最近、音楽の記事が多くて、アクセス数が下がっています(^^ゞ
おそらくこのブログに期待されているような記事ではないのでしょう。わかってはいますが、アクセス数を伸ばすために記事を書いているのではないので、自分のやりたいようにやっていきます(^o^)
今日採り上げるのは、昭和59('84)年6月20日発売の、山下達郎氏の『Big Wave』です。
今日の午後、早めに仕事を終えて帰宅したのですが、その帰路に携帯プレイヤーから流れてきた「Please Let Me Wonder」がバッチリ ハマっていました。
昭和59年というとロサンゼルス・オリンピックの年ですネ。私は大学生になり、夏休みにはずいぶんと無茶をしました。そんな想い出が渾然一体となっていて、取ったばかりの免許でクルマを運転していた時にカーステから流れていたのが、このアルバムでした。(他には『A LONG VACATION』『FOOTLOOSE』『No Damage』『人気者で行こう』など)
このアルバムには、私は「リゾートミュージック」という印象がありません。どちらかというと、「リゾートを夢見ながら徘徊する、都会での生活」というイメージです。日が傾き始めた午後3時ごろ、カーエアコンをガンガンにかけて靖国通りや永代通りを走りながら、フロントグラス越しに見た太陽と影のコントラストの強いビル街。このアルバムにはそんなイメージがあります。
このアルバムはTATSURO氏によると「企画盤」で、同名映画のサントラ扱いになっています。しかし、アナログLPではA面には「The Theme from BIG WAVE」や「Only With You」「Magic Ways」などのAlan O'Dayとの共作によるオリジナル新曲があり、TATSURO氏がノッていた時期の貴重な作品群が収録されています。
他は過去の英語詞のカバー曲や、オリジナルの「悲しみのJODY」の英語詞ver.など、たしかに企画盤らしい収録曲も多いですが、「Darlin'」や「Please Let Me Wonder」などの秀逸な新録音のカバー曲も収録されているので油断できません。
しばらくはヘヴィーローテーションで聴きたくなったアルバムです。
おそらくこのブログに期待されているような記事ではないのでしょう。わかってはいますが、アクセス数を伸ばすために記事を書いているのではないので、自分のやりたいようにやっていきます(^o^)
今日採り上げるのは、昭和59('84)年6月20日発売の、山下達郎氏の『Big Wave』です。
今日の午後、早めに仕事を終えて帰宅したのですが、その帰路に携帯プレイヤーから流れてきた「Please Let Me Wonder」がバッチリ ハマっていました。
昭和59年というとロサンゼルス・オリンピックの年ですネ。私は大学生になり、夏休みにはずいぶんと無茶をしました。そんな想い出が渾然一体となっていて、取ったばかりの免許でクルマを運転していた時にカーステから流れていたのが、このアルバムでした。(他には『A LONG VACATION』『FOOTLOOSE』『No Damage』『人気者で行こう』など)
このアルバムには、私は「リゾートミュージック」という印象がありません。どちらかというと、「リゾートを夢見ながら徘徊する、都会での生活」というイメージです。日が傾き始めた午後3時ごろ、カーエアコンをガンガンにかけて靖国通りや永代通りを走りながら、フロントグラス越しに見た太陽と影のコントラストの強いビル街。このアルバムにはそんなイメージがあります。
このアルバムはTATSURO氏によると「企画盤」で、同名映画のサントラ扱いになっています。しかし、アナログLPではA面には「The Theme from BIG WAVE」や「Only With You」「Magic Ways」などのAlan O'Dayとの共作によるオリジナル新曲があり、TATSURO氏がノッていた時期の貴重な作品群が収録されています。
他は過去の英語詞のカバー曲や、オリジナルの「悲しみのJODY」の英語詞ver.など、たしかに企画盤らしい収録曲も多いですが、「Darlin'」や「Please Let Me Wonder」などの秀逸な新録音のカバー曲も収録されているので油断できません。
しばらくはヘヴィーローテーションで聴きたくなったアルバムです。
発売当時、私はデザイン事務所に勤める駆け出しのデザイナー見習いでした。
オフィスではこのアルバムが毎日流れ、先輩方がイラストやお洒落なキャッチコピーを手掛ける、まさに夢の職場だったのです。
才能に恵まれない私は、そんな先輩についていけませんでしたが(涙)。
’84年夏。慰安旅行で海へ向かった時も、チャーターしたバスのBGMはこのアルバムでした。
時代の空気を形にするデザイナー達と過ごした夏。この一枚は、そんな夢の季節と一体になっているのです(笑)。
そして職場やクルマのBGMとして、生活の一部になっていた音楽なのですネ。ちょうど「カーステ」が「カーコンポ」と呼ばれるようになり、イコライザーや4スピーカーが当然のように装備されてきた時代と重なります。街にも、ウォークマン(とその類似品)を持ち歩く人が急激に増えましたし‥‥。生活のあらゆる場面で音楽が鳴っていたように感じます。
TATSUROを日本で最初に認めたのは、大阪の若者たちだったそうですネ。大阪のディスコで「Hot Shot」が大人気だったそうで。そこからTATSURO氏の人気が上向きになっていったそうです。
エアチェック(死語?)なんぞするようなり、ユーミンとか大貫妙子とかハイファイセットあたりの、POPなニューミュージックサウンドも聴くようになりました。
長い休みに聴いていた、FMファミリーの浜島信子さん(だったかな?)の落ち着いた語りは、今のDJにはない感じかも。
山下達郎も、FMから聴くようになったと思います。
中学のマラソン大会の時、「ライドオンタイム」を聴きながら走れば、良いタイムが出るかも…と言ってた子がいたなぁ。
おとなになってからは、「誘惑」をかけたながら、失恋にうちひしがれてるおないどしの男友達がいました。
数年後、その男友達は、ワタシが紹介した女友達と、見事に結婚しちゃいましたけど。
FMの専門雑誌もたくさん出版されていましたネ。「FMレコパル」「FMステーション」「週刊FM」などなど‥‥。私は「FMステーション」を買っていました。
ところで、コメントの中の「誘惑」って、TATSURO氏の歌なんでしょうか‥‥。
すみません。
歌詞にも“なんて狂おしい誘惑”ってあったから、そのタイトルかとずっと思ってました
ちなみにワタシは、父親が読んでた「FMファン」でした。
なぜか、いっときBCLもやってまして「月刊短波」も読んでました。
BCLラジオに、なぞの無線の音、結構入ってきてましたなぁ。
BCLも懐かしいですネ。オーストラリアのワライカワセミや、BBCのビッグベン。「ベリカード」の収集などが一時はブームで、ナショナル、東芝、日立、ソニーなど各社から短波受信用のラジオが発売されましたよネ。
「FMファン」‥‥、忘れてました‥‥(苦笑)。