遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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均質性の功罪

2015-08-29 10:01:03 | 行ってきました
この地区の象徴カストロ劇場

サンフランシスコ市内観光をした夕方、カストロ劇場のある地区へ足を向けた。この地区はゲイ、レズ、ホモ、性同一性障害など、性的なマイノリティーの人達が住む地区として有名である。大きなレインボーフラッグ(これらを象徴するサイン)が街角にはためき、それらを受け入れる印として商店にも小旗が飾られてぃる。

休日のせいか、パブみたいな飲み屋はどこも人で溢れ、確かにその手の人達が肩を寄せあい、手をつないで楽しんでいる。単に男同士で歩いているのかどうかわからないのだが、この町を歩いているとそれらしく見えてしまうのは気のせいか。またそれを見に来る観光客も多い。ここは暴力沙汰が少ない地区として有名だそうだ。私は歌舞伎の女形や、宝塚の男役などを見ても違和感を感じ、蕁麻疹が出てくる時があるほどで、生理的に受け付けないのだが、ここでは街行く人が開放感に満ちて行き交う。

さきごろアメリカのいくつかの州で同性同士の結婚が認められて話題を呼んだが(カナダではすでに認められている)、マイノリティに対する寛容性はこの国の特徴か?人とは違ったことをしたいというベースがアメリカにはあって、ギターのフジ楽器や、ホンダ、トヨタなどが進出した際もこう言う人達に支えられたと聞く。SOもそうだが、この街の存在も「差異性を認める」国民性がベースにあるような気がする。これがこの国の活性化を促進している、個性を伸ばす、創造性を発揮する、基盤ではないか。

それに比べれば、ある一定の基準の中に収めることを大事にする我が国は、均質なものを作るには適しているが、なかなか個性を発揮したり、突出することには抵抗を感じるのだろう。モノづくりで高品質な製品を作るのには適しているが、新しいモノを創造するには、抵抗があるはずだ。 夕暮れの街を歩きながらふと考えたことである。

(該当の写真を誤って消去してしまったので、写真が殆ど無くてすみません)

SF市内観光ツアー

2015-08-28 16:53:51 | 行ってきました
   端正な金門橋のフォルム
   バスは停車はしているのだが人は乗せない
   市内はトロリーバスも走っている
   朝の出勤をする人達
   火事に駆けつけた消防車

サンフランシスコ2日目はニューヨーク、バルセロナでもやった、2階建てツアーバスに乗って市内をぐるっと回ろうと計画。ホテルのコンセルジェにバス停を聞き、そこに向かった。大勢の人が集まっている。バスも来て目の前に止まったが、ドアが一向に開かない。10分くらい止まっていて何処へともなく発車してしまう。

こりゃ待っていてもダメだと、ユニオン・スクエア の停留所めがけて歩き出す。あっちへ言って人に聞き(こう言う時には英語の堪能な義妹がたよりになる)、こっちで又聞き、30分位あちこち歩いてやっとツアー観光の停車場へ到着。おかげでサンフランシスコの町並みの中の散歩ができた。幸いここら辺りは坂道が少なく、ちょっと助かった。

バスは始め1階の座席しか空いていなかったが、市内を巡回するにつれ、2階席も少しずつ入れ替わってくる。カンカン照りの2階席で真っ赤になって彼等は楽しんでいる。サイレンを鳴らしてパトカーや消防車が追い抜いてゆく。坂の多い街で駐車車両も多く、現場に駆けつけるのも一苦労している。

   この町は坂が多い
   チャイナタウンは派手な飾り付けがしてある
   港にあるピア39地区
   ガイドはエネルギッシュに説明を続ける
   フィッシャーマンズ・ワーフ近くを走るツアーバス
   金門橋が見えてきた

バスは市役所、教会、チャイナタウンなどを巡りピア39近くで止まる。ここから路線を乗り換え金門橋へと向かう。橋の袂はバスの休憩所になっているが、我々はそこには止まらず対岸へと渡る。この橋は近づいてみるとすごくでかい。橋の柱の枠一つがテニスコートより大きく感じる。橋には歩道が分けられて付いており、歩行者や自転車の人が通っている。アルカトラス監獄が意外に岸近くに見える。しかしここは流れが早く泳ぎ切るには大変な労力がいるそうだ。

