玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

大晦日

2013-12-31 18:51:19 | Weblog


2013年も後わずか。
今年も一年、ありがとうございました。2013年は思いもよらない事が多くあり、大変でもありましたが、それだけ内面的に大きく成長できた一年となりました。自分自身を大きく見直す一年でした。まだまだ過渡期ですが、来年、2014年は全く根拠ありませんが、今までにない展開がある予感がしてて、とても楽しみなのです。
2014年は午年。騎馬の様に疾走する一年にしたいですね。来年もどうぞよろしくお願いします!それでは良いお年を!
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京都高句麗伝説

2013-12-25 01:13:10 | コンサート
 
今日は京都。
朝一に京都御所近くにある高麗屋にて軽いモーニング。その後に嵐山にて手打ち蕎麦に湯豆腐を食べる。シーズン終了後の嵐山は人も少なく動きやすい。有名な竹林を歩き、全く予想もしない小さな神社と出会い参拝。京都はどこに行ってもアジア系の人、特に東アジアの人が多い。
 
夜、待ちに待った京都高句麗伝説。奈良高句麗伝説のもう何歩も先に進んで行かれたような、さらなる次元を開く表現がそこにはありました。表現者のお二人は真の先駆者であり、誰もわからなくとも、自分達のわかっていることをひたすらに表現され続け、表現し続ける中で瞬間生まれる感覚を音で、言葉で、即興で表現される。人間とは何なのか。大いなる存在と言われる超越した存在はわかる人間を通して、ただひたすらに真実を表現しつづけてくださるのか。真にわかるとは言えない自分はわかる人間の表現をまず経験し、これから自分の場に戻りこの経験から現れる現象を理解し、また言葉にしていくのである。
 
奈良、京都高句麗伝説。新しい世界が開かれた事の宣言。先駆者の宣言。そして宣言を成していくのは一人一人。2014年にむけて、既に新たな世界は開かれた。
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橿原神宮

2013-12-23 23:25:35 | コンサート
 
今日は奈良入り。
高句麗伝説参加前に神武天皇を祀る橿原神宮に参拝。初代天皇とされる神武天皇。その割に祀る神社が全国に少ない事から、その実在を疑う説もあるという。実際に行って感じたのは、とても人工的であるという事。これは悪い意味ではなくて、自然崇拝の強い大神神社の様な空気というより、明治神宮に近く、もっというと、国会議事堂の様な人がきちんとつくった場という印象です。神武天皇は何かの象徴なのではないかなとよぎりました。
 
その橿原神宮近く、かしわら万葉ホールで開催された奈良高句麗伝説。2009年に同じ奈良でも春日大社に近い場所で開催された高句麗伝説よりも、より本質的で世界的、普遍的な表現が当たり前の様に成されてました。表現は不思議と、表現できる状況になってこそできる表現があります。今回の表現を経験し、明らかに奈良の状況は変わってるとわかりました。表現できる状況にあるということは、隠したり抑えたりする必要がない状況でもあるという事。一つの現象から全体に通じる状況が把握できてくる、特にこの高句麗伝説はそういったコンサートなので、今後、古代の歴史がどんどん明らかになっていくのではないでしょうか。隠す必要がなくなったので、現れてくる真実がある、そういう巡りになるのかもしれません。
 
明日はいよいよ京都高句麗伝説。古代の京都は世界都市だったという説があります。明日はより、世界的な表現が生まれる、そんな予感がし、とても楽しみです。一つの表現が成され、それが世界に伝播する、つまり世界に影響を与えていく。確実に成され、起きていく現象の日々。凄い場です。明日は本当に楽しみです。
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奈良高句麗伝説

2013-12-21 19:28:42 | コンサート
橿原神宮(かしわら探訪ナビより)
 
