妻一人 子一人 と 一匹

2005.9.26 『妻一人 子一人』としてスタート
2010.3.18、2021.8.28、2023.3.26 改変

2012年 家族旅行 前編

2012年01月21日 00時52分53秒 | Weblog


オホーツク紋別空港~平成11年11月11日開港~
開港当初は、羽田便・千歳便の1日2便だったが、搭乗率が低いため間もなくして千歳便が廃止となる。
羽田便も流氷観光時期を除いて、搭乗率は60%を超えることはない。
我が家の利用回数は、2009年3月の「山梨~千葉・関東平野横断ツアー」、2010年11月の私と長男による「男二人旅」の2回。

昨年、ANAはこの採算が取れない路線の閑散期(11月から1月の3か月間)の一時休止を発表。
紋別から羽田へは、新千歳空港で乗り継がなければならないこととなった。
私は、地方ならではといったこの不便な交通事情を逆手に取り、昨年11月「新千歳空港2泊3日満喫ツアー」を企画した。
子供たちの目的地は、ターミナルビル内の「ドラえもん・わくわくスカイパーク」、妻の目的は、千歳アウトレットモール・レラ
およびターミナルビル内でのショッピング、私は、「ひたすら食べ歩き、ホテルでのんびりする」ことを目標に定めて、
航空チケット~【スーパー旅割】(45日前予約)~ならびにホテルの予約を済ませた。


では、前回のブログの翌日からの出来事を、またもやドキュメントにして記しておこうと思う。

1月4日、仕事始め。昨年同様、正月ボケのまま出勤。ユル~い感じで2012年の仕事が始まる。
深夜、妻が次男の異変に気付く。体温38度2分。
1月5日、妻が近くの病院へ。冬休み中の長男の面倒を見るために、仕事始めから二日目にして、
午前中、本年初の休暇取得。次男の体温は38度台後半に達し一向に下がる気配なし。
1月6日、次男の熱は全く下がらずついに39度台に上昇。午後から市内で一番大きい病院に連れて行く。
長男と留守番のため、急遽午後から連日の休暇取得。次男はマイコプラズマ菌に感染の疑いとの診断。
処方された薬を飲ませても、体温は39度6分にまで達する。慌てて地方公務員共済のフリーダイヤルに電話し、
高熱が出た幼児への対処法について指導を受ける。10日後に控えた家族旅行が黄色信号から赤に変わりかける。
1月7日、高熱の峠は越したようだが、平熱にはまだまだほど遠い。私は80%あきらめたので、長男の説得工作に尽力する。
1月8日、千歳で落ち合う予定だった札幌の私の両親には、「大事を取って旅行は中止する」と連絡。熱は下がってきたが
今度は全身に発疹が…。処方された抗生物質が合わなかったらしい。またもや妻が病院に走る。
1月9日、飛行機代、ホテル代のキャンセル料を確認。飛行機は取消日にかかわらず50%の取消手数料、ホテルは宿泊の3日前から
キャンセル料が発生することを確認。つまり1月11日23:59がタイムリミットとなる。
1月10日、次男、平熱に戻る。経験上マイコプラズマ菌に感染すると呼吸器系がヤラれるハズなのだが、それらの諸症状も
高熱の後遺症全く見られない。妻、長男ともに影響なし。身体に出た発疹もほぼ消滅。どうなってんだ?
1月11日、何事もなかったかのような次男。妻と首をひねりながら、とりあえずキャンセルは保留。
1月12日、札幌には旅行中止と伝えたものの、どうやらこの状態なら決行できそうな雰囲気になってきた。
長男には「まだ決まったわけではない」と再三諭すのだが、弟と二人ですでに旅行モードとなっている。

この後、13,14日とも普段と何ら変わりない日常風景のまま、

長男:「ゆっき(弟の呼び名)!、ちとせくうこうに行く?」
次男:「いこーーーー!!!」

といったやり取りが、シュプレヒコールのように一日に何度も繰り返され、「ほんとに行くのかよ・・・」と
最後まで出かける実感がわかない私と妻であったが、ついに平成24年1月15日を迎えた。


