シャボン玉の詩

前へ前へと進んできたつもりでしたが、
今では過去の思い出に浸る時間も大切にしなければ、
と思っています。

反抗期のたわごと(4)

2017-01-24 15:19:10 | Weblog
本当にいろいろ出てくるものだね、呆れたよ。

又また病気が一つ増えた。これで11個目である。
病院にさえ行かなきゃこうはならなかったのにと思うが、
痛けりゃ仕方ないだろ、将来車椅子生活になるとすればしょうがないだろ。
一か月前から左足がおかしくなっていた。
30分歩くとかなり左足の付け根からふくらはぎにかけて痛むのである。
すぐに治るだろうと簡単に考えていた。
だってそれはそうだろう、もう10年もの間殆ど毎日30分早歩きの散歩で鍛えてある。
それだけじゃないぞ、5年もの間毎日15分のストレッチ体操をじっくりやって鍛えてある。
こうまで用心深くケアしているのだからと思ってぐずぐずしておったが、よくならない。

念のために先生に診て貰った。レントゲンの映像を見ながら先生は言う。
「腰部脊椎管狭窄症ですね。これはまさにその典型的なものです」
「ひどくなれば手術ですが、当面保存療法で進行を抑えていきましょう」と付け加える。

「そうか、やっぱりなあ」、と思う。「もう勘弁してくれよ」と思う。
そもそも毎日の散歩やストレッチ体操は持病を抑えるための予防的処置であった。
持病の中に「腰痛」がある。
次のMRI検査の結果でわかるであろうが、多分腰椎に関連があるのであろう。

別に病気を探しているわけじゃないが、その数はうなぎのぼりに増えている。
さらにそれらの病気はずんずん進行し、一番恐れている死に様を迎えるに違いない。

奥様と話しておいらは知っているのだ、親しくしていた友人の死に様を。
その三人は奇しくもおいらの同類項、つまりお酒と煙草と仕事をやりすぎた御仁であった。
最期を迎えた3,4年は筆舌に尽くし難い凄絶な闘病で、悲鳴を上げながら逝ったと言う。
同類項の中でおいらだけが取り残されている。
最後尾のおいらはこんなもので終わるわけがない。
真綿で首を絞められるように凄惨な闘病の揚句、ぎゃッと叫んで死ぬだろう。

「死の自由」の法制化はおいらのいつも主張している持論である。
これは「生の自由」に匹敵する最も重要な案件だとおもうのだが如何なものであろう。
これは止むを得ず希望する当事者の幸せを全うさせる為の最後の切り札でもある。
法制化されれば鬼に金棒、少々のことは屁で飛ばせる。人生はバラ色になる。
何れは議論される日が来るだろうが、議論から逃げないでほしいと心から念ずる次第。

反抗期のたわごと(3)

2017-01-21 09:49:29 | Weblog
人生には大雑把に2回の反抗期があるらしい。

最初の反抗期は15歳前後のもので、殆どの少年が経験する。
何事においても興味津々で自立に向かって様々な冒険を企て、親に心配をかける。
親という偉大な存在に対する目線が変わって来るのがその特徴だ。
その意味に於いては、これは人格形成必須の条件であるといっても過言ではあるまい。
当然のことながら反抗期は難しい面を抱える。
身体は自立に向かって加速的に成長するが、精神状態は複雑に縺れながら成長するからである。
然しながら行き過ぎた心配はかえってその子の為にはならない。
その先には自由で壮大な希望を見ての事であることを忘れてはならない。

さて、問題は特に70歳前後の男性の高齢者に見かける第2の反抗期である。
此処で起こる症状は、身体の「能力低下」の表れに驚愕することから始まる。
70歳を超えれば身体は自ずから崩壊し始める。
この事を素直に受け入れられない「怒り」がいろいろな形になって現れる現象である。
つまり生きる術を一時的に見失いかねないう、という現象である。

