来事や疑問に対するメッセージをお届けします。

季節の変わり目

2012年03月30日 | Weblog
ようやく風邪が抜けた。
この時期の風邪としては本当に長引いた。発熱を伴う喉の痛み、そして咳。
医者で処方してもらった薬でもなかなか治らず苦労した。
ましてやコンビニの液体風邪薬はジュースのようで、なんだったのか。

今年の冬は寒く長かった。ようやく春の到来を感じはじめた今日。
桜の蕾が膨らみに、ほんのり桜色が目に見えるようになった。週末には開花になるだろう。

今日は日比谷図書文化館で講演だったが、知り合いの職員も風邪気味のようで、顔つきが冴えないようだった。

真冬や真夏の時期は、緊張しているためかあまり体調を壊すことが少ない。
一方、季節の変わり目ともなるとあちこちと不調が生じる。
ある意味少し休んだらどうかと言う、神様の計らいなのかも。

それにしても、一人暮らしで発熱するとなんと心細いことか。
私も一人暮らしのときの発熱は動けない、気持ち悪い、だるいととにかくひたすら寝て治るのを待った記憶がある。

熱があってもそうそう休めないのが仕事だ。
日比谷の知り合いも熱があるような赤い顔を見せていた。
すごい頑張りようだ。

私は熱があるとすぐ動きを停め、そして仕事もそこそこに切り上げる。
食欲があればおかゆをすする。
何でも自分で一通りやりくりしてきたが、それでも一番欲しいことは、すぐそばで見ていてくれることだろう。

季節の変わり目、不安定な気温が孤独感を増大させる。

卒業

2012年03月27日 | Weblog
今日は卒業式だった。
午前中、中野サンプラザで式を終え、午後は大学で卒業生一人ひとりに学位記、つまり卒業証書を渡すセレモニーだ。

昨年は東日本大震災の影響で卒業式がなかった。
仕方ないことかも知れないが、やはり式は式である。
大事な人生のけじめとして厳粛に受け止めたい。

厳しいこの時代、社会に出ていく学生らの前途は多難。
何を信じて生きていくのかもわからない。
そんななかで学生らは若者なりに前を向いているようだ。

少しでも給与がいいところ、やりがいのある仕事を求めている。
とりあえず就職はするが、これで満足はしていないようで、さらに上を目指すのだと。

終身雇用が崩壊した日本でこれからは経験と向上心が評価される。
今の若者はこの厳しい時代でそれなりに将来を考えて生きてるのが、うれしいし頼もしい。

それに社会がもう少し対応してくれたら未来も明るい期待が持てるような気がするが、どうなのかな?

とにかく、おめでとう。

別れと出合いの季節

2012年03月25日 | Weblog
桜の開花がようやく耳に届くようになった。
いよいよ今年も別れと出合いの季節が訪れる。
ひときわ寒くて長い冬だった今年、この時期の寒暖の差が身体にはこたえるように、別れと出合いのこの時期は心にこたえる。
年のせいかな?

卒業は学びの達成を祝う儀式だ。
しかし、成長して巣立ちを迎えた学生たちを送り出す喜びと同時にエネルギッシュな声やユニークな個性の集まりがそれぞれの目標に向かって離れていく寂しさもつきまとう。
また、卒業後に向かう新しいステージがないまま卒業式を迎える者もいる。

暖かくなったり、寒くなったり、この時期の気温の上がり下がりで服装選びをむずかしくするように、心の寒暖に気をつけないと風邪をひく。

共に、悩み、汗を流して、意見を交わしたあの頃の時間は戻らない。
これまでの思い出と懐かしさにほんわり暖かくつつまれながら、新しいステージを前にして、不安と期待が交互に訪れるように、プラスとマイナスの波が何度も何度も心の内に押し寄せる。

セレモニーはそうした不安定な心を強制的にある段階に移行させる社会的な装置なのかもしれない。
卒業だということを内外に知らせる。
ケジメが大事なのはわかっていても、それだけで解決することでもないだろう。
少なくとも時間がかかるような気がする。

日本では、別れの後にすぐあらたな出合いがあるから、余韻に浸るかことなく、慌ただしく春を過ごすことになる。
5月病は慌ただしく通り抜けた自分を少しだけ休ませながら改めて振り返る時間なのかも。

人はわがままで身勝手だけど、時間は戻らないし、止まらない。
このまま時間が止まればと思っていては、自分の成長がないように、また、背伸びして時間が早く来ないかなと思っても、すぐには無理なように、淡々とただひたすら刻み続けるだけ。
その辛抱強い一歩一歩が、きっと人を成長させるんだろうなと、ようやくわかり始めた。
寒かったり、暑かったり、季節は着実に訪れ、そして去る。

別れと出合いのこの季節のように。

奇跡の一本松

2012年03月24日 | Weblog
息子と車で被災地に向かった。
ボランティアではなく、観光というと抵抗があるが、視察というものでもない。
現状把握?要するに見てみようということ。

午後、横浜を出て、19時過ぎに仙台東口にある東横インホテルに着いた。
夕飯は牛タンで有名な利久。本店らしいが、敷居は高くないし、値段もほどほどだ。

翌朝、石巻をめざし、女川、気仙沼、南三陸町、陸前高田と宮城県から岩手県へと海岸線にそって北上した。
瓦礫の山、更地に半壊した建物がまだあちらこちらに点在する様子は報道やメディア関係の資料が示す通りだ。
しかし、復興が遅い。
何をしてるのか、それすらわからない。
瓦礫の山を重機でダンプカーにのせたりしていた。
しかし、それだけであとどれくらい時間がかかるのか。
素人の目では到底検討もつかない量だ。

