『ロミオ&ジュリエット』を観て来ました。
演出:ジョナサン・マンビィ
美術・衣装:マイク・ブリットン
台本:青木豪
出演:佐藤健(ロミオ)、石原さとみ(ジュリエット)、橋本さとし(ロレンス神父)、キムラ緑子(乳母)、長谷川初範(キャピュレット)、賀来賢人(ティボルト)、菅田将暉(マキューシオ) 等
上演:赤坂ACTシアター
これまでいろいろな人が演じるいろいろな形態の「ロミオとジュリエット」を見て来ましたが、年々思うのは、これは本当によくできた戯曲だなー・・・・・・ということです。
若手俳優の登竜門的作品というか、もしくは通過儀礼的というか・・・・マイル・ストーンとして、これほど適した作品はないと思う。
佐藤健さんが初舞台作品としてこれを選んだのは、とても賢明であり当然でもあると言えるのではないでしょうか。
主役であるロミオとジュリエットって、若手にしかできない役柄だと思うんですよ。
少なくとも20代前半までの俳優にしかできない。
この二人の悲恋のリアリティって、やっぱ恋に恋しての初めての生身の恋の熱情というか、若いゆえの勢いとか、若いゆえの潔癖さとか狂気とか、むちゃくちゃに突っ走ってしまえることの説得力って、10代だからこそだと思う。
いい歳した人が、たとえどんなに上手く演じたとしても、「いい歳してなにやってんだか・・・・ロミオとジュリエットは若手にやらせてやれよ。」と、どうしても思っちゃうし。(苦笑)
恋愛沙汰で死ぬだの生きるだので盲目的になれるのは、若いからこそリアルで、だからこそ憐れなんですよね。
そして、昔ジュリエットを演じた人が、その後、乳母役を演じる、というようなことはよくあることだと思う。
ベテランはベテランで、神父や乳母役でその力を思う存分に発揮できるというか。・・・・
劇中でこの二人が若い二人の理解者であるように、舞台上でも若い俳優をサポートする重要かつ面白くてやりがいのある役回りを演じることができる。
そしてまた、ロミオの友人たちもそれぞれ個性が際立ってておもしろく、いい見せ場が各々ちゃんと用意されていて、本当によくできてるんですよね。
私はなぜか昔から、マキューシオという人物造詣がすごく気になる対象でして。
それこそ、小田島雄志さんのシェイクスピア全集を初めて読んだ時からの。
いわゆる"機関銃トーク"系キャラクターの大元になった人だと思う。(笑)
ロミオの悪友で、動きはいつも軽快、気の効いた毒舌をまくしたて、でも憎めない人。基本、闊達で愉快な人のような感じがあるのに最後の最期で、「両家とも滅びるがいい!」と、まるで呪いの言葉のようなものを吐いて絶命するのが幼心にショックだった。
だからどんな作品で誰が演じようが、マキューシオの言動にはどうしても注目してしまう。
どういう風に演じられるのか、とても興味を掻き立てられるキャラクターです。
今回はというと・・・・・私的にはちょっと・・・・・・・ごめんなさい。(苦笑)
ファンの方がいたら申し訳ない。初めて拝見するお名前の俳優さんですけど、私は彼が一番うまくない、と思ってしまいました。
かなり重要な役柄なのに、周りの足を引っ張っていたかも。・・・・
マキューシオの死に様があるからこそ、ロミオの逆上があるんですよね。
ロミオがティボルトに復讐をする理由を、マキューシオが体現しなくちゃ流れが成立しない。
それに、死者が出たことでこの両家の争いがどれだけ深刻化しているのか、一気に表沙汰にされて思い知らされる感もある。
ロミオとジュリエットの秘めたかわいい恋愛が、途端にシビアで抜き差しならないものになる。
まさに急転直下。
だからマキューシオの最期の呪詛の言葉は、震撼とさせる響きがあってこそだと思うんです。
今回のマキューシオさんは、舞台経験の少ない俳優さんなのかなー・・・・と。
セリフ回しに余裕がなくて、役柄や演技を掘り下げるまでには至っていない感じがしました。
まあ、まだまだ先は長いと思うので、どんどん成長していったらいいんじゃないかなー・・・・・と思います。
ベテランさんたちはさすがの安定感でした。
