学校を辞めます 

51歳、ある教員の選択

今をどう捉えるか

2016年12月30日 22時52分50秒 | 民主主義が生まれる
2016年が終わろうとしている。
今年の初め、こんな1年になるとは、考えもしなかった。
ただ、何とかしたいという気持ちは例年よりあった。
焦りに近い気持ちだった。

62歳という1年。学校を辞めて、11年もたった。
この10年間は、本当に激動であり、貴重な時間だった。

社会がうねっているのが、本当によくわかる。
2011年からそのうねりが加速した。

眼が必要となる。
これからは、観る力が必要になる。
「大したことない」が、物事を見えなくするように思う。
そう言えば、現役時代、どうしてこのように安心していられるのだろう
とよく感じた。
何も考えていない人が、学校現場に、必ず何人かはいた。
学校という環境が、そうさせられてきたのだと、学校の外に出て感じる。

今、今年1年を観ただけでも、社会が動いている様子がよくわかる。
わしづかみにする力は到底ないが、
大きく社会を捉えて、ツボを押さえる生き方をしたい。

来年1年。
大事に生きたい。
前に出る瞬間を、カメラに収めたい。
きっと、その瞬間がおとずれるような予感がす。る
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参院選後の共闘、その次の1歩は?!

2016年11月30日 23時43分29秒 | 民主主義が生まれる
参議院選挙が終わってもう4カ月がたった。この4か月間、何があっただろうか。
いちいち書き連ねないが、ばたばたしていたという感は、ぬぐえない。
しかし、現実を見ると、確かな1歩が始まっていた。
映画「選挙が生まれる」で、僕が追いかけたのは何か。それは、何かが作り上げられていくことを証明したかったことだ。これまでなかった、何かを。
それは、確かにあった。というより、急に生まれたのではない。

2006年、僕がストリーミング配信を始めた年。教育基本法改悪が行われた。そして次の年の5月、憲法記念日の直後に「改憲手続法」ができてしまった。その時僕は、国会前と身の回り、街とのねじれをすごく感じた。「普通」の人には、知らされてないのだ。教育基本法も国民投票法も。

今回は、少し違う。民衆が「知らない」ということは、今回はさすがにない。3・11が、人に(僕に)、考えることをさせたのだと思う。この違いを僕たちはまず押さえたいと思う。

確かに、これからの道のりはしんどい。長い。つかれると思う。だから、工夫と集中力が必要なのだと思う。
きっと、次の山も乗り切れるはずだと信じて。
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2016年11月02日 23時34分44秒 | 民主主義が生まれる
歌と言うのは、心の中で奏でる。
映画「選挙が生まれる」を製作中、僕は久しぶりに
本物の歌を聴いた。
堀越さんとその仲間たちの歌だ。

これまでも、映像と歌がうまくマッチしたときはあった。
「ジョニーカムバック」であり、その数年前の「教育基本法の歌」であり。
映画と、音楽がマッチしたときって「やった」という
気分になる。
世界で、自分が一番幸せだという、不届き者の気持ちになれる。
(まあ、思想、信条は自由ですから)

実は、僕は歌が好きなんだ。
堀越さんの歌を聴いて、血が沸騰した。
僕の「歌」がよみがえってきた。
それは、
加川良の「教訓1」
西岡たかしの「まぼろしの翼とともに」「うろこ雲の歌」

僕の歌が、それ以来、僕の心を駆け巡ることとなった。
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詩を描く

2016年10月23日 21時10分34秒 | 詩を描く
SNSを利用することになり
このブログの役割を考えています。
新しい役割が見つかるまで、
詩を書きたいと思います。

ついでに現況を少しお伝えすると
新しい映画「選挙が生まれる 長野と群馬の挑戦」の
普及に努めています。


「そうか~ 少し」

そうか 少し疲れていたんだね
君の言葉に 助けられた
君の 素朴な言葉に
僕は 助けられた

考えてみれば ずいぶん歩いてきた
今立っている場所が
わからなくなってしまった
少し疲れた
君の言葉に 助けられた
それは 言葉の力に

今が 初めてではない
僕は 歩いてきた
僕たちは 歩いてきた

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山を越えた

2016年09月06日 22時59分48秒 | 映画「生まれる」
編集の山を越えた。
あれも使いたい、これも付け足したいと欲は膨らむが、
僕の中では、地平線が見えたという感覚。

本当に、宝物が埋まっているというふうに感じたし、今も感じている。
きっと、社会って、そういうものなのだろうけど、
もっとしっかり目の前の「現象」を見なければと今回も感じた。
いや、これまで以上に感じた。

じゃがいもじゅくを閉めてから、何度も「後悔」の念を感じた。
でも、1本映画を編集し終えて、とても、僕の狙っているものには
まだまだ遠いと感じる。
じゅくをやりながらできることではない。
また、仕事(マンションの大家)をもっとしっかりやらないと
取材費をねん出できない。
つまり、もっと気合いを入れる必要があるということ。

時間は、あまりない。
もっともっと、いい映画を作りたい。
つまり、社会をしっかり見たい。
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やはり、映画はいい

2016年08月30日 11時15分17秒 | 映画「生まれる」
かなり、編集で狂ってしまっています。
1~2分の部分で、集中して、全体が見えなくなる。
それが、怖い。
ほかにわずらわしいことが多々あり、
しかし、映画に集中。
やはり、映画っていいなと思います。
自分をあきらめさせてくれる。

