
角界が大変です。私は、プロスポーツは観客が入ってこそ成り立つものですから、競技の面と興行の面という2面性を持っており、その時、その時に求められることが違うのだと思います。
若貴時代は、何はともあれ兄弟そろって横綱になることをあんなに喝采されたではないでしょうか。兄ちゃんががんばった兄弟での優勝決定戦の一番を思い出しています。
力士は、ターミネーターではありません。体調も感情も日々変化します。義理も人情も持ち合わせている人間です。
今は、競技性の厳密さを求められているのでしょう。また、ニーズは変わると思います。
『日本と朝鮮半島2000年』(上・下巻 NHK「日本と朝鮮半島2000年プロジェクト編著 NHK出版 2010年刊」
本書は、2009年4月から2010年1月までNHK教育テレビのETV特集で10回にわたって放送された内容を書籍として出版されたものを図書館から借りる。日曜日の夜10時から毎月視聴していたが、毎回睡魔との闘いだったことを覚えている。
番組は、日本と韓国における史跡や文書の最新データをもとにつくられており、見解の異なる部分は両論併記というスタンスになっている。ただ、現在の情況から「北朝鮮」の資料等は含まれないが、いずれ明らかになってきた場合、また違った歴史になることだろう。
さて、私(56歳)の親たちが習った歴史は、神武天皇の神話から始まるいわゆる「皇国史観」である。私の世代は、記紀(古事記、日本書紀)に基づく歴史観であった。それから40年ほど経過した今の世代は、新たな知見を取り入れ、我々とまた違った歴史を習っている。
例えば、現在の教科書には、「任那の日本府」という記述は無い。その頃の半島には伽耶という「国」があったとされる。「大化の改新」という表現も無く、「乙己の変」である。
現在の私たちは、国民国家という概念で考えるので、国境は線でしっかり別れているものという観念を持っているが、古代から近世をみると、必ずしも国家、国境は明確では無い中で、国と国との間の島々などに住む人々は両者の間でしたたかに交易などで暮らしを立てていた事がわかる。
私たちは、そこから国家というものが生きていくために必須のものではないことを学ぶことができる。
現在、島々の領有をめぐり国境は非常にナーバスな問題になっているが、そのひとつの解決方法は、国民国家の成立前の歴史に戻ったところから何がしかのヒントが示唆される。
今、まさに国民国家の黄昏の中で、我々はもがいているが、少し将来の視点から現在を見れば、なんて無駄なエネルギーをしょうもないことに消耗しているように見えるのではないか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます