現在、駒音掲示板で起こっている見かけ上の事実の要点は、管理上、武者野棋士と山☓某が一体的であり、そこで駒爺氏の言動が一方的に防護されていて、同氏にとって不都合らしい投稿や投稿者が、些細な口実で(無頼者の言い掛かりと同じ。)尽く排斥されることである。
そして、山☓某の正にその管理行為への自制を促す気配でもあれば、武者野棋士が自信たっぷりに語る例の「悪魔のルール」、つまり愚劣で邪悪で自家撞着的で、多少なりとも尊敬されるべき言論メディアとしてはあり得べからざるルールで、すかさず居丈高で侮辱的な言辞を用いつつ排除される。
ただし、その依って来る理由を確かめることは、同掲示板における最近の某氏らの貴重な投稿の成果で、別に急ぐ必要は無くなった。なぜならば、武者野棋士の明確な現行の管理支持の主張を引き出したからである。
最早、一人でも二人でも、同じ事だ。大津の苛め事件と同じで、内部の役割分担が何であろうと、我々は、彼らを一体としてその非を咎めるべきことになる。
当面は、掲示板やそれに関係している人間或いは人間集団の信用、尊厳、道義の問題なのだから。
山☓某は、そのような議論の対象にしても始まらないとも見られる。例えばこの人物に非礼や侮辱について謝罪を求めるのも空しいかも知れぬ。
それにひきかえ、武者野棋士には一定の社会的地位が有る。棋士全般を社会的にどう評価するかは別問題として(少しずつ低下する可能性はあるにしても、相場としてはまだまだ高いものがあるのではないか。)私のような単なる観戦愛好家を含めた将棋関係の世界では、公人とも言うべき立場に有る人だ。(その意味では、この度の言行は惜しい。)
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さて、ここまでは前口上だった。今回は、上の前提にも拘らず、内情について一つの推理をしようというものである。
そういうことはナンセンスか?決してそうではない。駒音掲示板の改善は、残念ながらいつ果たされるか見込みが立たぬ。そうであれば、将来の動きを予測して、なるべく無駄な労力を省かねばならないからだ。
ここで、駒爺こと鵜川(善)氏が、主役に浮上する。
今回の問題について最も深く観察した人達の推測と実際に知っているらしいことを総合すると、次のことの蓋然性が高い。
鵜川氏は、武者野棋士になんらかの金銭的援助をしている(事業資金かどうかは分からない)。そのため駒音掲示板について実質的に支配できる立場になった。武者野棋士は創設者で元オーナーだが、クラブに例えれば現在は雇われマダムと似た立場であり、山☓某は一介の黒服に過ぎぬ。
鵜川氏に、もう少し慎みがあれば、問題が顕在化することは避けられたかも知れぬが、駒音掲示板が尊敬され、新時代のメディアの一つとしてはむしろ伝統すらあることの重みを良くは認識せずに、昼日中からとぐろを巻いている姿をしばしば見せたために、異変が明るみに出た。
無論、鵜川氏なりに駒音掲示板の価値は認識していない筈はない。穿った見方をすれば、氏には、何らかの理由で、駒音掲示板の2代目(かまたは共同の)オーナーに実質的になったことを公表できない事情か思惑がある。その一方で、人間の常として、やはりオーナー的な力は活用したい。好き放題に発言し、目障りな者や煙たい者は排除したい。
山☓某は、鵜川氏の意向に基づくというよりは威光の生口となって、上記のような露骨に一方的な管理行動をするようになった。
この想定の下で、私は、次のように考える。
駒音掲示板は、単なるバーやクラブではない。娯楽場でもあったことは否定しないが、我々から見れば、一定の尊敬をし、また尊敬を受けてきた言論の場ないしメディアである。
鵜川氏が駒音の実質的主宰者または金主になり、最近にわかに執筆が増えた武者野棋士が主筆格になったのであれば、その事実を公表すべきである。また山☓某についても、両人が連帯して委嘱しているものであることを明確にすべきである。
それならば、自ずと現在の駒音掲示板の性格も、従来とは、或る面では全く違った物に変わることが明らかになり、、去る者は去るであろうが、残る者も十分多いだろう。
無論今のように曖昧にしていても、時間が経てば、いずれ正体は知られる。ただ、そういうやり方では、日本社会の中でどちらかと言えば真面目な人間の間での、信用や尊敬、ましてや信頼を急速に失ってしまう。
匿名ネット掲示板も、この位に長く大きくなった以上、その運営管理にけじめとか透明性とか公平性というものが必要なのだ。
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冒頭にも書いたことだが、今回の結びとして、現在の駒音掲示板に比較的新たに発生した具体的かつ致命的な問題を、改めて記す。
従来から駒音掲示板は「反米長」という傾向を持っていた。それは武者野棋士がオーナーだったから、両人が敵対するようになった時期以降、ある程度はやむを得ないものではあった。
しかし、最近の異様な歪みは、鵜川氏に気兼ねして「親LPSA」でなければ投稿しにくいという程度の生易しいものではない。
●あらゆるテーマの議論で、鵜川氏が少しでも劣勢になりかけた途端、山☓某がすかさず介入して排除にかかる。
これは、掲示板の主流が、例えば「反米長」とか、「親LPSA」といった心情的ないし思想的な偏向傾向を持っているなどと上品に表現できるような次元ではない。
掲示板としての理性が失われたのだ。
(鵜川氏自身は、ときにキレることは有っても(?)、基本的に正気だし論争能力も高いのだから、不良審判に頼る必要は全く無い。じつに惜しいことだ。)