   これはモスクか?
   ガイドの名調子は続く(言葉が不自由なのが残念だ)
   キリスト教の教会
   橋の袂は工事中であった
   でかい橋梁を潜ってゆく

向こうに渡るとやはり公園が整備され銅像がいくつか立っている。橋の上からアルカトラスを眺めていると、爆音がしてヘリが下からせり上がってくる。観光ヘリはこの橋桁を潜って飛んでいるのだ。
たもとの小高い丘に道がついており、車や自転車が登ってゆく。夏休みとあって自転車が多い。

   橋の上から
   反対側から眺めてみれば
   公園で一枚

アメリカの人も休日は目一杯遊んでいる。ラテン系ではないと思うのだが、太陽の下伸び伸びと楽しんでいるようだ。我々もバスツアーを楽しみ、ガイドに聞いたレストランで昼食を楽しんだ。冷えたダークビールが腹に染み渡り、休日を満喫した。

   みなとのレストラン
   ここは人気スポットらしく人が多い
   ストリートミュージシャンもかきいれどきだ
   帰りもこのバスでホテルへ

読むだけで・・・。

2015-08-25 21:34:47 | 


夏坂健「地球ゴルフクラブ」新潮文庫

この著者はゴルフエッセイではかなりの著名人だという。勿論この本はいつもの様に畏友から借りている中にあった。数少ない非小説分野の本だ。アメリカ・カナダ旅行に行った際、伊坂幸太郎の文庫本と一緒に携帯したのだが、ゴルフ好きの義弟が「これ面白いですよ」と奥から持ってきて薦めてくれたのが、なんと持参していったのと同じこの本。偶然の一致とはいえ少々驚いた。

著者は心からのゴルフ好き。しかも博覧強記かつ研究熱心で、関連資料を読み漁り、数多くの逸話を探しだしている。

ゴルフに関する歴史、うんちく、教訓、いろいろな角度から取り上げ、しかもユーモアに富む語り口である。何より読んでいて楽しい。ゴルフ発祥の地スコットランドのプライドと新興国アメリカを巡る角逐など秀逸な話が多い。先日訪れた(行っただけで勿論プレーは出来なかったが)ペブルビーチを舞台にした小話など興味深く読んだ。

私はこの2ヶ月間、カナダで1回プレーしただけで、先日久しぶりに蓼科でゴルフをした。何時もなら大幅に乱れるところを、何となくまとまって100が切れた。精神的に安定していたような気がする。本書のお陰としかかんがえられない。

本書はレッスン書ではないが、ゴルフに臨む心構えを平静に保つような作用がありそうである。体力的に自由が利かなくなった私達年代にとって、読んで楽しく、しかもスコアーに好影響があるという願ってもない好書である。他の著書も読んでみたくなった。

4つの幸運に恵まれたヨセミテ

2015-08-23 14:31:23 | 行ってきました
   ヨセミテへの入口
   ヨセミテヴュウロッジ
   部屋の窓から見る谷川
   ヴィウロッジ事務所

今回のアメリカ旅行のもう一つの目的地ヨセミテ渓谷も20年ぶりの訪問だったが、今回は4つの幸運に恵まれた。

その一 案内のガイドが素晴らしかった。
その二 そのガイドの配慮もあったが、天候に恵まれた。
その三 めったに遭遇できない熊に出会えた。
その四 我々の観光が終えてから交通止めになった。

   ガイドバスはワンボックスカーにすし詰め

朝8:30宿舎のヨセミテ・ビュー・ロッジで車を待つ。今日は一日ツアーを取って渓谷内の案内を頼んだ。やってきたのはライトエース位のワンボックスカー。そこにフルメンバーの9名つめこまれる。料金の支払をカードでしている時、突然、踊りだす不思議な老人がガイド?単なる運転手?隣の女性がガイド?(後にあの踊りはカードの認証に時間がかかるので、その間にお客に退屈をさせては申し訳ないという配慮。隣の女性は助手、ということを説明してくれた)

