のぶちゃんの自叙伝

明治43年生まれの父が書いた激動の明治・大正・昭和を生き抜いた一サラリーマンの自叙伝を紹介する。

第7章 大震災(13)

2005-05-30 13:24:10 | Weblog
大通りはこれから市場が開かれようとする風に縁台が並べられ、
ゴザが敷かれ、飯櫃、茶碗が持ち出され両側の家のこちら側と
向こう側に2列にならんでいる。
時がたつにつれて大掃除の時のように畳が持ち出され、
回りに戸板がたてられ、野営の仕度をしている。
私も両親に言われたのかもしれないが、とうとう家の中には
入らなかった。
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第7章 大震災(12)

2005-05-29 11:50:58 | Weblog
(3)講談社刊「震災記」
   神奈川県は東京よりもひどかった。「鎌倉大町の菓子屋の小僧が
   津波の知らせに舟に乗ったところ、沖合いにもってゆかれ、ドーンと
   もとの所に戻されて来た」
(4)或青年は下図のように事務所について、机から立ち上がって玄関の所
   まで行ったが倒壊したので下敷きとなり火災で焼死した。
   机の下にもぐった者は九死に一生を得た。
(5)本所深川では安田薬次郎の子息が猛火のためつむじ風に吹き飛ばされ
   顔にけがをし、池の中で回りを火にとりまかられた。
   その子供と共に煙にむせて窒息しそうになった。
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第7章 大震災(11)

2005-05-28 15:15:54 | Weblog
色々の人が書いているその時の状況を2~3掲げると。
(1)寺寅氏(地震学者、漱石門下の随筆家)
   上野の二科展に行き友人と喫茶室にいた。第一地震があり
   会場の屋根が波のように揺れるのが見えた。
   しばらくして又大きなのが来たので外に出たら空は嵐の雲が
   ちぎれ飛んでいた。
(2)中央公論特集号
   (イ)山の手方面
   私は中学2年生で弟と2人で食事をしていたが上下動で中庭に
   飛び出した家が1尺2~3寸(錯覚)も揺れていたように感じた。
   家の瓦は落ちなかったのでそこに登って10数箇所から上がった
   火の手を眺めた。
   (ロ)三浦半島方面
   その時私はいきなりドーンと大音響を聞いた。一瞬のあとに強烈な
   上下動がきて足をすくわれたて地面に投げ出された。
   座ったままで家屋の方を見るとそれが突き上げられ瓦全体が空中に
   浮いて全部一辺にザーッと落ちて屋根が裸になった。

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第7章 大震災(10)

2005-05-27 12:48:11 | Weblog
母は家の掃除をしている。丁度昼食の仕度中だったが鉄瓶の湯で
火鉢の火を消したとのこと。飯は土砂で泥んこになったので
改めて炊いて握り飯を食べる。
私は縁台の上に敷いた茣蓙の上に寝転んだ。その内に心配していた
松枝と敏男が帰って来た。松枝は(当時9歳)父の使いで大通りの
向う側出島屋の隣にある煙草やに行き1円札でお釣りを貰う時に
第1地震が来た。おばあさんが上からかばうようにした相である。
敏男は朝日新聞社に仕事の使いに行って徒歩で大分暗くなって
戻って来たのだ。
これで一家はそろって無事だったわけである。吉太郎さんは
早速江戸川の自宅に帰って行った。その後はついに会っていない。

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第7章 大震災(9)

2005-05-26 14:49:58 | Weblog
障子は倒れ下駄箱も横倒しになっている。私は裸足のまま大通りに走って出た。
大通りは近所の人が出ていた。肥った隣のおばさんが真っ先に見えた。
そん間にも地震はひっきりなしに止まず、足がぶるぶるふるえた。
それは地震の間隔が段々延びて振動も小さくなった夜になるまで
ふるえが止まらなかった。
もうあんな大きな奴はないということが分かるまでそれは1~2分置きに
地面が揺れて角の水谷時計店と隣の藤家具店の家がぶつかるように
動いているのが気持ち悪かった。
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第7章 大震災(8)

2005-05-24 15:48:29 | Weblog
家の中では危険を感じたので4人で壁土でザラザラになった
梯子段を駆け降りた時に第2震(揺れ返しと言う奴で第一震と
同程度のもの)が来た。
階下に居た母(当時39歳)と一緒に5人で神棚の下に固まった。
私は脇にある箪笥の引き手につかまって神に祈った。
幸い家はつぶれなかった。揺れ返しが終わると「瓦に注意して」
という父の声を後ろに玄関口に出た。
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第7章 大震災(7)

2005-05-19 14:23:09 | Weblog
さっきのゴーッといううなり音は家が壊れる音が響いてきたものなので
向かいの加辺さんの家の屋根瓦が振動でずり落ちると見るや自家の
瓦が大雨の落ちるように家の窓を覆ったとばりのようにその音響と
土砂の砂煙がもうもうと辺りを暗くする。
その間中妹の波江は(当時12歳)は泣き声を立て続けである。
家の中は天井から下がった電燈がその天井にとどかんばかりに
ゆれ踊っているし壁は全部ずり落ちて竹のアバラ骨を露出している。
第一震が止んだ(振幅15センチ=人間が立っていられない、
周期2秒、継続1分、安政型よりも元録型)
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第7章 大震災(6)

2005-05-14 11:35:29 | Weblog
ちょうどメンタルテストで算術の本を整理している時だった。
僅かな初期動が襲って来た。それはいつもの地震と同じものだなと
感じる間もあらばこそゴーッという唸りが遠くのほうから伝わって来た。
そうしてグイッと地面が大きく持ち上がってから横に揺れだした。
これは大きいなと思って、とっさに立って例の白髪三千丈の柱につかまった。
そこには期せずして父、吉太郎さん、波江の4人が寄ってきて柱を囲んで
つかまった。ちょうど部屋の中心部にある大黒柱という所である。
吉太郎さんが「これは大きいですよ」と言った。
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第7章 大震災(5)

2005-05-13 14:51:08 | Weblog
木造スレートにグリーンが塗られている古びた校舎だが
どっしりした偉容を見せてそれがポプラの樹に囲まれて
広い敷地に建っている。芥川、久保田、河合、浅沼、豊島
川端、大河内などが先輩として卒業している。
この校舎を見納めにして私は自宅に11時半頃についてすぐに
日当りのよい二階の部屋に上がり床の間を傍にして自分の机に
向かった。
この机は新型の開き蓋で3中入学の記念に買って貰ったものだ。
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第7章 大震災(4)

2005-05-12 14:03:51 | Weblog
私の当時の作文には次のように書いてある。
「折り目についた霜降りの夏服に久しぶりの革靴、
それに校章を付けた鍔広の麦藁帽(普通は白い覆布を学帽に付けるのだが
夏の暑いときはこれが許された)友達の顔も懐かしい。
その時照り付く朝の太陽の天候が急に変わってポツンという雨の
音が忽ちに大降りとなった。
地面にしゃがみこんで話をしていた生徒達も棒切れを捨てて校舎に駆け込む。
私は軒下に駆け込んで空を眺めた。久らくも経たぬうちに雨は綺麗に
上がって屋根から湯気が立ち上がる一瞬の出来事のような気がした」
始業式は広瀬校長の話がありやがて我々は校門を出た。
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