そういう人は、学部2年生くらいの医学生に主たる執刀医となって手術をされても、とんと平気なひとなんでしょうね。
先日紹介した横浜市まちづくり調整局 建築・宅地指導センターの「擁壁の種類」というサイトで、気になる表現を見つけました。
現在の基準にあう擁壁、合わない擁壁
http://www.city.yokohama.jp/me/machi/center/mado/gake/yoheki.html
基準に合うか、合わないかは、実は「安全かどうか」という判断基準とは直結しません。大筋でまちがってはいないのですがモノは老朽化もしますし、基準に合っていても湧水やクラック、”はらみだし”など危険を示す指標があれば、基準通りにつくられたもので倒壊・崩壊の危険性があるものもありますし、「他の基準による構造物」でも十分に安全が確保されているものもあります。
自然現象・物理現象は「基準どおり」には作用しません。また、基準にあうかあわないかで分類されると、市民は「基準書」を役所に読みに行かなければなりません。自分の庭の下の擁壁のことなのに、役所に出向かねばなりません。
昨日酒を飲みながら話したことは、前例至上主義、マニュアル主義によって、技術や想像(創造)力が失われていること、いわゆる”そもそも論”を肴に酒を飲むのが楽しみだったが、最近はそういうメンバーも機会も減ってしまった。パソコンのなかの自然がもてはやされ、新しい考え方を持とうとすると”経費が計算できない”のでやめろといわれる、、、論文を書きたくても受注に直結しない。
HandBook の域を出ない仕事
これに対して、昨年行った千葉県の方から相談案件の仕事の内容を私が話しました。
会社が求める受注額は億単位ですが、そのほとんどが”はい、ごくろうさん”以上の言葉がもらえない。それに対し、本当に困っている人からの依頼は”数万円”でしかないが、感謝の言葉やコンサルタントとしての充実感は、そしてそれで生計が立てられたら、それこそ桁が違ってくる。。。
Heartfull な仕事。
Heartfull Engineer と HandBook Engineer
前者の存在感をもっとださねばなりません。
http://www.megasoft.co.jp/3d/
http://www.wassho-kun.jp/maido/index.html
「夢を打ち上げるんやない。夢で打ち上げるんや」
まいど1号は雷雲の観測実験を行うそうです。最近”ゲリラ豪雨”などの言葉がでてきましたが、温暖化どうのこうのではなく、それこそ”まいど”の現象であることをアピールしてほしいと思います。
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昼休みの蛍光灯
http://takedanet.com/2009/01/post_75fd.html
昼休みに事務所の蛍光灯を消す会社がある.
その理由を聞くと「温暖化防止に協力してCO2の排出を少なくするため」という.そういう社長の本心がもしかすると「経費節減」かも知れないが,ともかくそう言う。
その日、社長はいつものように近くにある寿司屋にでかける.サラリーマンが行く680円の食堂は混んでいるが,2800円も出すと,ゆっくりと昼食を楽しめるからだ。会社の収益は社長が稼いだものではない.社長は社長,社員は社員の役割分担があるだけだ.収益も社長が勝手に配って良いというものではない.社長と社員が同じ給料でもまったく差し支えないのだ。
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大分省略しましたが、同感できるところがあります。
防災の分野も最近では「楽だから」妙な数値シミュレーションが横行しています。現地で地質を専門的な着眼点でみるのは、個人差・議論が生まれる、経費もかかる、みんなができて同じ結果を得るべきものだとというのです。
その結果、1を聞いて1しか想像できない、ある意味”非人間的”な事業がはびこってしまったせいで、手取り足取り、一挙手一投足に”根拠”という”形式的書類”を重ね、、手間、手間、手間、、、
結局以前より無駄な経費が浪費されるのでした。。。。。
現場を知り、経験を積み、先見の明を持つ、数字に表れない部分を感じ、価値を認め合う事ができたら、年収の額など二の次になるのでしょう。いま、赤字赤字とさわいでいる大企業は、そのあたりの価値観をみなおすことができれば、大分違う結果がでるのではないでしょうか。やや宗教的ですが。。。
今頃気がついたのですが、2009年1月25日までに、長期優良住宅に対するパブリックコメントが締め切られます。国民からFAX等で、いわゆる200年住宅に対する意見を募集しようというものです。例えばhttp://www.judanren.or.jp/news/h21/0105.html
しかし、相変わらず宅地については、いや、「地」についてはひとつも触れられていません。200年もあれば、災害対策も考えていますよ、ということが価値にならないのでしょうか。
ひとつ着目したのは、以下のフレーズです。
科学を本来あるべき場所に引き戻し、技術を活用し医療の質を引き上げると共にコストを下げる。
科学の本来あるべき場所とはどこなんでしょうか。
地質学で言えば、太田さんもよく用いられるテルツァーギの言葉
「土質力学の誤用は、地球上いたるところで行われている。それは土木工学の他の分野での応用数学の成功によって、ほとんど回復し得ないまでに損なわれているからである。土工技術の問題で厳密な取り扱いを困難にするものの多くは、現地の下にある土の堆積の地質学的歴史から生じている。それ故、私がハーバードで講義した地質工学を『理論土質力学に対する解毒剤』と呼ぶことにした。」
それとも
Design with Nature
人は自然との関係を思い、考え、行動するとき、ある意図を持つ。この意図をデザインという。意図は結果を生み、複雑な因果関係を演出する。人はデザインの大切さを知る
でしょうか?
