『登紀子1968を語る』(加藤登紀子著 情況新書 2009年刊)
1968年から40年とかの企画が相次いでいるが、1954年生まれ私には、同時代としての1968に特別な思い入れはない。後に続いた世代としては、思想的に影響を受けている部分もあると感じているが、現実の会社の中における団塊世代のダメさ加減もずっと見続けてきたから。
本書は、加藤登紀子の思い出話として、軽い感じで読める良書である。
ここでは、お登紀さんのご主人である藤本敏夫氏との小さな接点とその頃の小さな私の実践を記す。1980年代半ば、農業とは全く縁の無かった私なのであるが、仲間と農地を借りて蕎麦作りなどを楽しんだり、有機農業に興味を持った時期がある。そのつながりで、藤本氏が主宰する「大地の会」が、鴨川の拠点のほかに北海道で自然生態農場を実践する場を求めているという話しがあった。
藤本氏は、来札すると必ず薄野の料理屋「K」を訪れるのであるが、そこで話しをしたり、講演会を開いたりした。氏の印象は、男から見てもいい男、色が浅黒く精悍な顔、話し方はアジテーションが効いていて、人を惹きつける魅力が溢れ出る人であった。
結局、農場の話しは、形にならなかったのであるが、当時「k」の主人は、薄野勝手連にも関わっており、お登紀さんを招いて開いたほろ酔いコンサートも楽しかった思い出である。
30年近く前には、私にもそんなことがあったと記憶しているが、現実の日常は、随分遠い所に来てしまったと感じている。
1968を振り返っている団塊世代、全共闘世代は、どのような気持ちで今頃になって回想記を書いているのだろうか。
1968年から40年とかの企画が相次いでいるが、1954年生まれ私には、同時代としての1968に特別な思い入れはない。後に続いた世代としては、思想的に影響を受けている部分もあると感じているが、現実の会社の中における団塊世代のダメさ加減もずっと見続けてきたから。
本書は、加藤登紀子の思い出話として、軽い感じで読める良書である。
ここでは、お登紀さんのご主人である藤本敏夫氏との小さな接点とその頃の小さな私の実践を記す。1980年代半ば、農業とは全く縁の無かった私なのであるが、仲間と農地を借りて蕎麦作りなどを楽しんだり、有機農業に興味を持った時期がある。そのつながりで、藤本氏が主宰する「大地の会」が、鴨川の拠点のほかに北海道で自然生態農場を実践する場を求めているという話しがあった。
藤本氏は、来札すると必ず薄野の料理屋「K」を訪れるのであるが、そこで話しをしたり、講演会を開いたりした。氏の印象は、男から見てもいい男、色が浅黒く精悍な顔、話し方はアジテーションが効いていて、人を惹きつける魅力が溢れ出る人であった。
結局、農場の話しは、形にならなかったのであるが、当時「k」の主人は、薄野勝手連にも関わっており、お登紀さんを招いて開いたほろ酔いコンサートも楽しかった思い出である。
30年近く前には、私にもそんなことがあったと記憶しているが、現実の日常は、随分遠い所に来てしまったと感じている。
1968を振り返っている団塊世代、全共闘世代は、どのような気持ちで今頃になって回想記を書いているのだろうか。