現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

虚無僧の短刀と房紐は自決のため?

2014-07-10 05:12:54 | 虚無僧日記
虚無僧も、江戸時代の初め、元禄の頃までは、
刀を差していた。元は武士、浪人じゃからのォ。

やがて、幕府によって「“虚無僧”というからには、
僧であろう。僧が刀を帯びるとはけしからん」と
禁止された。その後は、虚無僧は、錦の刀袋に
替え尺八を入れ、1尺の大白房を下げて 差している。
印籠とともに、元は武士の“見栄”じゃ。

虚無僧は、元武士の“見栄”もプライドも捨てる
べきなのに、未練じゃのぉ。

昨日も「これは何がはいってるのか?」と聞かれた。
「元は武士の名残り」なんて答えたが、実は、私は
脇差しの鞘(さや)をいれている。おさまりがいい。


千日回峰行を達成した「酒井雄哉大阿闍梨」師。
回峰のさいは、白い組紐と懐剣を帯びるとのこと。
これは、修行半ばで挫折したとき、首を吊るか、腹を
かき切るためのもの。つまり「死ぬ覚悟を示す」もの
だそうだ。

なるほど、虚無僧の白い房紐と短刀も、いよいよ尺八が
吹けなくなったとき、自決のためのものと悟る。


寛政元年(1789)年、三河幡豆郡(愛知県西尾市)の八面山
(やつおもてやま)で、一人の虚無僧が野垂れ死にした。
彼の所持品明細記録が残されている。その中に「さすが」
というのがある。ネットで検索したら、脇差の一種で
「刺刀(さすが)」とある。

「ひげ剃り」用かと思ったら、「髭剃り用の小刀」は
別に持っていた。「刺す刀」だから「鎧通し(よろいどうし)」
のように刃の太い短刀だそうだ。「竹の根堀りに使うため」と
説明されている。

ついでに、脇差を左腰に差すのは、「腹部を切られない
ように 守るため」という解説もあった。

そうなのじゃ。虚無僧の私が 左腰に刀の鞘を差しているのは、
暴漢に包丁などで襲われた時、 身(腹)を守れる、とは
感じていた。虚無僧の必需品なのだぁぁぁ。

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