長谷川さんやっぱすてき・・・・!と思ってしまう私は筋金入りのおっさん好き。(苦笑)
初代野獣郎こと橋本さん、お馴染みの緑子さんは、観ていて安心感があるし、やっぱ空間を創り上げるのがうまいのかなー・・・・と。
なんだろう・・・・・一瞬にしてそのシーン全体にリアリティを醸しだす何かがある感じがしますね。
スケール感?が適切というか。
石原さんも、その場の空気をさっとまとめる支配力をすでに身につけてる感じがしました。
さて、たけるんは・・・・・。
やっぱ、まだまだ舞台向き演技は訓練中、という印象でした。
アップで細かな表情をもっと観たかったと何度か思ってしまった・・・・。映像向きの演技かな、と。・・・・
全体的にもう少しボリューム、スケール感を上げる必要があるのかも。
立ち姿に手持無沙汰感が滲み出ちゃう感じがちょっとしちゃうんですよね。・・・・いかにも指定された立ち位置に立ってます、視線の方向はこの位置と決められています、というのがほんのり見えちゃうというか・・・・まだ身体に固さがあるのかも。
でも声はいいですね、彼は。
堤さんやRDJrとかにも思うけど、高いとも低いとも言えない声なんですよね・・・・場合によって両方出る。たぶん倍音が多いタイプなんだと思うんです。
それでいてちょっと特徴もある。聞き分け易い声です。イケメン声だし。(笑)
セリフ回しもとても自然で素人っぽい恥じらいとかは一切感じさせないし、もっと経験を積めばどんどん上手になりそうとは思いました。
でも難しいですよね。・・・・・・映像と舞台と、演技のボリュームを調節できる日本人俳優さんってめったにいない気がするので。・・・・・大抵、どっちかに偏り気味というか。・・・・・
私は映画ファンなので、映像で舞台っぽい演技を観せられると、途端に作品からリアリティが消し去られた気がしてうんざりさせられる時があります。
映画は映像として、徹底的なリアリズムで画面の隅々まですべてが実物として造りこまれていることが多いので、その上で舞台のボリュームの演技を重ねられると、周囲のすべてが途端に嘘くさくなって鼻白むというか。・・・・・
でも逆に、舞台の場合は、セットや衣装も「ある態」で簡略化されているものや抽象的なものの場合も多いから、役者の演技でリアリティを加味する面が多いような気がするんです。
演技のボリュームを上げることで、その場全体のリアリティを成立させるというか。・・・・・
堤さんが映像と舞台の両方で高い評価を得られるのは、このボリュームの塩梅が絶妙だからなんじゃないかなー・・・・と。
ラッセル・クロウが以前、「時代劇の場合は、舞台的演技が要求される」というようなことを言っていたんですが、堤さんはその辺の配分も絶妙だな、と。
たとえば侍の口調や所作、SP革命篇での演説シーンなんかでは、舞台的な演技をした方が映えるし、逆にリアルになると思うし。
しかし・・・・・たけるんに舞台演技にもっと染まって欲しいかと言うと、私としては、あんまり染まって欲しくはない、かも。・・・・(笑)
演技に関しては、目つき目の色、視線の動きや口元の動き、微妙な佇まいや表情の変化から読み取る感情や、声の調子や口調のわずかな違いとかが私はとても気になる方なので、舞台スケールの演技だとおおざっぱもしくは大仰に感じて、違和感を覚えてしまうことも多いので・・・・。
先日、映像で見た『寿歌』しかり、あのラストの堤さんの表情を見るのと見ないのとでは、作品全体の印象も違って来てしまうし。
堤さんは舞台のスケールで演技しながらも、映像で間近に寄られてつぶさに撮られても遜色ないリアルな表現をすることができるからすごいんだろうなー・・・・と。
タモリさんがミュージカルをあまり好かない気持ちもよくわかるんですよね。・・・・徹底的なリアリストなんだと思う。
ま、そうは言っても私はタモさんほどはミュージカルは嫌いではないです。
ミュージカル映画で好きな作品もあるし。
それに舞台独特の簡略化や抽象化、インスタレーションのような舞台美術や装置・衣装は、「体感させるファンタジー」の手法としては映画より優れていると思うし。一種のテーマパーク効果?