後編につづく

年末年始ドキュメント

2012年01月03日 21時46分34秒 | Weblog
あけましておめでとうございます。

では、昨年同様、年末年始の出来事を振り返ってみたいと思う。

12月26日
午後から休暇を取って札幌へ。高校時代の友人3人による忘年会のためである。
前日までの悪天候のため、直前まで開催が危ぶまれていたが、無事久しぶりの再会を果たす。
道中変わり果てたJR旭川駅に驚愕し、夜中に合流予定の友人が勤めるホテルに宿泊。
落ち着いた様子で接客する友人を目の前になぜか緊張し、集合場所の第11グリーンビルにたどり着けず
第4グリーンビルから「助けて」とヘルプコール。
そのホテルマンの友人を除いた3人で一次会がスタート。
見た目は老いたが、20年前と変わらないノリで大いに盛り上がる。
午前0時ようやく4人がそろう。友人たちとの会話で、自分が田舎暮らしにすっかり慣れてしまったことを思い知る。
しかし友人と会うためにわざわざ5時間半かけて札幌まで来た甲斐があった。それほど楽しかったのだ。
終了後ホテルに戻ってからは、緊張と興奮のせいか寝られなかった。

12月27日
寝不足だったが、晴れ晴れとした気分で札幌を後にする。
陸路で5時間半かけて帰宅。疲労度300%。
深夜、「北の国から」テレビシリーズの最終回を見る。
田舎暮らしの自分と、東京から富良野へ移住した黒板純を重ねあわせ、ニヤニヤする。

12月28日
仕事納め。疲労は抜けず、帰宅後長男の冬休みの宿題の採点をする。
あまりの出来の悪さに半狂乱状態となる。

12月29日
大掃除一日目。大方順調に進行する。
深夜、年忘れチャット大会が始まる。「ヌルイ」をキーワードにAM3:30まで。
そのあとはブログの更新作業のため就寝はAM4;30。死の恐怖に怯える。

12月30日
大掃除二日目。年賀状作成を一週間前に済ませていたせいか、万事余裕をもって作業をこなす。
この日の明け方のことが、悪夢のように思えてきた。

12月31日
大掃除終了。昼寝から起きた二男の機嫌が悪く手こずる。
野呂一生氏・生誕55年を記念し、カシオペア活動休止後のライブ映像を見ながら年を越そうと企画していたが、
夕食前に爆睡していた長男が、11時ころからまさかのテレビジャック。
新年を迎えて約30分後、二男に添い寝しながら力尽きる。

1月1日
朝9時過ぎまで、家族は誰一人として起きてくる者はいなかった。
カンペキな寝正月で2012年はスタート。
昼頃、妻の実家へ年始のごあいさつ。初詣に行くつもりだったが、途中で立ち寄ったTSUTAYAで次男が
お昼寝のため撃沈。初詣は延期となる。
今年最初のアニメ鑑賞は「機動戦士ガンダムユニコーン(UC) エピソード2」であった。

1月2日
朝7時に起床。2,3年前からハマっている箱根駅伝の往路スタートを見るためである。
ハマっているといっても、今まで最初から最後まですべて見たことはない。
「今年こそ…」と思ったが、子供たちに邪魔されたり風呂掃除したりとすべては網羅できず。
悪天候のため、初詣は再び延期。
夕方、妻の姉家族が実家に来たとのことで我が家も駆けつける。
私は何もすることがなかったので、妻の実家でうたた寝。
前日に引き続き「機動戦士ガンダムUC エピソード3」を鑑賞。

1月3日
朝8時10分前に起床。箱根駅伝の復路スタートを見る。復路はほとんど見ることができず、
東洋大学の独走を確認した程度。ようやく初詣に出かける。
おみくじは今年も「末吉」。妻と長男は「大吉」。二男は「小吉」。
はて、今年の我が家はどうなるんだか・・・


今年もよろしくお願いいたしします。