今年、僕は32歳になった。デビューの日から9年。365日×9=3285日。数字にしてみれば、不思議なくらい僅かな日々の間に、GLAYは奇跡の変貌を遂げた。
93年にはライブハウスに100人足らずの客が入っただけで祝杯を挙げ、デモテープが10本売れたといっては一喜一憂していた。
●昔のままのメンバーの関係
それが4年後の97年、リリースしたベストアルバム『REVIEW~BEST OF GLAY』は発売一週間で300万枚を突破する。翌98年夏のツアーの観客動員は全国7カ所13公演で50万人に達した。
そして99年、幕張メッセ。僕らは少年の日に描いた夢を実現する。ステージに立った僕たちの目の前に広がるのは文字通りの人の海、その数20万人。有料コンサートとしては世界記録を塗り替えるイベントになった。
空にはGLAYの名を冠した日本航空のジャンボジェットが就航し、GLAYが降り立てば大地は瞬く間にファンで埋め尽くされ、アルバムが発売されるたびに記録という記録を塗り替えていく。
とはいえ、GLAYの中身が変わったわけではない。僕もテッコも、あいかわらず函館弁が抜けていないし、メンバーの関係も昔のままだ。
宴会するのも、旅行にいくのも一緒。もちろん、それぞれ大人になれば、家族も増えるし、交友関係も広がる。いつもべたべた一緒にいるわけではないけれど、気が向いたら電話して、夜中でも遊びにいってしまうという関係は今も昔も変わらない。
暇になるとメンバーを誘ってスタジオに入る。仕事のためではなく、自分たちの好きな音楽をやるためにだ。テッコがドラムを叩き、僕がギターを弾いて 好きなだけ曲を作るのだが、発表する気はない。
まあ、みんなに喜んでもらえそうな曲が出来たら発表するだろうけれど、それは純粋に僕らの楽しみなのだ。世間一般の常識からすれば、GLAYがブレイクしたなどということよりも、そういうことの方が奇跡になるらしい。
●夏休みを終わらせたくない
「どうして、GLAYはそんなに変わらないんですか。」 という質問をよくされる。
函館出身の田舎者だから?高校時代から一緒に苦労してきたから?どうしても答えなければならないときは、そんな理屈もつけてみるのだが、実は僕にはまったくわからない。
いや、わからないのは、どうしてそういう質問が成り立つのかということだ。なぜ、歳をとったり、売れたりしたら、人は変わらなきゃいけないんだろう。そんな必然性はどこにもない。
僕たちはいくつもの大きな夢を追い続けたけれど、考えてみれば、僕らが心の底から実現したかった夢はたったひとつだった。つまり、僕らは僕らの夏休みを終わらせたくなかったのだ。
いつまでも、あの高校時代のようにみんなでバンドを続けたかった。結局のところ、そのためのGLAYであり、幕張の人の海であり、何百万枚のレコード売り上げだったのかもしれないとすら思う。
ほんとうのことをいえば、その成功のひとつひとつの間には、アマチュア時代とは比較にならないほど深く暗い闇が横たわっている。壁をひとつ乗り越えると、行く手にはさらに高い壁が待ち受けていた。
苦労して壁を乗り越えるごとに、GLAYは怪物のように巨大化していった。広い平原を四人で歩いていたつもりが、気がつくと、超高層ビルの間に渡された細いロープの上を渡っていた、みたいなものだ。
その気の遠くなるほどの高みから見下ろすと、昔はなんとのどかで自由だったことか。
●高校時代の友人のまま
早い話が、昔ライブハウスにでかけるときは、ギター1本抱えて行けばよかった。でも今ではひとつのコンサートに、11トントラックが70台必要になった。四人で始めたGLAYが、何十人ものスタッフに支えられて存在する怪物になった。
飛び上がるにしても、倒れるにしても、身動きひとつするのでも、以前とは桁違いのパワーが必要だし、それに伴う責任や影響の大きさを考えなければならない。
そのことに不服をいうつもりはない。それが大人になるということなのだろう。まして、その過程でできた新たな仲間や、大勢のスタッフとのつながりの中で仕事をしていくことが、今の僕の喜びなのだから。
ただ、どうして僕らは変わらなかったのかではなくて、変わらなかったからこそ、高校時代の友人のままでいられたからこそ、そのあまりにも高い壁を、僕らは乗り越えることができたのだろうと思うのだ。
もし変わっていたら、GLAYなんてとっくの昔に消えている。
【記事引用】 「胸懐/TAKURO・著/幻冬舎」