今回のこの舞台も、ユニークな美術や衣装で、すごく興味深かったです。
基本、ディカプリオが出演した映画『ロミオ+ジュリエット』のフォロワーという感は否めませんが、メインにしてる要素が「イギリス人から見た和風」なので、日本人から見るととても独特の世界観に。(笑)
一応、現代翻案なんですよね。ティボルトたちは革のブルゾンにパンツでナイフ戦だったりしますし、いわゆるギャング風で。
オヤジたちは、イタリアンテーラードのマフィア風。ヴェローナの大公は警視総監のような制服姿。
ロミオはカジュアルで明るい色目のスーツ(というかジャケットとパンツ)。
ジュリエットは、ロミオとの出会いのシーンでは翼を付けていたりするので、ほんと『ロミオ+ジュリエット』っぽいんですが、モチーフはウェストコーストではなく和風、なんですよ。
たとえばモンタギューとキャピュレットが対峙するシーンの背景画は、グラフィティ風に描かれた巨大な竜虎図だったりします。
キャピュレット家のパーティーに潜入するロミオ達は仮面がわりに般若の面をかぶってたり。
ジュリエットのドレスは着物の白無垢生地の鶴文様のような織柄が入ってたり。キャピュレット夫人のドレスは袷があって完全にキモノ風。
それで、セリフは小田島さんの訳に近い、古典的で詩的な原典型。しかし、揶揄や野次のシーンや繋ぎのセリフは現代語になっていたりします。
白い服を着た女性が一人(すべてを見守る精霊?)、常に舞台上に居て、彼女が要所要所でBGMを唄うんですが、これはすべて英語歌詞。ソウルフルな歌声でものすごく上手いんですが、たぶん日本人の方だと思うんですけど・・・・・。
これらすべてひっくるめてほんと独特のカオス感としかいいようがない。(笑)
観劇経験が少ない私には適切な表現が難しいのですが、オフ・ブロードウェイぽい前衛さというか。・・・・・
満員の客席でしたが9割は若い女子という観客なので、歌の英語歌詞は日本語に訳した方がよかったんじゃないかなー・・・・と思いました。
で、現代とはかけ離れたいかにもシェイクスピアっぽい詩的なセリフが延々と続き、突然、今っぽい下ネタ(たぶん英語ではギャングなスラングなんだろうなと)が挟まってきたり。
しかも演出家さんはイギリス人だからか、ちゅーシーンはばんばん入ってきます。
たけるんと石原さんは合計15回ぐらい、かなり熱烈なちゅーをば繰り広げてました。(笑)
おかげで客席の女子たちは翻弄されまくり、というか、どういうスタンスを取っていいのか戸惑っている方々が多かったような印象でした。
たけるんの耽美的なセリフに浸ろうとすると、ギャングなお仲間が出てきてテレビの学園ドラマっぽい雰囲気になり、なのに日本人ではありえないぐらいの濃厚なちゅーの応酬で衣装は奇妙なジャポニズム。
しかも日本ではあまり馴染みのない神父の存在がかなりキーポイントですからね。・・・・・
いやはや。なんかいろんな意味ですごくおもしろかったです。観客の女子たちの反応も含めて。
「やばーーーーーい!やばいよね?!だってたけるってなんかリアルなんだもん。・・・・・この後、ベッドシーンとかもあるらしいよ。」とか「ちゅっちゅちゅっちゅしてるって聞いてたけどさ・・・・・」とか。(笑)
「石原さとみめっちゃかわいくない?」とか「ティボルトかっこいい!」とか。
あ、そうそう。
たけるんは、すっごく華奢で顔もほっそーーーいけど、脱ぐと意外と筋肉付いてました。
典型的細まっちょ。
演出:ジョナサン・マンビィ
美術・衣装:マイク・ブリットン
台本:青木豪
出演:佐藤健(ロミオ)、石原さとみ(ジュリエット)、橋本さとし(ロレンス神父)、キムラ緑子(乳母)、長谷川初範(キャピュレット)、賀来賢人(ティボルト)、菅田将暉(マキューシオ) 等
上演:赤坂ACTシアター
