現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

甲州乙黒明暗寺

2011-08-20 01:11:00 | 虚無僧日記
甲府駅の南 乙黒に、虚無僧寺の「明暗寺」があった。
40年前、尺八仲間に「乙黒」さんという人がいた。
「甲州乙黒の出身」という。そして そこに「明暗寺」が
あったとも聞いていたが、「今は何も残っていない」
ということだった。

旧「中巨摩郡玉穂町」は 今 合併して「中央市」。
どんどん町名が変わるので旧名ではナビも出ない。
さんざん探し回って「史蹟甲州明暗寺跡」と書かれた
碑を見つけた。

ネットで検索すると、「玉穂町」で いろいろ調査し、
虚無僧を顕彰してくれているそうな。

この「明暗寺」の開山「来輝明雲大居士」は「天正
3年(1575年)に死去」という。

京都の明暗寺は、寛永4(1627)年、京都所司代
板倉重宗の配慮により、妙法院の一部、わずか
45坪を借りて建てられた。「妙法院」内だから
だろうか、当初は「妙安寺」だった。

となると、甲州「明暗寺」の方が、京都より50年
以上も古いことになる。ま、虚無僧の伝記は、
ほとんど 嘘 でたらめだから、これを検証するのは
難しい。

甲府の北「塩山」(こちらも「山梨市」になって
しまったが)、ここには「向嶽寺」という「法燈派」の
名刹がある。塩山と言えば「恵林寺」が有名で、その
「恵林寺」に隠れてあまり知られていないが、
「向嶽寺」は なんと「紀州 興国寺」の3世
「抜隊得勝」(1327~1387)の出身地であり、開基の
寺なのだ。

そして、塩山から東京の西、青梅に抜ける鎌倉街道が
あった。青梅には、虚無僧本寺の「鈴法寺」がある。

このルートに着目して、内田康夫の『喪われた道』が
書かれた。作家とは、すごい推察力だ。私にも、
推察力があれば、「向嶽寺」と「鈴法寺」と「明暗寺」
の関係を解き明かすことができるのだが。

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