1/19 夜11時を過ぎてもゼロ。お布施の入らない日は「仏」の
“不在”を感じる。町の空気が明るく開放的だと、財布の
紐もゆるんでか、お布施が入るが、北風ピューピューだと
心も財布も閉ざされるようだ。
指先の感覚がなく、尺八を吹くのをやめ、左手を帯の間に
挟んで じっと直立不動でいると、「人形か?」の声も聞こえて
くる。「人が はいっているんだよね 」と 覗いていく人も。
五木「親鸞」も 修行僧の頃、毎日 六角堂に参籠し、座り
祈ることで、幻覚の中に仏を見ようとした。しかし、ついに
仏を見ることはできなかった。そんなことを思いながら、
ひたすら「仏」が現れるのを祈る。
11時半、ジャンパー服の男性が、静止している私に驚き、
しばらく見つめた後、財布から小銭を出して、ジャラジャラと
入れてくれた。
これで元気が出、しばらく尺八を吹いていると、先ほどの
男性が戻ってこられた。そしてまた ジャラジャラと。さらに
熱い缶コーヒーを私の手に握らせ、そのまま 両手でさすって
くれた。そして「ガンバレよ」と。暖かい手だった。
私にとっては「仏」だ。涙が ちょちょぎれ、鼻水が垂れる。
そのまま0時まで吹き続けた。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
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紐もゆるんでか、お布施が入るが、北風ピューピューだと
心も財布も閉ざされるようだ。
指先の感覚がなく、尺八を吹くのをやめ、左手を帯の間に
挟んで じっと直立不動でいると、「人形か?」の声も聞こえて
くる。「人が はいっているんだよね 」と 覗いていく人も。
五木「親鸞」も 修行僧の頃、毎日 六角堂に参籠し、座り
祈ることで、幻覚の中に仏を見ようとした。しかし、ついに
仏を見ることはできなかった。そんなことを思いながら、
ひたすら「仏」が現れるのを祈る。
11時半、ジャンパー服の男性が、静止している私に驚き、
しばらく見つめた後、財布から小銭を出して、ジャラジャラと
入れてくれた。
これで元気が出、しばらく尺八を吹いていると、先ほどの
男性が戻ってこられた。そしてまた ジャラジャラと。さらに
熱い缶コーヒーを私の手に握らせ、そのまま 両手でさすって
くれた。そして「ガンバレよ」と。暖かい手だった。
私にとっては「仏」だ。涙が ちょちょぎれ、鼻水が垂れる。
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