現代文化の快楽

60年代に〇大の文系・理系の大学院生がコラボして、他大学にも声を掛けて、横断的に作っていた現代文化研究会へのオマージュ

千代田区長選挙に見る地方自治の未開(三) 小池劇場の危険性(続々) 

2017年01月21日 | 随想録

「馬 人参 イラスト」の画像検索結果

人参にありついて幸せな馬 (選挙の「兵隊さん」)

  

小池氏が笑いをかみ殺したような表情で語った都議選立候補志願者を千代田区長選に動員する作戦は、前回述べた中世のウィリアム・テルの物語のゲスラー他、様々な事例を思い浮かばせます。写真や絵に簡単な文章を添えることにましょう。

 

この二つの闘争に共通するで特徴的なことは、本来の利害関係者である住民よりも、地域外からの活動家が多いともされていることです。つまり背後に何物かがあって、「兵隊さん」を派遣できる間は、不毛な紛争が際限なく続く構造になって居る。

 「紅衛兵」の画像検索結果 「紅衛兵」の画像検索結果

風化したはずの紅衛兵は、また復活するという見方が出ているようですが、いずれにせよ平和時の政治目的に軍人でない「兵隊さん」を動員することは同じ。             

そしてナチスは様々なシロートの「兵隊さん」を上手に使いました。

「兵隊さん」を敵に鍛えさせる・・・これは多くの一党独裁を目指す組織が、常套的に使って来た非常に優れたメンバー育成・訓練・闘争の手法です。大学のように武力闘争と無縁な世界でも、全共闘のような若気の至りのチャンバラごっこでなく、ファカルティ・レベルの本格的な政治紛争の場合は、これを行う組織が有って、大いに迷惑したものです。

さてカイロ大学で、何でも二人だけしか学生が居なかったという超レア(エリート?)コースで、首席で卒業されたという小池百合子氏。これまでの都政については、大いに評価しておりますが、この「兵隊さん」を敵に鍛えさせるという手口を、そこで学んだのでしょうか?

いずれにせよ、それが、最初の見かけとは真逆で、民主主義とは全く馴染まない手法であることは、歴史を見れば歴然としているのです。

小池塾の塾生さんが、千代田区長選に高齢の区長さんを五選させるため「兵隊さん」として励んで、首尾よく都議選に立候補出来たとしても、何か政治家としてもっと大切な尊厳を失ってしまうのではないのか? (↑イラスト)

 

[お断り] 冒頭イラストの著作権は、 PIXTA(ピクスタ)  https://pixta.jp/illustration/9416828 

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千代田区長選挙に見る地方自治の未開(二) 小池劇場の危険性(続) 

2017年01月19日 | 随想録

  

代官の ゲスラーが自分の帽子に敬礼することを命令した。(ウィリアム・テル)

 

小池氏が今回千代田区長として支持しているのは現職とは言え既に75歳の高齢で、しかも5選のためということです。

そもそも多選は、腐敗の元です。もし奇跡的に腐敗しなくとも改革の敵だし、特に高齢者には刷新は期待できないものです。それは小池氏とて79歳の森元総理の害がいかに大きいかで、十分骨身にしみている筈。

今回の状況を見た途端、私の脳裏には、自分の代わりに帽子を棒の先に掲げ、兵士を使って、民衆に敬礼を強制したという中世の代官のゲスラー(挿絵)と小池氏の姿が重なってしまいました。

小池氏の就任以来のこの数か月の功績は、国民の一人として高く評価しますが、こと千代田区長選に関しては、自民党都議団等をアンシャンレジームと呼ぶのであれば、小池氏がやっていることはフューダリズム(封建主義)の悪しき手法そのものであり、「目くそ鼻くそ笑う」というように同格でさえなく、後者がはっきり劣るものではないかと考えます。

(蛇足) 挿絵の帽子は現千代田区長氏、兵士は小池塾の都議選候補志願者、挿絵の民衆は千代田区民。民衆は抗議して物を投げたりしているが、果たして現代の千代田区民は、どうするのだろう?

蛇足の蛇足 都議選候補志願者の誇りと見識が問われることは言わずもがな。


(続く)

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千代田区長選挙に見る地方自治の未開(一) 小池劇場の危険性 

2017年01月18日 | 随想録

「千代田区長選 与謝野」の画像検索結果 「五十嵐 朝青」の画像検索結果

 左から内田、与謝野、石川、小池、五十嵐の各氏†

 

謹賀新年

本年もよろしくお願いします

9ヵ月も休筆しておりましたが、その間もご訪問下さった方々に厚くお礼申し上げます。

         _____________

さて、フレッシュな話題の一つとして、2月上旬に行われるという千代田区長選挙が、かの小池百合子氏とドン内田氏の代理戦争として、急にクローズアップされて来ました。[写真左]

そこに第三極として五十嵐朝青氏[写真右]が立候補しました。もっとも立候補を表明してネット等でキャンペーンを始めていたのは五十嵐氏の方が大分先で有り、同氏には今の候補の与謝野信氏に落ち着く前に、ドン内田氏側から擁立に向けて打診したということも聞いていますが、いずれにせよ最近までは泡沫候補を中心に扱うとしている或るブログ‡で取り上げられただけでした。