短気、頑固、強情、孤立化などがその主たる症状である。
これらの症状は「生活する」という基本的な訓練をしてこなかった者に多い。

将来に壮大な希望を持つ若者の反抗期。
諦観への道のりの険しさに戸惑いながら生き延びようとする高齢者の反抗期。
それぞれの立場からそれぞれを如何に理解し得ているだろうか。

実は微妙な接点があることに気付く。
子供は、高齢者に対してある種独特の畏敬の念を抱き、思いもよらぬ優しさを見せる。
高齢者は、羨望と懐かしさの目で優しく子供に接する。
子供と高齢者は互いに認め合うことのできる同士ではないかと思いたくなる。
10歳前後の子供たちはすぐに反抗期を迎え、高齢者は後期に入る。
もし同士なら、いや、
そうであるが故に社会は見事に調和を醸し出しているのであろう。

別に、反抗期を二つに分ける必要はなかった。
人は大半の人生の中に置いて質の大小はあれ、必ず通り行く関門であるのだ。
普通にやって居れば、取り立てて言うほどのことは起こらない。
安心しよう。









反抗期のたわごと(2)

2017-01-19 09:05:15 | Weblog
この辺りで一度人生を休養してみたくなったよ。

あっちの関節、こっちの関節、あっちの筋肉、こっちの筋肉、
肛門括約筋までもが悲鳴を上げ始めたものね。
これは今までになかった症状だ。

参ったね、こうまで束になって攻められると打つ手に窮する。
一つ一つ順に攻撃されればそれなりに対応できるのだが……
このまま放って置いたら近々必ずや破綻するに違いないと思っている。
一か月ばかり人生を休養したいところだが、いや、一週間でもよい。
いい方法は無いものかな。

沢山の病気を抱えていることは十分承知している。
並べてみようか。
腎不全、肺気腫、不整脈、橋本病、いぼ痔、胃弱、高血圧、動脈硬化、高尿酸、ラクナ梗塞。
夫々に全て薬を服用している。
これはこれでいいじゃ、別に取り立てて怒っているわけじゃないんだ。

一度ゆるりと入院してみる?
冗談じゃないよ、病院なんてストレスを溜める刑務所みたいなところだ、二度と厭だね。
休養どころじゃないぜ。

ゴロゴロ寝て、何も考えずに、ほら。
ぼっとしていりゃいいんだろう、と思うが、これはこれで休養にはならんぜ。
何も考えずに、だなんて出来るものか、坊主じゃあるまいし。

旅行は?
普通電車に乗ってぶらっと出かけるのはいいかもね。
しかし俺、酒飲めないんだぜ、蛋白、カロリーの制限があるんだぜ。
飲み食いが自由にならない旅行なんて考えただけでも退屈だね。

大体人生の休養だなんて大袈裟だよ。そんなもの出来るわけないじゃ。

いや、ある。
時間を止める事だね。
その方法は時間を忘れることだ。


反抗期のたわごと(1)

2017-01-15 09:35:07 | Weblog
彼は18歳、大学1年生である。
挨拶もしっかり出来、親孝行で、近所では評判の良い普通の学生である。
しかし実際には大きく変化の兆しを見せ始めている。
気付かぬのは親のみである、というよりは気付かれないように見事に振る舞っていた。

「弁当持ちましたか。帰りは何時ごろになりますか」いつも出がけに親はそう言う。
「大丈夫だよ。一寸遅くなるかもね」と答え、彼は家を飛び出す。
いちいちうるせえな、帰りの時刻なんてほっといてくれよ。もう子供じゃないんだから、
本音の処はそう言いたいが、言ってしまうと後が面倒だから適当にやっている。