   ロッジ内のレストラン この前に集合
   最初の説明地 森と壁が早くも現れる
   とりあえず渓谷の全貌を軽く紹介
   山の上から二つの滝を見下ろす

このガイドは最初の説明場所で道端の石ころを拾い、次の説明地では傍の木から葉っぱを取って説明を始めた。花崗岩の生成や木々の植生など、何か理科の野外実習みたいな説明だ。この人の説明では、山火事さえも自然界では意味がある(焼き畑農業と同じ原理で森林の再生に必要なのだそうだ。だからここでは山火事は大規模にならない限り見守る方針なのだそうだ)やがてグレーシャーポイントの展望台に来た時、この渓谷の開発者が彼の曽祖父だったこと、ルーズベルトが大統領になる前にこの地を訪れた時の案内はその人がしたことなど、由緒ある家柄の人だということがわかった。さらに彼はクライマーでもあり、このあたりの峰々はほとんど登っているらしい。ハーフ・ドームと呼ばれる巨岩の峰の上には数人の人影が見えた。そこは危険だが一応ハイキング(クライミング?)コースになっているらしい。

   グレーシャーポイントとハーフドーム
   足元で遊ぶ雷鳥
   ここからの眺めは見飽きない

次の展望台では、ヨセミテ最大のロック・クライミング・ゲレンデと滝を見るところだ。彼はここを6日と半日で登り切ったそうだが、最近の記録では2時間半で登ったクライマーがいるそうである。あとで息子から聞いた話では、その記録は日本人だそうで、それまで、破られないだろうと思われた2時間40分の記録を破ってしまった。ガイドの話によると道具とトレーニングの仕方の進歩が大きいとのことだ。ガイドはクライミングルートを知っているので、現在クライミング中の人間がいるかどうかを双眼鏡で確認し、二組のパーテイがいると指さした。我々も双眼鏡を使ってみると、確かに3名と4名のパーテイが中腹のクラック(岩の裂け目に)取り付いていた。滝の方は最近の日照りで、間欠的にしか水が落ちていない珍しい状況だった。

   岩登りのメッカとなっている垂直の岩
   ハーフドームと向き合う崖   少し高いところから撮影 左側の岩の中腹にクライマーが張り付いていた
   草原 昔はここは沼だったそうだ

この展望台はまだ順序としては後に来るコースになっているのだが、ガイドは雲の状況を見て午後には雨が来ると読みここを先にした。このあとは①広い草原と2重滝、途中にメドウと呼ばれる草原空き地を挟んで②滝直下の予定である。
ところで、グレーシャーポイントで二つの出来事があった。

   見えた!ブラウンベアだ。

ひとつはお弁当を食べていた時のこと。ミネラルウオーター、サンドイッチ、フルーツ、ポテトチップスの昼食セットが支給され、展望のきくところでハーフドームや、他の岩峰、滝などを眺めながら楽しんでいた。すると足元にかわいいリスがちょろちょろと走る。同行の義姉が「可愛いね」と言いながら弁当の一部を投げ与えようとしたら、近くにいたガイド氏が「ノー」と大声をあげた。野性の動物に餌をやるのは自然界ではご法度である。それをためらわずに注意するのは筋金入りのナチュラリストである。説明ポイントで見知らぬ人がガイド版を見て首を傾げていると進んで説明をしてあげている。ヨセミテが心底好きらしい。ここでは雷鳥にも出会えた。人懐こくすぐ横に来て、グルルグルルと鳴く。日本でもおなじみで、警戒心が薄い鳥だ。

2つ目はグレーシャーポイントから引き上げる際、同行のスペイン語をしゃべる若い女性が突然「ベアー」と叫び走りだした。緊急の時にも母国語ではなく英語で喋るのはさすが国際人である。向こうの林の中を指さしながらガイドも走る。みると、茶色の毛皮が動く塊となって100m先を横に進んでいる。中型の熊だ。ガイドは口に手を当てて、熊はシャイだから騒がないように静かに近づけと囁く。別のグループの中国人や白人がガイドの制止にも構わずグングン近づく。熊は大きな松の根元のウロに首を突っ込みなにか掘り出そうと必死だ。時々こちらに頭を向ける。2,3分餌漁りをしていたが、やがて人が近づいてきたのを確認して森の奥に向かって歩き去った。ガイド助手の女性に聴くと自分自身、生の熊に遭遇したのは初めてだそうで、少し興奮気味だった。

