学校を辞めます 

51歳、ある教員の選択

「君が代」強制を止める、予防訴訟に最高裁不当判決

2012年02月10日 11時02分16秒 | 映像
8年前、韓国ソウルの光化門前の労働者の大集会で、日本から来た「予防訴訟」原告の方に出会ったのが、私の「予防訴訟」との初めての出会いだった。その時は、「予防訴訟」の意味がわかっていなかった。そして、私が退職した2006年9月21日、東京地裁で完全勝訴判決が出た。この時、私はやめて間もなかったので、映像取材等はできず、後になってやっとその意味がわかった。憲法判断で、「君が代」強制の10・23通達が違法であることが認められたのだ。
 しかし、その後昨年1月に東京高裁で全面敗訴、そして昨日9日、最高裁でも上告が棄却され確定した。
 とても残念でならない。何が残念かというと、「学校という場に『日の丸・君が代』の是非を問うことは、公教育の仕事の範疇を超えている」ことが世の通年にならないことがだ。
 私は現役時代、「何故自分が『日の丸・君が代』に反対するか」について親とかなり話し合った。なかなか分かってもらえない。その論理の基本は、「『日の丸・君が代』反対が公教育になじまない」というのだ。あなたがそんなに反対したいなら、私学に行ってやtってくださいと。では、聞くが「日の丸・君が代」賛成でなければならないのは何故か?それは」国旗、国歌」であるからだそうだ。旗は絵であり芸術である。歌もまた芸術である。そこに信奉を強制することができるという考えは、国のやり方に忠誠を尽くさなければならないということに等しい。
 何故今回原発事故が起きたか?そして、今、本当に脱原発をやりたいのなら何が必要か?すべて「国策」に無批判であったからである。そして、脱原発に梶を切るには「自分の頭で考える」社会に変わらなければならない。「日の丸・君が代」強制は、自分の頭で考えることを全面的に否定する。だから言論、思想の自由にも大きく悪影響を及ぼす。
 昨日は、取材に行く時も帰りも非常に足が重たかった。しかし、取材に行って、やっぱりよかったと思っている。それは、「そこ」に8年間、公教育の基本的立場を生活を賭けて守り通してきた教員たちがいたからである。

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ひきざんの学び方(じゃがいもじゅく日記)

2012年02月10日 10時48分58秒 | じゃがいもじゅく
2月8日(水)
ひきざんの学び方(T君:中1)
T君とは最近、ずっとひきざんをやっています。本当にひきざんには苦労しました。現役時代は、タイルの操作だけですませていました。そして「引く」という概念を、「無くなる」ということから出発し、実際に跳び箱を減らして引っ張ることを授業でもやりました。軽くなったという実感を子どもたちに持ってほしかったからです。
でも、基本は「イメージ」だと思います。そして、「障害」を持っている子たちはなかなか「タイル操作」ができません。そこで自作の機械「引き算できる器」なるものを作ったりしました。しかし、これではなかなか「タイル」から離れることができません。自分の頭の中にイメージを持たせることに、何とかつなげたかったのです。
そして今やっているのが、「数の分解」です。例えば、4の場合、「1と3」「2と2」に分解できます。これがわかれば、たしざんもわかるし、ひきざんのイメージにもつながります。
今日は、5以上の数で、「5といくつ」という学習をしました。このやり方だと、なんとかイメージが作り出せそうです。
現役時代、こんなに「ひきざん」で苦労しませんでした。学校を辞めてから気づいたこと、学んだこと、けっこうあります。学ぶということは、人間にとって一歩一歩だということが、今、この僕自身が学んでいる最中のような気がします。
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やれば、少しずつ前にすすむ(じゃがいもじゅく)

2012年02月08日 11時54分53秒 | じゃがいもじゅく
2月7日(火)
*やれば、少しずつ前にすすむ(K君:小5)
「やれば、少しずつ前にすすむ」、これは学校を辞めて、じゃがいもじゅくを始めて、よりいっそう確信をもったことです。K君は、今、カタカナの「セ」の練習をしています。僕もどうしていいかわからず、今は、点を打って、番号をつけ、順番に線でつなぐ。徐々に点の数を減らしていく。という練習です。僕も、この方法が一番いいとは思えません。しかし、他に思いつかないのでやっています。すると、こんな拙い教え方でも、K君はついてきます。そして、少しずつできるようになっていっています。とにかく、あるだけのことをやるしかないと思います。
*笑顔(Y君:中1)
いつも笑顔を絶やさないY君。でも帰るときになると「むすっ」とします。前回もそうでした。きっと、やりかけの大好きな工作ができなくなるから、頭に来るのかと思います。そのことを
言うと、「違う」と言います。「今日は、帰りは笑顔だよ。」「約束だよ」と約束しました。「わかった〜」と笑顔で返事がきましたが、やはり今日も最後は「むすっ」としていました。なんか、「むすっ」としたほうが、正直なようにも見えました。
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「休め」ということなのだろうか?

