のぶちゃんの自叙伝

明治43年生まれの父が書いた激動の明治・大正・昭和を生き抜いた一サラリーマンの自叙伝を紹介する。

終戦第4節 発疹チブス(2)

2011-03-11 13:27:03 | Weblog

5月24日には70000個の焼夷弾が落ち、25日にはもっと多かった。4月の空襲の時には私は大蔵省の庁舎内に居た。職場には職員全体が組織する特別防護団があった。その時は私の当番日であった。実さんも一緒である。隊長は小川潤一という方で背の高い人であった。当番には手当金の外にカンパンなどが配給になりひとり者ににとっては悪くない。


終戦第4節 発疹チブス(1)

2011-03-06 17:38:35 | Weblog

戦争中にも陽気が良くなって桜が咲く頃は何となく心が浮き浮きする瞬間がある。これで世の中が平和であれば申し分がないのだが、健康状態が良くないところに陽気が緩むと発疹チブスが流行りだした。渡辺亀さんもこれにかかりあっけなく死没した。私は実さんと悔やみに行った。残された2人はいよいよ固くなった。3月10日の夜間空襲で都心部が焼けた。次に4月13日夜、B29が170機、焼夷弾5000発、死者135名、被害家屋16万戸、被災者54700人という広範囲のものであった。