現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

明治4年太政官布告にて虚無僧は禁止された

2021-11-29 15:55:11 | 虚無僧って?

明治四年 太政官布告

普化宗ノ儀、自今被癈候條。 

住僧ノ輩 民籍ヘ編入シ、銘々ノ望ニ任セ、地方ノ適宜ヲ以テ 授産方 可取計事 大蔵

但シ、癈宗ノ寺跡 歸俗ノ本人ヨリ相望候ヘハ 相當ノ地代ヲ以テ拂下ケ 年貢諸役可為相勤事

大蔵省伺
凡ソ 釋氏(釈迦)ノ教法中 世ニ虚無僧ト稱スル普化ノ一宗ハ 元来 勤懲ノ教化ヲ為ズ 又 四民ノ葬祭ニ關セズ 獨リ有髪ニシテ 身ニ袈裟ヲ纏ヒ 頭ニ天蓋ヲ戴キ 唯宗門ニ寶器ト唱スル尺八ノ一管ヲ吹調シ 以テ 施物ヲ四方ニ乞碌ス。一世ヲ浮食スルノミ。 其我邦内ヘ弘通ノ遡原ハ 建長六年四居士[普化ノ四僧ヲ云] 来朝 禪師普化ノ法幢ヲ傳ヘ 由来歳月ノ久敷 盛衰時アリ。 近クハ慶長ノ頃 兵馬戡定ノ際ニ接シ 徳川氏ニ於テ一時ノ權道ト相見へ 武門落魄ノ士 或ハ 故アツテ人世ヲ忍フノ徒 髪ノ有無ヲ問ス 這宗門ニ入リ 天蓋ヲ以 面容ヲ隠スヘキ宗制ヲ許セシ趣ニ候得共 百度維新ノ今日 脱籍無産四方無告ノ徒 身ヲ宗門ニ忍フヘキ者等ハ 人世一人モ無之ハ勿論ニシテ 開明ノ御政躰ヨリ論シ候ヘハ 尤有害無用ノ一宗者 加之其虚無僧ト唱スルモノ従前多クハ品行ヨロシカラサル武士の流族ニ出テ自然平素ノ所業傲慢無禮ニ渉リ 僻遠ノ村落 托鉢歩行ノ節々 良民ヲ苦シメ候趣 往々相聞ヘ民風ヲ興起シ 王化ヲ宣布スルノ今日ニ臨ミ如此人類ヲ其マゝニ差置レ候テハ必ラス民情ヲ蠧シ風俗ヲ壊リ其害モ不少候間斷然這一宗ヲ癈絶イタシ度尤國内大凡六十ケ寺程有之候得共追々無住 或ハ 歸俗等イタシ 即今有住ノ分半ニ過キス候間 自今宗号癈絶ノ上ハ 當住ノ僧徒 歸籍歸産ノ方法ハ 各地方官ニヲイテ 夫々所分イタシ候ハゝ 更ニ将来ノ事故 決テ有之間敷ト存候 依之公布按取調此段相伺申候也 

十月 大蔵伺之通

かつては往時100カ寺を数えた虚無僧寺も、江戸幕府の取り締まりで、明治4年には「60カ寺ほどで、その半数は無住」であった。虚無僧寺とはいっても、京都明暗寺でさえ4~50坪の小さな草庵である。5人も住めない。30カ寺に平均5人ずついたとしてもせいぜい150人である。最盛期でさえ500人くらいと思われる。

それにしては、浮世絵などでさかんに描かれ、存在感は大きかった。

現在、虚無僧愛好家は 200~300人。江戸時代とさして変わらないのである。もっもと、人口比は1/4になったが。

 


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