営団には父とかおばあちゃんが昌生の表現によるとサンタクロースのように荷物を持って訪れた。克ちゃんも来てラジオや電気のコンセントなど直してくれた。池田益男さん久男さんが電車の中で朝鮮人に囲まれ大立ち回りをしたなどの話しを聞かされた。私は配給の仕事で益々忙しい。
5月になって東京裁判が始まった。彼等は毎日巣鴨拘置所からバスに乗って明治通りを通り市ヶ谷の元陸軍省大講堂であった法廷まで往復するのだ。私も似たようなコースを歩いて通った。そして彼等のやり取りを新聞で読む。マッカーサー元帥の占領政策は初めの6カ月は進歩的であったが経済面は弱かった。GHQ内部の競争があったようだ。1945年から51年まで占領政策時代を終えて元帥は日本人から感謝されて帰って行った私も心から感謝したいと思う。