枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

山の日、水無月

2017年08月11日 | Weblog

 この季節に、浮かれ気分でだけは、山に入らないでもらいたい。夏だから、と薄着であったり、自然への配慮を怠れば、それなりの報いがある。人間中心の生活をしていて、山の日だけというのは過ちが多い。何の考えもなく、決めるのは疑問。

 先日も、燕が巣から転落したのを、可哀相と餌を与えていたが、結局は冷たくなっていた。親鳥がする範囲を、悪戯に人間が手を出さないのがいい。自分に出来るのであれば、自信を持って遣ればいい。中途半端なことには、拘らないのも自然。

 どんな物にも命があり、それらを人間の都合勝手で、奪って良い法はない。そもそも、燕に巣を作らせないで、追い立てておいて、壊したのは誰だろう。自然の持つ本能を信じて遣らず、人間の都合を振り回したのだ。そっちの方が理不尽では?

 何時も、いつも。親指姫が居るとは限らないし、もぐらの婆さんも捨て置くとは思えない。小さな親切、大きなお世話とは、よく言ったものだ。玄関先に巣をかけた時、汚いだの、糞が落ちるだのと大騒ぎして、配慮の欠片もなかったのも忘れている。

 野菜を作れば、虫が居るのは当然。それらを捕ってくれるのが燕だ。自然の摂理を無駄にしておいて、巣から落ちたことばかり優先するが、それもまた自然の掟である。南の島に帰る、体力も気力もない生き物では、到底仲間にはできないもの。

 今朝のこと。早朝から、裏の餓鬼共が玄関に出てきて、ラジオ体操までの時間を大騒ぎである。親は不在で、姉等が面倒を見ているが、それにしても近所迷惑なのは云わず永も。早朝に起きるのも、虫探しをするのも勝手だが、少し静かに!!

 早で勤務なら、そのまま起きる時間だが、布団に入って過ごす。まあ、夏休みのことでもあり、と大目に考えてもいいが、引っ越して来て以来、深夜に騒ぐわ、秩序を守らない。ゴミはそこら中散らかす。親が居ないので、躾はさっぱりできていない。

 金星の輝きに、冬の間魅了される。比較的に晴れ間が続くのは、大気が澄んでいるからだが、自然に眼を向けて。

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