彼は繁華街の真ん中に位置する喫茶店に直行である。
此処にはほとんど学校に出席しない所謂不良学生が4,5人屯する。
別に悪をやっているわけではないが、パチンコの常連で、依存症仲間である。
最近はパチンコなどやる学生は激減した。いわゆるギャンブル離れである。
賢い学生が増えたと言えばそれまでだが、このメンバーから見れば腑抜けに見える。
その意味では一寸異質な学生仲間である。
パチンコはお金がかかる。パチンコ屋の台とか最新の情報は極めて重要であるが、
それ以上にお金の工面においても結びつきが強い。
そうでないとお互いやっていけないからである。

開店の時間が来るまでの間、この喫茶店で軽い朝食を取りながら話に興じる。
殆どお金は均等に分けて、しかし行先と行動はは夫々別である。
夕方5時頃になると此処にまた合流し、今日の結果と明日の打ち合わせをして、
再び別々の行動に散るのが通例だ。
勿論2,3人で一緒の場合もあるが、基本的にはそれぞれ一人で行動する。



老人と犬(最終) (彰ノ介日記)

2017-01-12 09:15:58 | Weblog
その日、友人のおじさんが立ち寄り、墓の前に立ち、モーモに手を合わせる。
早速案内し、久しぶりにお茶をすすりながら話題はやはりモーモである。
「モーモはきっとお星さまになるでしょうね」とおじさんは言う。
「そうですね」と答えながら、爺さんは窓から遠くの方を見る。
「土に戻り、地球という故郷に帰っていくのですね。安住の地を求めて……
地球の寿命が尽きようとも爆発した破片は永遠に宇宙を旅します。
モーモは生き続けます。
彼方からきっとあなたのことを見守っていることでしょう。
魂は決して消滅しない、私はそう思っています。
そうでなきゃあんな賢い犬と巡り合う奇蹟なんて起りませんよ…」
このおじさん、時々なかなかいいことを言う。

そして夕食の時を迎える。
ちびりちびりとやりながらモーモの居た座布団に向かって話かける。
「お前様が倒れたと聞いたときは狂いそうになった。
しかしあの出来事は誰のせいでもないぞ。お前様は心の底から爺を心配した。
私もお前様のことを思い必死で病と闘った。
お互い、相手の為に懸命に頑張ったんだ。力を尽くしたんだ。結果がこうなっただけじゃ。
お前様との思い出は何よりも重く輝いている。これは二人だけの秘め事じゃ。
お前様には感謝してもしきれぬほどのものを頂いた。
爺はお陰で愛と感謝の気持ちの凄さを理解し、真の幸せを体験した。
やっと人間らしくなってきたようじゃ。お前様の魂が乗り移ったのじゃ。
爺も近々そちらへ行くぞ。天国とやらで会おうか。
それまで爺はお前様の分まで生きて、土産を沢山持っていくからな。
あ、そうだ、妻と娘に会ったら……な。いや、なに、きっと会えるさ」

老人と犬(26) (彰ノ介日記)

2017-01-08 14:05:14 | Weblog
爺さんはおよそのことを知っていた。
退院の手続きをしているとき、看護師さんが涙いっぱい目に浮かべて
爺さんに深々と挨拶をして立ち去ろうとしたものだからおかしいなと思い、
引き留めてて事情を聴いたのであった。
爺さんは小走りにくすの木の方へと向かう。
其処には花束が山と置かれ、十数人の人達がモーモの死を悼んでいた。 

モーモにふさわしい光景であった。
爺さんはモーモの傍に転がり込むように倒れ込んだ。
爺さんはしっかとモーモを抱き上げ、頬を寄せ、
「モーモ許しておくれ」を何度も繰り返す。
顔中涙でくしゃくしゃになりながら拭おうともせず、眼はうつろであった。
暫く放心状態でそうして立ったままでいたが、漸く我に返り、
集う皆様方に丁寧にお礼の挨拶をし、我が家へと向かった。
歩いて一時間以上、それでも爺さんはどうしても歩いて帰りたかった。
腕がへし折れてでも一緒に我が家に帰りたかった。
モーモとの思い出の道を嗚咽にむせびながらひたすら爺さんは歩く。