これまでいろいろな人が演じるいろいろな形態の「ロミオとジュリエット」を見て来ましたが、年々思うのは、これは本当によくできた戯曲だなー・・・・・・ということです。
若手俳優の登竜門的作品というか、もしくは通過儀礼的というか・・・・マイル・ストーンとして、これほど適した作品はないと思う。
佐藤健さんが初舞台作品としてこれを選んだのは、とても賢明であり当然でもあると言えるのではないでしょうか。
主役であるロミオとジュリエットって、若手にしかできない役柄だと思うんですよ。
少なくとも20代前半までの俳優にしかできない。
この二人の悲恋のリアリティって、やっぱ恋に恋しての初めての生身の恋の熱情というか、若いゆえの勢いとか、若いゆえの潔癖さとか狂気とか、むちゃくちゃに突っ走ってしまえることの説得力って、10代だからこそだと思う。
いい歳した人が、たとえどんなに上手く演じたとしても、「いい歳してなにやってんだか・・・・ロミオとジュリエットは若手にやらせてやれよ。」と、どうしても思っちゃうし。(苦笑)
恋愛沙汰で死ぬだの生きるだので盲目的になれるのは、若いからこそリアルで、だからこそ憐れなんですよね。
そして、昔ジュリエットを演じた人が、その後、乳母役を演じる、というようなことはよくあることだと思う。
ベテランはベテランで、神父や乳母役でその力を思う存分に発揮できるというか。・・・・
劇中でこの二人が若い二人の理解者であるように、舞台上でも若い俳優をサポートする重要かつ面白くてやりがいのある役回りを演じることができる。
そしてまた、ロミオの友人たちもそれぞれ個性が際立ってておもしろく、いい見せ場が各々ちゃんと用意されていて、本当によくできてるんですよね。
私はなぜか昔から、マキューシオという人物造詣がすごく気になる対象でして。
それこそ、小田島雄志さんのシェイクスピア全集を初めて読んだ時からの。
いわゆる"機関銃トーク"系キャラクターの大元になった人だと思う。(笑)
ロミオの悪友で、動きはいつも軽快、気の効いた毒舌をまくしたて、でも憎めない人。基本、闊達で愉快な人のような感じがあるのに最後の最期で、「両家とも滅びるがいい!」と、まるで呪いの言葉のようなものを吐いて絶命するのが幼心にショックだった。
だからどんな作品で誰が演じようが、マキューシオの言動にはどうしても注目してしまう。
どういう風に演じられるのか、とても興味を掻き立てられるキャラクターです。
今回はというと・・・・・私的にはちょっと・・・・・・・ごめんなさい。(苦笑)
ファンの方がいたら申し訳ない。初めて拝見するお名前の俳優さんですけど、私は彼が一番うまくない、と思ってしまいました。
かなり重要な役柄なのに、周りの足を引っ張っていたかも。・・・・
マキューシオの死に様があるからこそ、ロミオの逆上があるんですよね。
ロミオがティボルトに復讐をする理由を、マキューシオが体現しなくちゃ流れが成立しない。
それに、死者が出たことでこの両家の争いがどれだけ深刻化しているのか、一気に表沙汰にされて思い知らされる感もある。
ロミオとジュリエットの秘めたかわいい恋愛が、途端にシビアで抜き差しならないものになる。
まさに急転直下。
だからマキューシオの最期の呪詛の言葉は、震撼とさせる響きがあってこそだと思うんです。
今回のマキューシオさんは、舞台経験の少ない俳優さんなのかなー・・・・と。
セリフ回しに余裕がなくて、役柄や演技を掘り下げるまでには至っていない感じがしました。
まあ、まだまだ先は長いと思うので、どんどん成長していったらいいんじゃないかなー・・・・・と思います。
ベテランさんたちはさすがの安定感でした。
長谷川さんやっぱすてき・・・・!と思ってしまう私は筋金入りのおっさん好き。(苦笑)
初代野獣郎こと橋本さん、お馴染みの緑子さんは、観ていて安心感があるし、やっぱ空間を創り上げるのがうまいのかなー・・・・と。