一般に横浜といえば港であり、あと133日で横浜開港150年だそうです。
しかし、私なんかひねくれたもので、横浜は谷埋め盛土超大国と思ってしまいます。横浜市のまちづくり調整局には、市民便利帳のなかに擁壁の見方に関するサイトがあります。
http://www.city.yokohama.jp/me/machi/center/mado/gake/yoheki.html
このなかには、増し積み擁壁(3段)ガンタ石積み+間知石積み+ブロック積み など悪い例も紹介されています。資産価値が下がるなどと言わず、知っておくことは資産価値の維持にもつながるものです。
そういえば、こんな素材集もありました。
http://www.aglds.com/html/cad/03_wall.html
でも3次元ってないもんですねえ
今日の天声人語に載っていた言葉です。江戸川乱歩の「モルグ街の殺人」で、警察を出し抜く探偵デュパンの持論なのだそうです。
中学生のころどうしても昴をみたくて、これを試したことがあって、そのきらめきは今でも忘れてはいません。
翻って、仕事は斜面を相手にしているので、いわばいつも斜めから推理、そして水理読んでいるわけですが、乱歩ならぬ何歩も歩いて、やっとチラリと見えてくるのでしょう。お後がよろしいようで、、、
なんちゅうタイトルやとお思いでしょう。太田さんのブログで、
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15日放送の生活ほっとモーニングが終わった後で、生出演された釜井先生と電話でお話ししたところ、「アナウンサーたちは、この番組で谷埋め盛土の地震時危険性を知るまでは、本当に知らなかった。あれだけ我々が言っていても、普通の人はほとんど知らない」ということを話されていました。
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ということでしたので、論文情報ナビゲータCINIIで、ちょっと検索してみました。
検索条件 雑誌名を”不動産”とだけ入力して、以下のフリーワードを追加して検索してみました。
不動産+環境:280件
土壌汚染: 61件
防災: 10件
地震: 6件
盛土: 0件
環境で出てくるのは、
特集 CO2削減課題と不動産
・既存不動産におけるグリーンビル化推進の課題--環境性能評価指標の果たす役割とは
・環境性能評価と不動産評価
・不動産の環境配慮を付加価値に--その理論と、実現に向けた課題
・社員の意識づけを徹底。CO2排出量1万4000t削減が目標--(独)都市再生機構(横浜市中区) (特集 できることから始めよう! 不動産業の環境対策)
私のブログに立ち寄ってくださる方は、温暖化やエコについては?な方が多いと思います。現実的な課題は地震や防災なんですが、、、
地盤の調査や対策で災害に対してもあんしんできますってのは、価値であり、キャッチコピーにならないのでしょうか。
不動産学会に入ろうと思っていたら、推薦人が二人以上いるとのこと。さらに常任理事会の承諾がいるとのこと。CO2やエコを疑っていたら、認めてもらえなかったりして、、、
その瞬間を、私は大阪の千里丘陵の麓にあった、学生街の下宿で体験しました。既に多く語りづがれているように、轟音と突き上げるような衝撃がベッドを伝わり、寝ぼけるどころではありませんでした。私の下宿していた街の震度は5ということでしたが、”体感震度”はそれ以上でした。最も大きくゆれた瞬間は、床か通いなれた大学からの下り坂と同じくらいの勾配に見え、全てが転げ落ちるのではないかと、本当に肝を冷やしました。
ゆれが治まると、今度は大家さんや近所の方々が、大きな悲鳴をあげ屋外に飛び出し”どないしたん、地震?爆発?”まさにパニックでした。
そんななか、大学で地理学を専攻し、近畿には活断層が密集しており、2ヶ月前に発生していた猪名川町の群発地震に関する住民説明資料などを作成した経験もある私は、”どこかの活断層が動いた、揺れの方向と強さからみて六甲か有馬・高槻線か、いずれにしても凄まじいことになった、友達、後輩は大丈夫か”と妙な頭の冷静さとまったく身動きのできない体と、表現しにくい不可解な状態にありました。
しかし、いまに代表されるように、阪神・淡路大震災の後に続いた不況が圧倒的な国民的関心事になってしまって、防災に対する考えかたはほとんど変わりませんでした。むしろ、根拠なき温暖化論によって退化したともいえます。
さらには、暮らしの基本となる住まいについては、住宅と宅地の扱いが完全に分離してしまっています。地盤そのものが商品にならないだけに、経済やローンなど実利的な関心をひきつけにくい側面があります。しかし、CO2と違い、調査・対策を行うことによって、間違いなくあんしんが得られます。
このごろ急に寒くなりました。そろそろ、温暖化をビジネスとしてぬくぬくと設けようという発想はやめるべきでしょう。