2012年02月04日 11時32分22秒 | 福島原発関連
2月1日の夜から、とても調子が悪く、嘔吐と下痢のくりかえし。
ウィルス性の胃腸炎のようだ。
今日(2月4日)は、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の総会の取材に
福島へ行く予定だったが、行けず。
昨日の夜から、ホテルやら電車のキャンセル。
そして、昨日はほぼ1日寝ていた。
ただ、新作映像のナレーション録音でスタジオを予約していたので、それだけはがんばって行ったが
(行かないと、かなりの金銭負担)それで、よけい悪くなった感じ。
僕の悪いくせで、「〜しなきゃ」という発想に陥ること。
だから1度決めたことを諦めることができない。
長所であり、短所でもある。
それから、もうすぐ3・11がやってくる。それもある。
1回目の3・11、郡山に行く計画だが、どう過ごすか。すごく悩むところだ。
それより、これからの人生をどう過ごすのかという問題だ。
明るい気分にはとうていなれないが、「走る」ことだけはしたくない。ゆっくり、景色を見て歩きたい。怯えたくもないし、いきりたつこともしたくない。
そう、ゆっくり歩きたい。そんな作品を作りたい。
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じゃがいもじゅくの目的(じゃがいもじゅく日記)

2012年02月04日 11時26分21秒 | じゃがいもじゅく
2月1日(水)T君(中1)
今日はお母さんの都合で僕が迎えに行かず、一人で来ることになりました。
一人で来るのは、まったく問題ないのですが、この行き帰りが、おもしろいのです。
T君が何を考えているのか、よくわかります。
要するにいたずらがしたいのです。
今日は、T君の姿が見えたそのときから、T君何か考えて、へいのかげに隠れたりいしていました。
そして、遠くから「先生、ごめんなさい」と大きな声。
一体、じゃがいもじゅくの目的はどこへやら。
T君の場合、「ふざけること」が一番の目的です。
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「セ」がむずかしい(じゃがいもじゅく日記)

2012年02月01日 14時04分01秒 | じゃがいもじゅく
1月31日(火)
「セ」がむずかしい(K・N君:小5)
誰も教えていないのに、都道府県名を漢字で読めちゃうN君、苦手は、「視写」。字の写書きです。少しずつ、少しずつ、できるようにはなってきたのですが、今、カタカナの「セ」でつまっています。どうしてもうまくいきません。(と思っているのは、僕だけなのかもしれませんが)うまい、方法が見つかりません。今一度、いや2度でも3度でもやってみようと思います。

すごい、デザインの能力(Y・Y君:中1)
Y君のデザイン能力はすごいです。
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「君が代」裁判、最高裁で判決

2012年01月24日 10時03分55秒 | 映像
 1月16日、最高裁で3つの「君が代」裁判の判決が出た。
 内容は、動画で見てください。(動画をクリック)
 最も処分が厳しかった根津さんには、「処分(停職3ヶ月)は適法」、166名の高校教師、2名の小中学校教員への戒告処分は、高裁判決を逆転し、「戒告処分は適法」そして、停職1ヶ月の河原井さん、減給の渡辺さんには「処分は違法」と、まっぷたつの判断が出た。(最高裁なので、この判断がこの裁判では確定となる)
 マスコミでは、「行き過ぎた処分は、違法」という評価一色だったが、私はそうは思わない。
 たとえ戒告であろうが、懲戒処分である。履歴に残り、勤務評定に影響し、給与に大きく影響する。そして、戒告後強制異動させられるケースが待っている。被戒告者も厳しい状況化に置かれるのである。それから、根津さんだけ「処分は適法」となったことには、大きな怒りを感じる。完全な「しっぽ切り」である。生贄である。根津さんはこの結果を称して「私は消しゴムで消された」と述べた。
 「日の丸、君が代」裁判は、人権裁判である。思想の自由が争われた裁判である。この点を私は絶対に忘れたくない。それは、、私自身が、君が代不起立で何ども迫害を受けた経験がある。
 私は、1995年から99年まで卒・入学式で「不起立」をした。その間、2回の担任排斥運動にあった。2000年からは、不起立はしていないが、職員会議での発言、問題提起は続けた。2003年の10.23通達前から「日の丸、君が代」強制は続いていたのである。
 この問題、運動する側が少数派であることは否めない。特に保護者の理解を得るのが極めて厳しい状況である。しかし、教員は一個の人間であり、子どもと向き合うことを考えた上での行動であることを考えれば、決して「ひとりよがり、自分勝手」な行動ではないことは明らかだと思う。とすれば、この国の人権感覚を問う問題でもある。
 ぜひとも、多くの親、教員が考えてほしい。簡単に結論を出さないで欲しいと願う。
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この小学生の子どもの声をどう受け止めるか?