   雨がかなりの勢いで落ちてきた
   すぐ近くに滝が落ちている
   更に奥へ行く橋

ロッククライミングのメッカの岩壁から次の草原に来た頃黒い雲が頭の上を覆い、その次のポイントに着いた頃は雨がずいぶん降ってきた。「行っても行かなくてもどちらでもいいよ」とガイドが言うくらい雨足が強くなってきた。「行く」といったのは9人の内私と義弟の二人だけ。まあ豪雨と行っていい中、ガイドと3人で歩き始めた。沢山の人が帰ってくる。しかしよく見ると欧米系の人は濡れるのを楽しんでいるようで雨をあんまり気にしない。それに比べ、中国系、韓国の人達は急ぎ足やら、シートを被るやら、雨を避けようと必死である。

滝の下近くの橋までつくと、滝が前方に迫る。雨なのでここまでで引っ返す。義姉が貸してくれた傘が殊の外役に立った。それにしてもガイドの天候判断は的確で、ここの自然を愛する者だけのことはある。この雨はしばらく続き、翌日ロッジの傍を流れる渓流はチョコレート色に濁ったままである。しかも、義弟が朝の散歩で近くに出かけたら、上流に向けて交通止の標識が出ており、昨日通った所へは行けない。一日違いで我々はセーフ。午後からの豪雨で土砂崩れしたのか、危険性が増したのか、いづれにしても通行止めになっていた。4番目の幸運である。

   新しいぶどう園
   風車の林

いずれにしても、幸運に見まわれ楽しいヨセミテ公園であった。次の訪問地ソノマへ向かって茶色に枯れた丘の間を縫って走る。丘の上には風力発電の風車が林立し、通り過ぎると、ゴルフ場や果樹園が現れる。果樹園と行っても半端な広さではない。東京ドームの何倍も有りそうな広さの緑が続き、路傍にはフルーツスタンド(マーケット)がならぶ。ちょっとしたモールが出てきたところで休憩がてら昼食に立ち寄る。最近開店したメキシコ料理へ入る。ここはアルコール免許のない店で、料理のみ。但しその量が多い。五人で五皿頼んだのだが、結局一皿はテイクアウトにしてもらった。(結局はそれもゴミ箱行きだったが)

   最近開店した料理屋さん
   メキシカン料理
   味はいいのだが量が多い

忍び足で

2015-08-22 04:54:52 | 雑感
   山栗には小さな実が付いてきた

今年は立秋になっても一向に暑さが収まる気配がなかった。お盆も過ぎ、高校野球も決勝戦を終えた頃、やっと峠を越えてきたように感じる。

間もなく処暑朝の風や、夜の虫の声に秋の気配を感じさせられます。諏訪湖の花火大会も終り、これからは日一日と秋へと向かいます。

散歩の途中、道の脇の山栗に小さな実が沢山付いていました。秋はもうすぐそこまで来ています。

山栗や小さきイガは浅みどり

ネーミングライツ?

2015-08-21 13:59:36 | 行ってきました
   USC正門

SO世界大会のメイン会場のUSC南カリフォルニア大学を歩いていて日本と大きく違うのは、数々の建物の入口に殆ど人名が付いていることだ。

日本では大隈講堂とか安田講堂、あるいはトヨタ講堂というのはあるが、孫研究棟というのはない。大学の何十何百という建物のほぼすべての入口にドナルド図書館、とかヘンリー&キャサリン指導者棟、など個人名が掲げられている。

   この建物の正面にも
   ここは学生食堂
   バスケット専用体育館
   アメリカンフットボール&陸上競技場

この国では寄付に対しては広く免税措置が取られているので、市民は税金の使い道を役人に任せず、自分たちが使途をはっきり示して寄付をするという文化が定着している。
この方が自分たちが社会を作っている、という実感が湧くような気がする。国作りの展望や、調整をすべてお役人に任せてしまう我が国とはずいぶん違う。次第に予算規模も大きくなり、豊かになってきて、官僚の独善や腐敗が目につくようになってきた現代日本では、税金の使い道についてもっと直接的に関与できる余地を作っていたほうが納得できるのではないか。彼我の国柄の違いを感じさせられた。

車の国アメリカで

2015-08-20 04:17:09 | 行ってきました
   サンフランシスコ空港

アメリカへはサンフランシスコから入った。バンクーバーでアメリカへの入国手続きを終え、エスタと呼ばれる手続きを事前に済ませていたので、手荷物と身体検査だけで済んだ。同行の義妹は認証機械の調子が悪く、警報が鳴り30分も足止めを食らってしまい、フライト時間が迫り冷やっとした。曖昧(大雑把)な認証機械は困りモノである。こう言うところがまだ日本の品質管理に一日の長があるところである。旅はトラヴェルだが、トラブルの連続だともいう。これから先が楽しみだ。

