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ホロウェイ 『権力を取らずに世界を変える』

2017-04-10 19:20:41 | Weblog

久々にTVのワイドショーを見たら、まさに朝鮮戦争開戦前夜のようです。自衛隊の南スーダンからの撤収、そして朝鮮半島への出兵が正夢にならないといいのですが。おそらくテレビ出演しているような人たちには、肉親や友人に自衛隊関係者がいないと思われ、戦争を他人事のように語っています。僕は、こんな暴論を夢想しました。いっそのこと、富裕層も政治家の子弟などにも機会平等な徴兵制度にした方が「反戦」に繋がるのではないかと。

 

『権力を取らずに世界を変える』(ジョン・ホロウェイ著 大窪一志・四茂野修訳 同時代社 2009年刊)

『権力を取らずに世界を変える』とは、何て!魅力的なスローガンなのではないか。このブログ「2011.5.1『権力を取らずに世界を変える』その1」で僕はこう記した。「2年前に購入した540ページほどの書であるが、何回かチャレンジしているが中途で挫折を繰り返している書である。しかし、この『権力を取らずに世界を変える』というメッセージは、その後、自由のことを考えたり、無政府主義的なことを考えたりしている中でも、常に頭の中で気になるフレーズなのである。」と。

その後の6年ほどの間にも何回か挑戦、そして挫折を繰り返してきた。書棚の中で、俺を読破せよ!と主張し続けている本書を、4月からの無業者生活のおかげでようやく曲がりなりにも読み終えることができた。何故か安堵!

現在、僕はこのブログで「戦後左翼史」と題して古新聞の切り抜きを素材に、左翼の病理について自省を込めながら考えている。ホロウェイの主張は共感するとともに非常に参考になった。

周知のように、従来からの左翼の常識では、『世界を変えるために権力を取る』というものである。これまでの社会主義国家での現実、それは国家権力を握った党派が国内政治において労働者国家を謳いながら、労働者に対して極めて権力的な振る舞いを行い、抑圧的な体制を築いたという歴史だ。それをスターリニズムとして批判したまでは良いが、反スタの看板を掲げた党派もまた党内政治において異論を許さず、抑圧体制を敷いた。そこにはもはや原理的な誤りがあると考えざるを得ない。要するに、レーニン主義、前衛党、外部注入論、民主集中制・・はダメだということである。

『世界を変えるために権力を取る』のアンチテーゼとしての『権力を取らずに世界を変える』はいかにも魅力的なスローガンだと思う。しかし、ホロウェイは、そのためにどうしたらいいのか、日常における小さくても具体的な行動の積み重ねが重要と語るが、世界を変える道筋は示さない。否、示すことができない。各自で内発的に考えることが重要とだけ言う。

古くはアナーキズムとボルシェビズムの論争があった。僕は、アナーキズムは言説が情緒的であり、ホロウェイも同じ匂いがするが、そこからは全く次元の違う政治段階での展望は開けない。ロシア革命の失敗は、国家権力獲得後に国家の廃絶を放棄したところにあると考える。ホロウェイはそこまで語っていないが、僕は国家を開いていく方向、国家から権力を奪っていく方向があらゆる判断の基準となると考える。具体的には、国家の持つ徴税権を奪うこと、国家による徴税を否認することが、国家権力を弱めることに繋がる第一歩と夢想している。

 

コメント
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