2012年01月17日 12時54分38秒 | 映像
1月14日、15日と横浜市で行われた「脱原発会議」にプレスで入りました。
記事動画を配信しています。
この子どもの思いをどう受け止めるか?
私たちにかかっています。
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福島の教師たちが置かれている状況

2012年01月13日 21時19分26秒 | 福島原発関連
今、「福島 避難区域の教師たち」という映画を制作し、第1次編集を終えたところだ。しかし、胸は悶々としている。
 ひとことで言って、福島の教師たちは、放射線下に置かれ子どもたちと向き合っている。私なら、「逃げたい」と思うところだ。しかし、彼らは逃げずにがんばっている。この差は大きい。とてつもなく、大きい。
 でも、撮らずにいられなくなった。それは、自分も5年前まで、学校にいたからだ。彼らが置かれている状況について、少なくとも知らせたい、その気持ちが一番だ。そして、「兼務配置」という、現状を無視した、余りにも機械的な人的措置。教員を「将棋のコマ」扱いする県教委の姿勢が生んだ、現場の混乱の増幅を知らせたかった。
 しかし、自分の力量の無さを今回も嫌というほど味わわされた。
 時間があれば、もっと取材をしたい。しかし、事態を一刻も早く知らせることも必要だ。
 本当に申し訳ないという気持ちがわいてくるが、そんなもの何の役にもたたない。
 今は、ベターに表現することしか、方法がわかない。
 それでいいと思っている。
 仕方なくない、それでいいんだ。今の僕にできる、そして、ある程度の余裕をもった方法は、これだ。文句を言いたい奴には言わせておけ。心の中で意言い返す。お前は、どの場所に立っているんだ?どの場所で、言葉を履いているんだ?と。
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元気な「避難母子の会」

2011年12月26日 23時11分57秒 | 福島原発関連
 今、首都圏に「自主避難」(警戒区域、計画的避難区域外からの避難者)の方々の運動の応援団(自称)をやっている。
 ほとんどが、母子で避難してきた人たち、お連れ合いは福島で仕事のために残っている。
 首都圏の避難先は、実家もあるが、行政が期限を区切って借り上げた住宅である。その期限は1〜2年。だから来年の4月以降切れてしまう。
 彼女たちは、考えられないほどの苦しみを体験した。避難すること自体がまず大変だ。家族が精神的にも物理的にもばらばらになる。それでも「子どものため」という1点で、彼女たちはその厳しさにいどんでいる。そんな人たちを応援できるだけでも、僕は幸せだと感じる。
 政府が避難区域の基準を下げて、もっと避難者への支援をしなければいけない、これが大前提にある。この大前提ができていないから、チェルノブイリの4倍の値が基準となり、とてつもなく多くの人たち(子ども、若者含め)が、まだ福島で生活をしている。そのことを考えるといたたまればくなる。
 「避難母子の会」のお母さんたちは、本当に元気だ。何故なのだろう。
 僕は、東京の現場で働く教員より、ずっと元気だと感じる。苦しさは、ずっと上だと思うのだが。
 きっと、自分を苦しめるものから「解放」された、もちろん実質的な解放はされていないが、「私はいやだ!」と決めたことが、彼女たちの笑顔になったのではないかと思う。
 「嫌だ」とうことはとても勇気がいることだ。これからの困難に向かっていくことを決意したに等しいからだ。でも、子どもたちは放射線からいくらかでも守られた。守るべきものを守った自信は大きい。そこに、ものすごい魅力を感じる。
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