なんだろう・・・・・一瞬にしてそのシーン全体にリアリティを醸しだす何かがある感じがしますね。
スケール感?が適切というか。
石原さんも、その場の空気をさっとまとめる支配力をすでに身につけてる感じがしました。
さて、たけるんは・・・・・。
やっぱ、まだまだ舞台向き演技は訓練中、という印象でした。
アップで細かな表情をもっと観たかったと何度か思ってしまった・・・・。映像向きの演技かな、と。・・・・
全体的にもう少しボリューム、スケール感を上げる必要があるのかも。
立ち姿に手持無沙汰感が滲み出ちゃう感じがちょっとしちゃうんですよね。・・・・いかにも指定された立ち位置に立ってます、視線の方向はこの位置と決められています、というのがほんのり見えちゃうというか・・・・まだ身体に固さがあるのかも。
でも声はいいですね、彼は。
堤さんやRDJrとかにも思うけど、高いとも低いとも言えない声なんですよね・・・・場合によって両方出る。たぶん倍音が多いタイプなんだと思うんです。
それでいてちょっと特徴もある。聞き分け易い声です。イケメン声だし。(笑)
セリフ回しもとても自然で素人っぽい恥じらいとかは一切感じさせないし、もっと経験を積めばどんどん上手になりそうとは思いました。
でも難しいですよね。・・・・・・映像と舞台と、演技のボリュームを調節できる日本人俳優さんってめったにいない気がするので。・・・・・大抵、どっちかに偏り気味というか。・・・・・
私は映画ファンなので、映像で舞台っぽい演技を観せられると、途端に作品からリアリティが消し去られた気がしてうんざりさせられる時があります。
映画は映像として、徹底的なリアリズムで画面の隅々まですべてが実物として造りこまれていることが多いので、その上で舞台のボリュームの演技を重ねられると、周囲のすべてが途端に嘘くさくなって鼻白むというか。・・・・・
でも逆に、舞台の場合は、セットや衣装も「ある態」で簡略化されているものや抽象的なものの場合も多いから、役者の演技でリアリティを加味する面が多いような気がするんです。
演技のボリュームを上げることで、その場全体のリアリティを成立させるというか。・・・・・
堤さんが映像と舞台の両方で高い評価を得られるのは、このボリュームの塩梅が絶妙だからなんじゃないかなー・・・・と。
ラッセル・クロウが以前、「時代劇の場合は、舞台的演技が要求される」というようなことを言っていたんですが、堤さんはその辺の配分も絶妙だな、と。
たとえば侍の口調や所作、SP革命篇での演説シーンなんかでは、舞台的な演技をした方が映えるし、逆にリアルになると思うし。
しかし・・・・・たけるんに舞台演技にもっと染まって欲しいかと言うと、私としては、あんまり染まって欲しくはない、かも。・・・・(笑)
演技に関しては、目つき目の色、視線の動きや口元の動き、微妙な佇まいや表情の変化から読み取る感情や、声の調子や口調のわずかな違いとかが私はとても気になる方なので、舞台スケールの演技だとおおざっぱもしくは大仰に感じて、違和感を覚えてしまうことも多いので・・・・。
先日、映像で見た『寿歌』しかり、あのラストの堤さんの表情を見るのと見ないのとでは、作品全体の印象も違って来てしまうし。
堤さんは舞台のスケールで演技しながらも、映像で間近に寄られてつぶさに撮られても遜色ないリアルな表現をすることができるからすごいんだろうなー・・・・と。
タモリさんがミュージカルをあまり好かない気持ちもよくわかるんですよね。・・・・徹底的なリアリストなんだと思う。
ま、そうは言っても私はタモさんほどはミュージカルは嫌いではないです。
ミュージカル映画で好きな作品もあるし。
それに舞台独特の簡略化や抽象化、インスタレーションのような舞台美術や装置・衣装は、「体感させるファンタジー」の手法としては映画より優れていると思うし。一種のテーマパーク効果?
