現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

巣鴨「眞性寺」で法話を聞く

2013-02-06 12:42:02 | 虚無僧日記
巣鴨の「地蔵通り」は往復2kmほど、ブラブラ散策して、
地蔵通りの入り口まで戻った時、太鼓の音。それににつられて
寄ってみたのが「眞性寺」。「江戸六地蔵」の一つとか。
奈良の長谷寺を本山とする「真言宗豊山派」の寺で、
聖武天皇の勅願寺。

聖武天皇が即位されたのが、西暦724年2月4日。
それに関係あるのか、2月4日は特別の日らしく、
数名の僧侶による太鼓に合わせて「般若心経」の読経。
これが なかなか すばらしい。つい、見とれ、聞きほれて
しまった。

そして、「若手僧侶による短い法話」があるというので、
そのままコンクリートのお堂の中へ。数十名の人が「法話」を聞く。

最後に3人の若いお坊さんが出てきて、「何か質問があれば、
この際、なんでもいいです。日頃疑問に思っていること・・・」と。

普通、「法話」というと抹香臭く一方通行の話だが、

『冷蔵庫を買いたいが何がいいでしょう』という質問でも
何でもいいです。でも、判らないことは『判りません』と
云います」と、ユーモアたっぷりな話しぶりに、
「地獄、極楽、閻魔様」のこと、「六地蔵、阿弥陀様」のこと
「袈裟の種類」「法衣による階級の区別」と、ポンポン
質問が飛び出て、その受け答えが実に 絶妙で面白かった。

そして「葬式」のことに話が及んだ。まず、「『葬式に
僧侶を呼びたくない』という人いますか」と。私ともう一人
ご婦人が手をあげた。そのご婦人は「お金が無いから」と。

それに対して、「『お金が無ければ、行きません』とは
いいません。マイケルジャクソンのような方からは
たっぷりいただきますが・・・。『タダでも呼びたくない』と
言われるなら、それは 私達(僧侶)の問題です」と。

「どんなにお金をかけた立派な葬式であっても、つつましい
お葬式であっても、“良い葬式”であったかは、故人への
思いがどれだけ(参列者)に伝わるかです」と。

さらに「病院が紹介する葬儀社は、絶対使ってはダメです。
彼等は、ご遺体を人間と見ていません。お金としか見て
いません」との 爆弾発言も。

要は「日頃からお寺とのおつきあい」を密にしておくこと。
その家の事情がわかっていれば、「どのようにでも して
差し上げます」と。

「短い法話」のはずが1時間も、誰も席を立たず、ホットな
話しになり、これまた感動でした。寺はこうして、大衆の
中にはいって、大いにコミュニケーションを深める必要がある
と私も思います。

(私が「坊さんを呼ばない」というのは、私の家は「神道」
ですし、それより「虚無僧」は「普化宗」ですから、特定の
宗派の僧侶は呼べないということです。祭壇も遺影も無し。
ただ尺八の吹奏のみで結構なのです)






最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。