   レンタカー事務所入口
   受付 社名が「アドバンテージ」だ、誰が有利なのかな。

空港からはレンタカーで市内へ。と思ったのだが、レンタカーの受付が空港内にない。係の人に聞きまわり、やっと事務所行きのシャトルバス乗り場へ。そこから20分で事務所へ。そこで又予約していたバンがなく、少し大きめのランドクルーザーで良いかと聞いてくる。勿論料金アップである。早速小さなトラブルだ。この会社名は「アドバンテージ」。思わず「誰が有利なの?」と聞きたくなる。そういえばこの前ハワイで天文台行きのため、わざわざ4WD車を借りたのだが、降りる時気がついたら2WD車だった事もあったっけ。

   大型ランドクルーザー

大型のランクルに外付けのカーナビをオプションで借り、出発するが義弟はどうもカーナビを頼っていない。この先判明したことだが、このカーナビは目的地付近では案内が不正確だし、ちょくちょくフリーズする。困ったものである。トヨタの車だが、オプションのカーナビは米国製だ。(あんまり故障が多いので、返却の際義妹が抗議したら、オプション代は無料にしてくれたらしい)

このトヨタのランクルはかなり大型でごつく、アウトドア仕様なので、乗り心地は期待していなかった。乗ってみると、至極滑らかで静かに走る。道路が広いので、こまごまと運転する必要が少ない。同じ仕様の外国車に乗っていないので、断定的には言えないが、これで故障が少ないのならば、米国人が日本車に乗りたがるわけだ。
フリーウエイは文字通り無料。300km、400km走るのは当たり前。となり町まで50km、というのは普通である。「この先100kmGSはありません」という標識があるくらいだ。この国では車なしでは暮らせない。

サンフランシスコのケーブルカー

2015-08-19 11:44:52 | 行ってきました
   まずはホテル近くの発着場へ

先日の旅行、アメリカに入ってまず行ったところはサンフランシスコ。ここは20年近く前、研修で来たことがある。坂道の多いこの町で市民、観光客に人気のあるのは、市内を走るケーブルカー。いわゆるチンチン電車だ。

   やってきたぞ
   ここで車体を180度回転をさせ折り返す。

ホテルの近くに発着場に行ってみると、夏休みとあって観光客らしき家族連れで行列の大盛況。近くのチケット売り場で切符を買って待つ。6$と少し高めだ。ここでは2人の職員が、思い入れよろしく車体を回転台に乗せ、人力でぐるりと回しUターンさせる。一種のショーになっている。客は我先にと外壁の無い外部席へと向かう。ステップに乗って身を乗り出そうとするお馴染みのポーズを決める人もいるが、車掌も一向構わずなにか叫んでいる。時々改札をするが、満員で乗り降りもあるのでかなりいい加減だ。

乗客は停留所につくと勝手に降りて行ってしまう。切符のあるなしは関係ない。我々も波止場でおりた。

   波止場には帆船が停泊
   公園ノムコウには由緒有りげな建物が
   フィッシャーマンズワーフではカニを焼いて売っている

夕暮れの波止場は人で一杯だ。まだ海に入って泳いでいる人もいる。そこからフィシャーマンズワーフの方へと散歩がてら歩く。20年前よりは店が立ち並び、人通りも多い。露天で売るカニ屋さんはスマートになってあの時よりちょっと距離感を感じた。

   こう言うところの定番 クラムチャウダー
   我々もカニを注文してみた

ワーフの奥にある、ちょっと落ち着いた雰囲気のレストランに入り、我々も夕食にした。
こういうところの定番、クラムチャウダー、サラダ、カニ、生牡蠣など、他にワインを楽しんだ。ここで初めて気がついたのだが、ワインは一本をグラス5杯に注ぎ分けるのが基本らしい。5人で行ったので、すぐ2本は空いた。ほろ酔い気分になって家路につく。