今回のこの舞台も、ユニークな美術や衣装で、すごく興味深かったです。
基本、ディカプリオが出演した映画『ロミオ+ジュリエット』のフォロワーという感は否めませんが、メインにしてる要素が「イギリス人から見た和風」なので、日本人から見るととても独特の世界観に。(笑)
一応、現代翻案なんですよね。ティボルトたちは革のブルゾンにパンツでナイフ戦だったりしますし、いわゆるギャング風で。
オヤジたちは、イタリアンテーラードのマフィア風。ヴェローナの大公は警視総監のような制服姿。
ロミオはカジュアルで明るい色目のスーツ(というかジャケットとパンツ)。
ジュリエットは、ロミオとの出会いのシーンでは翼を付けていたりするので、ほんと『ロミオ+ジュリエット』っぽいんですが、モチーフはウェストコーストではなく和風、なんですよ。
たとえばモンタギューとキャピュレットが対峙するシーンの背景画は、グラフィティ風に描かれた巨大な竜虎図だったりします。
キャピュレット家のパーティーに潜入するロミオ達は仮面がわりに般若の面をかぶってたり。
ジュリエットのドレスは着物の白無垢生地の鶴文様のような織柄が入ってたり。キャピュレット夫人のドレスは袷があって完全にキモノ風。
それで、セリフは小田島さんの訳に近い、古典的で詩的な原典型。しかし、揶揄や野次のシーンや繋ぎのセリフは現代語になっていたりします。
白い服を着た女性が一人(すべてを見守る精霊?)、常に舞台上に居て、彼女が要所要所でBGMを唄うんですが、これはすべて英語歌詞。ソウルフルな歌声でものすごく上手いんですが、たぶん日本人の方だと思うんですけど・・・・・。
これらすべてひっくるめてほんと独特のカオス感としかいいようがない。(笑)
観劇経験が少ない私には適切な表現が難しいのですが、オフ・ブロードウェイぽい前衛さというか。・・・・・
満員の客席でしたが9割は若い女子という観客なので、歌の英語歌詞は日本語に訳した方がよかったんじゃないかなー・・・・と思いました。
で、現代とはかけ離れたいかにもシェイクスピアっぽい詩的なセリフが延々と続き、突然、今っぽい下ネタ(たぶん英語ではギャングなスラングなんだろうなと)が挟まってきたり。
しかも演出家さんはイギリス人だからか、ちゅーシーンはばんばん入ってきます。
たけるんと石原さんは合計15回ぐらい、かなり熱烈なちゅーをば繰り広げてました。(笑)
おかげで客席の女子たちは翻弄されまくり、というか、どういうスタンスを取っていいのか戸惑っている方々が多かったような印象でした。
たけるんの耽美的なセリフに浸ろうとすると、ギャングなお仲間が出てきてテレビの学園ドラマっぽい雰囲気になり、なのに日本人ではありえないぐらいの濃厚なちゅーの応酬で衣装は奇妙なジャポニズム。
しかも日本ではあまり馴染みのない神父の存在がかなりキーポイントですからね。・・・・・
いやはや。なんかいろんな意味ですごくおもしろかったです。観客の女子たちの反応も含めて。
「やばーーーーーい!やばいよね?!だってたけるってなんかリアルなんだもん。・・・・・この後、ベッドシーンとかもあるらしいよ。」とか「ちゅっちゅちゅっちゅしてるって聞いてたけどさ・・・・・」とか。(笑)
「石原さとみめっちゃかわいくない?」とか「ティボルトかっこいい!」とか。
あ、そうそう。
たけるんは、すっごく華奢で顔もほっそーーーいけど、脱ぐと意外と筋肉付いてました。
典型的細まっちょ。