女川の町を見下ろす高台からその惨憺たる様子を息子と目にして、今さらのやうに自然の怖さ、人の無力さを感じないわけがなかった。
合掌をしたものの、どこも光景を見るたびにため息がでた。
元気の出る材料がほとんどない。
ダンプカーやショベルカーや業務関係車輛は走っているものの、人の気配がない。
神戸とは違った様子がみてとれる。

今回のお目当ては、被災地で多くの人びと期待と勇気を与え、全国でも紹介され感動を与えたあの奇跡の一本松を見に行くことであった。

橋を渡り何もない被災地でひときわ背が高いその松を見つけるのにむずかしくなかった。
しかし、近くには行けなかった。
瓦礫の山で大型重機が山の整備に当たっていたからだ。

松は生命活動を終えたという。
その立ち姿はまるで生きてるかのようにスッーと孤高の松を演じている。
死してなおまだ生きてるかの姿は、例えそれが人工的だとしても伝えるものはある。
これが本当に生きているのてあれば、生命力の源としてパワースポットになったに違いない。
その証拠に、近くにいけないので、対岸の堤防から写真撮影していると、私たちかが止めた車の後に3台続いて車が入り、写真におさめていた。
皆考えている行動は同じということになる。

高田松原の松ぼっくりの種が芽吹き、あらたな子孫が育っているという。
復興は、戻すのか、新しくするのか、全く変えるのか、いろいろな考えがある。
世代から世代へと受け継いできた、心と経験が活かされることを願わずには居られない。
地元の人のビジョンが反映されることが、人を希望に胸膨らませ、まちを活気づける近道 のような気がする。
シンボル奇跡の一本松は、復興の軌跡のシンボルであって欲しい。

国際交流

2012年03月19日 | Weblog
大学病院に来ている。普段は町医者で風邪薬を貰いにいく程度。
顔馴染みの事務職員とお気楽な世間話で時間はあっと言う間に過ぎてしまう。
だか、大学病院のような大きなところはそれなりに不安と緊張を抱えて訪れる人も少なくない。待合室で1時間、診察5分、薬で30分、会計30分で、2時間はざら。久しぶりにくれば3時間や4時間は覚悟の上だ。

今日は予約なので時間はある程度予想がつくから気は楽だ。
そんな受付で見かけたお母さんは30代だろうか、二人の子どもを連れている。
外見からは南米辺りから来た感じの人だろう。
ナースからは日本語の名前を呼ばれて診察前の問診んを受けていたが、その応えは明らかに片言のニホンゴ。
3歳前くらいの男の子は慣れない場所でお母さんの足元にくっついてる。
お母さんの腕に抱かれている1歳には程遠い女の子は、顔に発疹が見られた。
お母さんもその具合にただならぬ物を感じて大学病院んを訪れたのだろう。

お母さんは一生懸命何かを訴えているが、あまり上手く話せないらしい。
尋ねている方も、アレルギーの有無を確認しているのだろう「離乳食はいつから」と難しい言葉を投げ掛け、すぐ「食事は何を食べてる?」と言葉を探しながら情報をリサーチしている。
ここは思わずサポートしたいと思うシチュエーションだ。
しかし、スペイン語かポルトガル語か?身なりで判断はできないが英語ができるかも定かではない。
だいたいこういうケースで声をかけると後悔する場合が多い。
下手な英語で話すと、フラストレーションがたまってるだろう相手は、「助かった、あんた代わりに説明してくれ」とばかりにハイスピードで話してくるからだ。
撃沈。

受付の脇で悪戦苦闘しているナースとお母さんのやり取りを静かに見守る自分がなんとも情けない。
上の男の子が飽きたのだろうフロアーというか廊下を駆け出すと、すかさずお母さんは「J I N、走ったらダメ」と大きな声でしかも上手な日本語でしかるでないか。
確かに日本語で「じん」と子どもの名前を呼んだ。帰化したのかどうかは想像の域をでないが、日本でしっかり生活していることだけは伝わった。
自分が多少風邪気味でも我慢して過ごすだろうが、子どもが病気になれば世界中どこでも同じた。

なんだかわからないまま受付を終え、ベンチシートに移動して座っている親子に関心してるのも束の間、その親子の回りに病院スタッフ二人が来た。
やや年輩の女性二人が、何やら話しかけて会話をしているではないか。
外国語で患者のサボートをしているようだ。
職員かボランティアかはわからないが、もし大学がここまで準備をしているなら企業や大学も見直す点もあるように思えた。

国際交流って何だろう?
お年寄りや介護者に対してサービスを考え、さらに外国人に対する対応まで組織的に考えているこの病院。キリスト教系の大学ゆえの当たり前のホスビタリティは外国人にまで及んでいるのならまさに国際交流の鑑なのだろう。

英会話すら使えない自分はひたすらやんちゃな男の子をジーとみつめてアイコンタクトを送って遊ぼうと言わんはかりのメッセージを送った。
またも撃沈。
国際交流の壁は秋空のように高く、海の海溝のように深い。
私の会話力は低く、ボキャブラリーは浅い。