枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

既に、72年が・・・

2017年08月06日 | Weblog

 広島に、原爆が投下されて、72年も経った。この年齢の方よりも、歳が上の方々には、今尚心の傷は元より、深い痕が残る。人間の身体の内部は、人目には触れないが、原爆症の痕跡は、心身を脅かす。放射能汚染の恐怖は、今尚。

 黒い雨、はだしのゲンは読み、丸木夫妻の原爆図も観たが、余りの惨状に言葉もなかった。今以て、広島に行けないのは、無念の思いで亡くなった方々の姿が見えるからだ。他の書物も読んだり見たりしたが、あの場所に翔けていくことも。

 戦争はしない。争うことは避けよう。原発の再稼動には反対する。人間の、どんな力を持ってしても、命は還らない。核戦争が起きれば、地球が無くなる。人種も国境も無くなる。宗教の差など存在しない。人が人であること、生き物凡てが。

 お釈迦様も、イエスも助けてはくれない。自分の身は、己で守るしかない。か弱さも、小ささもなく、全てが同じであろう。どんな小さな物にも、命は宿る。人間だけが偉く立派な訳ではない。憲法の改正をして、共謀罪でしょっぴくのかなぁ。

 戦争をしたければ、自分独りでやってください。式典で、どんなに綺麗事を並べても、日頃の行動や、発言がひっくり返すものです。丁寧な説明等、今まで一度も聞いたことが無い。感情の赴くままに、その場逃ればかりだ。謙虚さは微塵も。

 広島の空に、有無を言わさず消えた命達。どうかやすらかに、と無念の想いを祈りましょう。彷徨う心が、何時かきっと居場所に逝けますよう願って。わたくしたちは、阿鼻狂乱の想いで亡くなられたことを、忘れはしません。それを引き継いで。

 魂は、何処にいくのでしょうか。天国でも、地獄でもなく、亜空間を漂うのでしょうか。それとも、地上に降りてきて、新しい命へと代わっていくのでしょうか。戦争の哀しみも、命への尊さも消えれば、棲む場所さえもない。地球は滅びてしまうよ。

 今年の元旦の、枇杷葉の様子。新暦のお正月より、旧暦で祝うので、ちょっとした違和感が抜けないが。

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