シャボン玉の詩

前へ前へと進んできたつもりでしたが、
今では過去の思い出に浸る時間も大切にしなければ、
と思っています。

進化の過程だからね

2017-06-01 09:37:24 | Weblog
中学一年生の時であった。
先生が「我々は自由になった、解放されたのだ」と言った。
それ以上のことは話してくれなかった。
私にはまるで意味不明の言葉であった。

私達は貧乏しながらも自由に生活している。
家庭の仕事の手伝いは厭であったが、苦痛に顔歪めるというほどの事ではない。
勉強だって適当にやっておればよい。
トンボ取り、蝉取り、鮒取り、山の柿や栗取って食べ、そして遊ぶ。
戦前はこんなことができなかったということなのかと思った。
それなら「自由とはまことに有難き事」と思わなければならなかった。

あれから60余年、子供たちは大変である。
育てる親も又大変である。
爺さん婆さんは暢気にしているかと思いきや、それが又大変である。
自由は手に入ったかもしれないが、おっとどっこい幸せはそう簡単に手に入らない。
不自由なること山の如しである。
欲深きは今も昔も変わり映えはしないのであった。

今後自然科学はどんどん進み、生活のツールがより複雑になって来る。
成り行き任せでは格差は広がり社会は混乱の一途を辿るに違いない。

ところが、いや、なに、心配することはないぞ。
今はの、進化の過程よ。
手に負えなくなるほどに科学が進歩したら、びしっと大きな音を立てて壊れる。
科学が欲の殻を突き破るのさ。つまり、欲の果て。
そこで訪れるもの、それがまことの平和と幸福よ。