一週間後、モーモの立派な墓が出来上がっていた。
爺さんの渾身の手作りの墓である。
爺さんは毎日墓の前に立ち、「有難う」を言う。
僅か一分か二分の黙祷であるが、その時、
えも知れぬ霊気に包み込まれていく奇妙な現象を感じる。
それだけではない。
自分の心の中の隅々まで深く澄んでくる心地よさを感じるのである。
天空に散ったモーモの魂が宇宙の果てから会いに来てくれたのではないかと
思ったりする。

老人と犬(25) (彰ノ介日記)

2017-01-05 08:50:48 | Weblog
おじさんはモーモの体を掴み。大声で「モーモ、モーモ」と揺り動かす。
モーモは動かない。声も立てない。
口を半開きにして目を閉じ、最早遠くを彷徨っている。
「何故なんだ、これから爺さんに会うのだぞ。
息があるのなら五分でよい。戻って来ておくれ」
おじさんはなりふり構わず号泣する。
モーモの最期のときを思うと胸張り裂けんばかりである。
恐らく死ぬ前の一瞬、爺さんの元気な姿が浮かんだはずだ。それが悔しい。
一方爺さんの悲しみに打ちひしがれる姿を想像すると、それはもう苦しみの果てだ。

誰かがその時の様子を語った。
「丁度救急車が病院に入ろうとするその瞬間だったよ。
脱兎のごとく突然この犬が救急車の方へ走ったんだ。
そしたらそのすぐ後ろを走っていた車にぶっつかっちゃって……
大きな声でキャン、と叫んで……即死だった。可哀想に…」
そうか、モーモは救急車に反射的に爺さんを感じたんだな。
そして爺さんを思う気持ちが一気に爆発したんだ、
そうか、それで制御不能になったわけだ。
それにしても何と言う事が起こったものか、今日という日に。何という、残念だ。
おじさんは皆様方にお礼を言い、玄関口の方へ向かう。
とにかく早く爺さんに知らせなきゃと思った。
丁度その時、爺さんは玄関から出てくるところであった。
ばったり出会った。
「モーモに何かあったんですね」と気忙しく爺さんは言う。

老人と犬(24) (彰ノ介日記)

2017-01-01 09:05:02 | Weblog
モーモとの出会いは、この腐り果てた心の奥深くに一筋の光が貫いたのです。
不思議な衝撃、私には初めて味わう安らぎ、感謝、感動の世界でした。
私は生涯かけてモーモを守って行こうと思い始めたのです。
気障っぽい言い方で失礼かと思いますが、
「モーモの為に命を投げ出す」と決めたのです。
これこそがせめてもの妻と娘に対する「供養」と思ったのです。
いやあ……面白くもない話で……でもこのことはやっぱり誰かに伝えておきたい
と、常々考えておりました。
ああ、これですっきりしました。有難うございました」

「そうでしたか、それですべてを理解できました。モーモは幸せな奴です」
それ以上のことはおじさんは語らなかった。
ひと粒、ふた粒と流れ落ちる涙が爺さんに対する気持ちを端的に表していた。

いよいよ退院の日を迎えた。
おじさんは、爺さんを迎えに行くつもりで一寸モーモの様子を覗き見してみたが、
もういなかった。
「早いな、もう出かけたんだ」と思い、病院に向かう。
丁度その時、救急車のサイレンの音が聞こえてきた。
不思議な縁だな、と思いつつ歩を進める。
あの大きなくすの木が遥か彼方に見え始め、やがてその姿がはっきりと見えてくる。
と、その木の下に大勢の人だかりが目に入って来た。
何だろう、嫌な予感が全身を覆った。
小走りで急ぎ、その中へ割って入った。
これはモーモ、紛れもなくモーモだ。
モーモが横たわっている。
「どうした、何事が起ったんだ」