   白タクのリムジン

ケーブルカーの片道切符がまだ手元にあるので、これで帰ろうと停車場に向かったがまだ長蛇の列、そこへ見知らぬおじさんがすっと近づいてきて、「一人5ドルで送るよ」と囁く。行ってみると長いリムジンに先客が4人乗っている。大きな態度で座席を占領しているので我々は詰めて据わった。何事も無く我々はホテルまで戻った。治安はそんなに悪くはないと思うのだが、英語の堪能な義妹がいてくれるので何かとこころ強い。

血が騒ぐ

2015-08-17 05:30:26 | 行ってきました
   まだ4時間もあるというのに人で埋まる桟敷席

   湖岸通りは露天で賑やかだ
   広島風お好み焼き
   食べ物屋に混じって射的の露店も出店
   鮎の塩焼きも出ていた

今年も花火の季節がやってきた。15日は諏訪湖花火大会。今年は67回、終戦後3年経った時から数えて67回目、一昨年は豪雨のため初めて中止になり昨年は途中雨に見舞われた。この他色々出来事があったホテルでの花火鑑賞だったが、それだけにこの3年間は思い出深い。

湖畔はpm3:00で車両通行止めになるので、日がカンカン照りの2時台にホテル到着。もう目の前の自由席には大勢の人がシートを広げていた。通りは一杯の人通り、5万人の都市に50万人のお客が押しかけるというからこの人混みはやむを得ない。結構若い人が多いのが目を引いた。

   ホテルのロビーには御柱の飾り付けが
   消防隊の出陣式
   夕暮れ迫り屋台の灯も光る

ホテルの駐車場で消防隊の出陣式があり、ラッパ隊の音楽に合わせて登場するお偉いさんが挨拶をして、隊員を鼓舞して湖畔に散っていった。

   いよいよ花火大会の開始だ

夕暮れが近づき、まだ残照が残る午後7:00最初の一発があげられ、湖面に色を映しながら次から次へと盛大に打ち上げ花火が天に登っていった。湖面近くで開くのはパチパチというのだが、空高く打ち上げられるのは「ドーン」と腹にこたえる音である。周囲の山々に反響して音が響く。花火は一瞬の芸術であるが、その時々にいろんなことが頭をよぎる。総じて血が騒ぐ。

   腹に響く大玉の音

天気にも恵まれたせいか、次々と大玉や工夫をこらした花火が打ち上げられ、4万発とも言われる大量の玉が夜空を飾った。最後は恒例の湖上スターマインが半月の扇型を湖上で咲かせ、ナイアガラの仕掛け花火が2kmの長さで光の滝を現出させて終わった。光と音の真夏の夜の夢であった。

   湖上スターマイン
   最後の仕掛け花火 ナイアガラ

一夜明ければ屋台は幻のようにいなくなり、何事もなかったようにいつもの静けさが戻っていた。

   屋台も撤収し公園も清掃されて元の静けさが戻った

夏暑し

2015-08-16 12:01:33 | 雑感



立秋を過ぎたといってもまだまだ暑い日が続く。お盆休みこそ夏本番といった暑さだ。
2,3日続いたはっきりしない毎日が終り、本日は朝から一面の青空だ。

孫たちが引き上げたあとは、一面の布団とシーツでデッキが埋まる。家内は精力的に洗濯をやる。ぼんやり足下を見ていたら、セミの死骸が転がっていた。ミンミンゼミか。この辺りはアブラゼミが少なく、ミンミンゼミかクマゼミだ。子供の頃、身近に鳴いていて、桜の木に止まっていたのは殆どアブラゼミで、たまに松の木に止まっていたクマゼミが捕れると「ホンシャだ」とずいぶん嬉しい思いをした。翅が透明でやや個体も大きく何故か高級な感じがした。アブラゼミのジージー無く声は、暑い夏に追い打ちをかけるように、癇にさわるよう響くが、「シャアシャア」と鳴くのも暑さを増すような気がした。

夕暮れや夜中に鳴く種類もあるが、ここらの蝉は天気が悪いとあまり鳴かない。6月初めからもう鳴き始めるが、陽が射している時に一番威勢よく声を上げる。今日は特に威勢がよい。地上に出てからは短い命なので、精一杯謳歌しているのだろう。なにか、家庭や職場で話すことの出来ない人が、話を聞いてくれる人に出会った際、堰を切ったように喋りまくる姿を連想させる。

まだまだ暑い日が続きそうです。くれぐれもご自愛下さい。

  蝉骸 透かした翅に黒い肢