現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

世阿弥配流の謎

2018-06-03 17:15:05 | 虚無僧日記

佐渡では能が盛んだ。能舞台があちこちに在る。
それは能の大成者、世阿弥が流されてきた地だからだ。

ところが、なぜ世阿弥が佐渡に流されたのか、理由は全く
判っていない。その後世阿弥が許されて京都に戻ったのか、
佐渡で失意のうちに亡くなったのかもはっきりしない。

世阿弥の父観阿弥は世阿弥が22歳の時、駿河(現静岡市)で
演能の後、客死している。また世阿弥70歳の時、息子元雅も
津で変死する。その2年後、世阿弥は72歳の高齢で佐渡に
流されるのである。

井沢元彦氏は、破天荒な推理をしている。
観阿弥、世阿弥は楠木正成と縁戚関係にあった。世阿弥は
12歳の時、足利三代将軍義満に見出されて寵愛を受けていた
が、父観阿弥は、なんらかのトラブルで、足利一族の今川氏に
よって殺害された。世阿弥は、父を殺された恨みを忘れず、
つまり“初心忘れず”、義満暗殺の機会を狙っていた。
そしてついに46歳の時、義満に毒をもって、本懐を遂げた。

義満暗殺の首謀者は、長男で4代将軍となっていた義持。
義満は次男義嗣を天皇にしようと企んでいたため、義持は
それをやっかみ、世阿弥に義満を殺させた。だから義持は
父義満が変死を遂げたにもかかわらず、下手人の詮索もせず、
さっさと葬儀をおこなって、父義満の建てた相国寺は金閣寺
のみ残して全部取り壊し、弟義嗣の立太子も反故にし、
あげくのはて、10年後、義嗣を殺している。

義持には子が無く、義持の死後5代将軍となったのは、腹違
いの弟義教。義教は、義持が寵愛した世阿弥を疎んじ、世阿弥
の弟の子(つまり甥)の音阿弥を贔屓にした。それで、世阿弥の
子元雅を殺害して、世阿弥の直系を絶やし、義満殺害の直接の
下手人として世阿弥を佐渡に流した。

実は、一休の生涯はこれと深く関わっているのである。
一休こそは、100代後小松天皇の子であり、101代天皇に
なるべき人だった。それが、義満のわが子義嗣を皇位に
つけるという企みで、一休は6歳で安国寺に預けられ
たのだ。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。