ところで、久し振りにペンを執るきっかけになったのは、テレビで繰り返し観た小池氏が、微笑むようにしながら口に出した次の二つの言葉です。

曰く「千代田区長選は都議選の『前哨戦』である。」

また曰く「小池塾の都議選応募者達をこの区長選で実地訓練する。」

これらの言葉は、一見当たり前のようで、新聞社のネット掲載記事に書かれることも有りませんが、地方自治体の選挙としては、看過できない問題を孕んでいるもので、私は少なからず衝撃を受けました。いや民主主義の根幹に関わるとも言えますが、とりあえずはそこまで大げさな言葉は使わないことにします。

前者も軽視すべきではありませんが、問題が大きいのは、無論後者です。都議選候補応募者千余人を3百人ほどに絞った。大部分は千代田区と全く無縁だけれども、都議選候補になれるという「鼻先に人参をぶら下げられた」この人たちを千代田区長選で働かせようというわけです。

確かに、上手いやり口で、訓練にもなるし、能力や実績で評価もできる賢いアイディアでしょう。小池氏が会心の笑みをかみ殺して居るかに見えるのも、私の気のせいだけではないでしょう。しかしどこかおかしい。

一言でいえば、この小池氏のやり口もあまりにも「あざとい」し、人参に釣られて「励む」塾生諸氏もまたこの上なく浅ましい。

いくら未熟だったり、あるいは退廃したり、落ちぶれたりしていても、ひとかどの文明国の民主主義というのは、したがってまた苟も都議会に立候補するような人物は、そういうイメージのものであるべきではないと思うのです。場違いな言い方になるが品格に欠ける。

東京都は、日本の中心かつ最大の自治体であり、千代田区はその中心だ。その選挙の実態が、「代理戦争」や「前哨戦」というのも、大いに疑問なしとはしないが、ドン内田氏側は、旧体制だから、今更変わりようがないとしても、それをアンシャンレジームと言った小池氏のこの手法は尊敬に値するのだろうか?

(続く)

 

† 写真のサイズは転載元のまま。

‡ "Experiments of Actin" 

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愚管笑(番外) 幸せを運ぶ顔

2016年04月03日 | 随想録

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愚管笑(二十五)   小保方嬢は正しかった!(2)  情けない二流研究者・科学評論家

2016年03月20日 | 随想録

 

 

今回の論文の中での小保方論文の引用箇所。下の13番が同嬢の論文(2011)。別の個所に理研の丹羽氏のものらしき論文も引用されて居る。

Discussion

The existence of pluripotent-like cells in adult tissues has been a matter of debate for years, since inconsistent results have been reported by various groups9,10,11,12,13,14,15; however, no study thus far has proven that such pluripotent stem cells can arise from differentiated somatic tissues.

この論文の載ったネット雑誌の価値と、上の引用の仕方を種にして、相変わらず小保方論文が認められたわけではないと、ヒステリックに叫んでいる科学者か科学評論家が大勢居る。

いや、自分達の立場が無くなるから、以前よりも一層必死の論陣を張りつつある。

しかし、傍から見れば、それは哀れで賤しい姿だ。一言で言えば情けない。

愚は、ネイチャーに劣らぬ権威ある国際雑誌の、最も格の高い(自らが委嘱した一流の研究者に依る査読結果に基づいて、単独で最終的掲載決定権を持つ)編集者を多年務めていたから、分野は違っても、論文の相対的な位置付けは一目で分かる。

必至の小保方バッシング論者の愚にもつかぬ攻撃について、まともな科学者としての常識を示すことのお手伝いをせねばと思う。無論どうせ取るに足らぬものばかりだが、日本社会の今後の在り方も有るから、一見尤もに聞えそうな貶め方の常套的な手口については、世人に知らしめる意味で、なるべく指摘した方がよいであろう。

まず、有名人かどうかは知らないが、口を極めて書き立てている者の言い草から。

  1. 曰く 最初に「矛盾する結果が報告されて居る。」(inconsistent results have been reported)と書いているから、評価されているわけでは無い。
    1. ) 今回の論文は「肯定説」として希少な物であり、小保方論文は、数少ないかもしかしたら唯一の有力なそれに先行する「肯定説」である。書き方が作法に従う科学論文として中立で、百歩譲って著者が評価して居ないとしても、この言及に依り科学界での「肯定説」と小保方論文への評価が高まるものだ。
    2. ) この一言だけでも、この論者が独学者と見まごうほどの無知に近い学術論文についての貧弱な読解力と認識能力しか無いことが分かる。せいぜいで修士コースの落ちこぼれで、お情けで修士を取って世に送り出される(大学ではしばしば「厄介払い」の対象の)クラスの人物だったことが窺える。 
  2. 曰く 36もの引用論文の一つに過ぎない。
    1. ) 一緒に引用されて居る論文数が、個別的な評価と無関係なのは、高校生でも分かりそうなものだ。
    2. ) 研究の実態として、小保方論文を直接的・具体的又は学閥的・人脈的にに継承していないことを反映して居るだけである。
    3. ) 引用の位置付けについては、馬鹿馬鹿しいからこれ以上は述べないが、誰かが何かに選ばれたときに、「でも36人も居るのよ。」と言うのは、偶々オナゴさんの嫉妬の世界を見てしまったときと同じように、くだらない感じが有る。(悍ましいとまで言う値打ちも無い。)
    4. ) 1.と合わせると、無学者の背伸びそのものとの印象を濃くする。
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