8年前、韓国ソウルの光化門前の労働者の大集会で、日本から来た「予防訴訟」原告の方に出会ったのが、私の「予防訴訟」との初めての出会いだった。その時は、「予防訴訟」の意味がわかっていなかった。そして、私が退職した2006年9月21日、東京地裁で完全勝訴判決が出た。この時、私はやめて間もなかったので、映像取材等はできず、後になってやっとその意味がわかった。憲法判断で、「君が代」強制の10・23通達が違法であることが認められたのだ。
しかし、その後昨年1月に東京高裁で全面敗訴、そして昨日9日、最高裁でも上告が棄却され確定した。
とても残念でならない。何が残念かというと、「学校という場に『日の丸・君が代』の是非を問うことは、公教育の仕事の範疇を超えている」ことが世の通年にならないことがだ。
私は現役時代、「何故自分が『日の丸・君が代』に反対するか」について親とかなり話し合った。なかなか分かってもらえない。その論理の基本は、「『日の丸・君が代』反対が公教育になじまない」というのだ。あなたがそんなに反対したいなら、私学に行ってやtってくださいと。では、聞くが「日の丸・君が代」賛成でなければならないのは何故か?それは」国旗、国歌」であるからだそうだ。旗は絵であり芸術である。歌もまた芸術である。そこに信奉を強制することができるという考えは、国のやり方に忠誠を尽くさなければならないということに等しい。
何故今回原発事故が起きたか?そして、今、本当に脱原発をやりたいのなら何が必要か?すべて「国策」に無批判であったからである。そして、脱原発に梶を切るには「自分の頭で考える」社会に変わらなければならない。「日の丸・君が代」強制は、自分の頭で考えることを全面的に否定する。だから言論、思想の自由にも大きく悪影響を及ぼす。
昨日は、取材に行く時も帰りも非常に足が重たかった。しかし、取材に行って、やっぱりよかったと思っている。それは、「そこ」に8年間、公教育の基本的立場を生活を賭けて守り通してきた教員たちがいたからである。
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しかし、その後昨年1月に東京高裁で全面敗訴、そして昨日9日、最高裁でも上告が棄却され確定した。
とても残念でならない。何が残念かというと、「学校という場に『日の丸・君が代』の是非を問うことは、公教育の仕事の範疇を超えている」ことが世の通年にならないことがだ。
私は現役時代、「何故自分が『日の丸・君が代』に反対するか」について親とかなり話し合った。なかなか分かってもらえない。その論理の基本は、「『日の丸・君が代』反対が公教育になじまない」というのだ。あなたがそんなに反対したいなら、私学に行ってやtってくださいと。では、聞くが「日の丸・君が代」賛成でなければならないのは何故か?それは」国旗、国歌」であるからだそうだ。旗は絵であり芸術である。歌もまた芸術である。そこに信奉を強制することができるという考えは、国のやり方に忠誠を尽くさなければならないということに等しい。
何故今回原発事故が起きたか?そして、今、本当に脱原発をやりたいのなら何が必要か?すべて「国策」に無批判であったからである。そして、脱原発に梶を切るには「自分の頭で考える」社会に変わらなければならない。「日の丸・君が代」強制は、自分の頭で考えることを全面的に否定する。だから言論、思想の自由にも大きく悪影響を及ぼす。
昨日は、取材に行く時も帰りも非常に足が重たかった。しかし、取材に行って、やっぱりよかったと思っている。それは、「そこ」に8年間、公教育の基本的立場を生活を賭けて守り通してきた教員たちがいたからである。
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