オホーツク紋別空港~平成11年11月11日開港~
開港当初は、羽田便・千歳便の1日2便だったが、搭乗率が低いため間もなくして千歳便が廃止となる。
羽田便も流氷観光時期を除いて、搭乗率は60%を超えることはない。
我が家の利用回数は、2009年3月の「山梨~千葉・関東平野横断ツアー」、2010年11月の私と長男による「男二人旅」の2回。
昨年、ANAはこの採算が取れない路線の閑散期(11月から1月の3か月間)の一時休止を発表。
紋別から羽田へは、新千歳空港で乗り継がなければならないこととなった。
私は、地方ならではといったこの不便な交通事情を逆手に取り、昨年11月「新千歳空港2泊3日満喫ツアー」を企画した。
子供たちの目的地は、ターミナルビル内の「ドラえもん・わくわくスカイパーク」、妻の目的は、千歳アウトレットモール・レラ
およびターミナルビル内でのショッピング、私は、「ひたすら食べ歩き、ホテルでのんびりする」ことを目標に定めて、
航空チケット~【スーパー旅割】(45日前予約)~ならびにホテルの予約を済ませた。
では、前回のブログの翌日からの出来事を、またもやドキュメントにして記しておこうと思う。
1月4日、仕事始め。昨年同様、正月ボケのまま出勤。ユル~い感じで2012年の仕事が始まる。
深夜、妻が次男の異変に気付く。体温38度2分。
1月5日、妻が近くの病院へ。冬休み中の長男の面倒を見るために、仕事始めから二日目にして、
午前中、本年初の休暇取得。次男の体温は38度台後半に達し一向に下がる気配なし。
1月6日、次男の熱は全く下がらずついに39度台に上昇。午後から市内で一番大きい病院に連れて行く。
長男と留守番のため、急遽午後から連日の休暇取得。次男はマイコプラズマ菌に感染の疑いとの診断。
処方された薬を飲ませても、体温は39度6分にまで達する。慌てて地方公務員共済のフリーダイヤルに電話し、
高熱が出た幼児への対処法について指導を受ける。10日後に控えた家族旅行が黄色信号から赤に変わりかける。
1月7日、高熱の峠は越したようだが、平熱にはまだまだほど遠い。私は80%あきらめたので、長男の説得工作に尽力する。
1月8日、千歳で落ち合う予定だった札幌の私の両親には、「大事を取って旅行は中止する」と連絡。熱は下がってきたが
今度は全身に発疹が…。処方された抗生物質が合わなかったらしい。またもや妻が病院に走る。
1月9日、飛行機代、ホテル代のキャンセル料を確認。飛行機は取消日にかかわらず50%の取消手数料、ホテルは宿泊の3日前から
キャンセル料が発生することを確認。つまり1月11日23:59がタイムリミットとなる。
1月10日、次男、平熱に戻る。経験上マイコプラズマ菌に感染すると呼吸器系がヤラれるハズなのだが、それらの諸症状も
高熱の後遺症全く見られない。妻、長男ともに影響なし。身体に出た発疹もほぼ消滅。どうなってんだ?
1月11日、何事もなかったかのような次男。妻と首をひねりながら、とりあえずキャンセルは保留。
1月12日、札幌には旅行中止と伝えたものの、どうやらこの状態なら決行できそうな雰囲気になってきた。
長男には「まだ決まったわけではない」と再三諭すのだが、弟と二人ですでに旅行モードとなっている。
この後、13,14日とも普段と何ら変わりない日常風景のまま、
長男:「ゆっき(弟の呼び名)!、ちとせくうこうに行く?」
次男:「いこーーーー!!!」
といったやり取りが、シュプレヒコールのように一日に何度も繰り返され、「ほんとに行くのかよ・・・」と
最後まで出かける実感がわかない私と妻であったが、ついに平成24年1月15日を迎えた。
後編につづく