「壊す」のはやめようといいたい時代。
なぜ、毎日のように、人が壊れていくのか。
今日の朝日の1面を見て、本当に死にたい気持ちになった。
1年間で中学生が100人以上、高校生が200人以上自死している。
この日本1国でである。

大人を含めると、3万人。
その一人と僕は友人だった。
本当につらいよ。

壊すのはもうやめたい。
忘れてしまいたい。

そんなとき、映画はいい。
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久しぶりの投稿

2016年08月22日 13時21分35秒 | 映画「生まれる」
SNSよりブログの方が落ち着く。
反応はないが、ブログの方が「ひとりごと」は、あっている。

映画「2016年・夏 民主主義が生まれる」の編集作業の佳境で、いろんなことを考えながらやっている。
編集作業の技術的なこともあるけど、一番考えるのが、いったい何のために映画を作っているか。
おちつく結論が、「視野を広げるため」。素朴すぎる回答だけど。
真理は、環境そのもの。意識は、その反映。環境は常に変動している、そこには方向性がある。その世界の中で私たちは生きている。
教員をやめて、外の空気をすうことができた。おかげで、窒息せずにすんだ。今、そんな気分だ。
ひどい政治のおかげで、いろんな人に出会えた。
国会前だけではない。地球上のそこかしこに、魅力あふれる人たちがいる。
そこに気づけたことが、映画作りの成果の一つだと言える。
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共闘がすすむにつれて

2016年07月26日 10時24分27秒 | 映画「生まれる」
今年の半年間は、高田健さん曰く「中学校の教科書に載るくらい」の意味があった。
日本でここ四半世紀無かった社会運動がまきおこった。それは、「野党共闘」
とにかく記録したいという気持ちがわいた。
そして僕には「共闘」に執着する理由がある。
原水爆禁止運動と日教組の分裂を経験しているからだ。
この2つは僕にとって、一種の「諦め」を覚えさせた大事件だった。
だから僕は、「野党共闘」を追った。

共闘への僕の概念イメージは、
「敵以外はみな味方」である。
日本にはこの伝統がない。そして僕にもこの資質が足りない。
「許す」こと「寛容」ができないのである。
そしてこの資質は僕だけではなかった。
運動が始まるにつれ、その運動に対する「文句」も生まれ、増えていった。
それがいわゆる「左翼」の中から、そして「無党派」の中からも。

例えば(具体的にはいいにくいが)、1人区の候補者に「オリジナリティがない」とか
そして極めつけは、都知事選の鳥越批判。「文春のゴシップは、たとえ事実でなくとも本人も
責任がある」など。
運動の統一は、何のためにあるのかを今一度確認しなければならないのではないか。
「統一」は、最大限の危機、つまり憲法改悪への動きを止めるためである。だから、何が何でも
鳥越さんが勝たなければならない。そして、今できつつある運動を育てなければならない。
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スタイルに魅了

2016年07月09日 10時02分25秒 | 映画「生まれる」
三宅洋平が人気があるのは、「スタイルに魅了」だ。
こんなスタイルは、ここ四半世紀なかった。
だから、若い人たちが集まる。
この「スタイル」と「野党共闘」という2つの形が融合すれば
闘いはかなり前進すると思う。
今は、生まれる「過程」だ。

運動には刺激がいる。
世論をつくるための刺激が。
僕は、いままでこんなことには興味がなかった。
「うけたい」という発想に吐き気をおぼえていた。
大事なのは、「現実」だ、「根っこ」だと。
しかし、もうそれは充分だろうと感じている。

人々はもう充分傷ついた。
動き出してもいいのではないか。
行動が許さるほどに僕たちは「痛み」を感じてきた。
僕も生まれ変わりたいと思う。
そう感じさせてくれた参院選だ。
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行動の統一と批判の自由

2016年07月07日 22時30分46秒 | 民主主義が生まれる
おそらくここ数十年でなかった「統一戦線」の芽生えが、今ある。
この芽生えを、できるだけ記録しておきたい。
そして大事にして、育てたい。
今回、ぼろぼろのディミトロフ(ブルガリア共産党書記長)の「反ファッショ統一戦線」を引っ張り出してきた。大学生の時、夢中になって読んだ。
僕自身が体験し、活動した、原水爆禁止運動の統一。
当時やったことは、嫌われても嫌われても、民青の学生たちに統一運動を呼び掛けたことだった。
この統一を粘り強く呼びかけることが、「統一戦線」運動の基本だと思う。
もちろん、統一のよびかけがあれば、お互い路線の批判はあっていい。むしろすべきだ。
ここが、今回どこまでできているか。
1人区32選挙区では、それができたのだと思う。
僕は、それを支えた粘り強い人達を追った。
その行動自体がしつこく正しいと言いたいから。
しかし、複数人区ではほぼできていない。
特に東京はひどい。都知事問題もからみ、泥沼だ。
統一戦線の努力は、「市民連合」の人たちだ。
反安保法制の立候補者をすべて評価し、宣伝している。
ただ、おかしいと思うのは、その立候補者、(僕には5人)のうちの一人が(あえてこの時期だから名前はふせる)、「6人当選すればいい」などと言っている。そして、「牛歩戦術をとったのはだれか」「牛歩ができる議員をふやそう」などとも。
気持ちは、大いにわかる。しかし、統一の努力はどこまでやっているのか。今のままでは、得票の分散化はさけられない。
この課題を次どう克服するかなのかもしれないけど、東京に住み、東京で活動してきた自分としては実にはがゆい。でも、逃げられない。
今回の選挙の結果がどうでても、いや悪く出ても、闘いは決して終わらない。
粘り強く「統一戦線」を築くのみだ。
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