12月23日は天皇誕生日。
その日に奈良で開催される高句麗伝説コンサート。
当初23日奈良、24日京都で高句麗伝説コンサートの開催の知らせを聞いた時、クリスマスイブの日が京都で、その前日が奈良くらいにしか想っていませんでした。今日ふと、奈良高句麗伝説の日は天皇誕生日ではないか!と気付き、しかも場所が橿原神宮近くにある”かしわら万葉ホール”での開催であり、何とも驚きました。橿原神宮といいえば、初代天皇の神武天皇を祀る神武天皇陵もあり、この場所で歴史の開放、歴史の大ロマンをうたっている高句麗伝説コンサートが開催される巡りは本当に不思議です。天皇と古代朝鮮の高句麗、新羅、百済との関係は諸説様々ありますが、特に説が乏しいのが高句麗との関係です。説があまり言われていないから関係があまり無かったのではなく、ある勢力により意図的に隠されたとする説も実はあるのです。
 
そして奈良は平城京もあり、この平城京は高句麗の都であった今の北朝鮮の平壌を模したとも言われ、また、聖徳太子の仏教の師の恵慈は高句麗の高僧です。奈良は高句麗と実に関わりが深く、その歴史はまだまだ埋もれていると言われています。コンサートが開催されるとその場は必ず動きます。これから古代日本の歴史、高句麗との関係等、歴史の真実が明らかになっていく事を願い、23日天皇誕生日に奈良へ向います。
 
奈良高句麗伝説はまだ若干席があるそうなので、是非、この大事な日に歴史の開放、歴史の大ロマンを経験されてはいかがでしょうか。きっと魂揺さぶられるエキサイティングな経験となるはずです。ちなみに京都は満席だそうです。
 
 
 
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○「高句麗伝説」コンサート
 
2013年12月23日(月・祝)
 
日時:2013年12月23日(月・祝) PM4:30開場 PM5:00開演 (PM6:30終演予定)
料金:全席自由席6,000円
主催:NPO高麗
 
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ホワイトヘッド

2013-12-13 15:21:35 | Weblog


「ホワイトヘッドの宇宙における出来事というのは、唯一無二のものであって、過去にもありえず、未来にも決してあらわれない、ほかと比べることなどできない絶対的な事態なのだ」そして「活動的存在の生成というのは、価値が新たにあらわれること」だという事。
一人の人間が存在するという”出来事”は宇宙的にも絶対的一回性であり、一人の人間(活動的存在)が存在するのは新たな価値を創造する事にあるという事。
人が一人生まれ、生きる事はどこまでも深淵で奇跡的な事なのである。なぜ生きるのか、それは新たな価値を創造するため、そのように言い切ってもいいのかもしれません。「神は一切の創造に先立つのではなく、一切の創造とともにある」わけで、「世界の源はあくまでも”創造活動”」にあるというわけです。

ホワイトヘッドは数学者でありながら、60歳を過ぎてハーバード大学に哲学者として招かれ、それまでの哲学と全く違う方向を示した大変ユニークな方。彼の哲学で示した方向が量子力学などの最先端の物理学の方向と合っているそうで、今後さらに見直し必至な哲学者。ホワイトヘッドの哲学はプロセスを重視しており、それはハイデガーが存在認識を了解から生成へと転換していった事と重なり、人間存在の捉え方、認識を大きく変えうる。

さらにホワイトヘッドの哲学は有機体の哲学とも言われ「有機体の哲学はカント哲学を逆転したものだ…(中略)カントにとって、世界は主観(主体)から出現する。有機体の哲学にとっては、主観(主体)は世界から出現する…」

世界は自分であり、自己を問う事は世界を問う事になる。
ヒトを人間と表現していること。人だけでなく”間”をつけて”人間”としている事。この”間”には人と人との”関係””社会””世界”を含んでいるのであり、こういった単一的存在とだけでは捉えきれない人間存在を、さらに全体的、総合的な存在として捉え直す事。こういった事が今起きている事であり、これからの新たな道標となる、そう考えます。

以上『ホワイトヘッドの哲学』(講談社選書メチエ 中村昇著)より引用。
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