遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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破壊

2009-11-30 14:42:57 | 雑感
広島に来たもう一つの目的はもちろん原爆資料館の見学。

「やすらかに眠ってください。過ちは二度と繰り返しません」の馬の鞍型の慰霊
碑の碑文は高校の修学旅行の時以来、私にとっては印象深い。



10年ほど前に、印刷の研修会で来たときにも立ち寄ったのだが、展示内容が観るた
びにスマートになってきている。原爆の破壊力の苛烈さが薄められてゆくような
気がする。

吉永小百合の語りによる、説明が今回始めてあったが、サユリストの私が思うに、
少しきれい過ぎて、原爆のどろどろした感じには、そぐわないようだ。

それでも沢山の外国人が熱心に見学していた。来場記念の色紙を見たら、ゴア、
モータイ、ゴルバチョフ、エリツィン、などの名前があった。

1時間30分ほどかけてみたら外はとっぷりと暮れていた。慰霊碑も、乙女の祈り
の像も、原爆ドームも、ライトアップで、浮かび上がっていた。



川のほとりの原爆ドームは、幽霊のようで、何か語りかけてくる気がした。

夕飯は駅近くの河畔の牡蠣屋で。予約なしで行ったら、「満席ですが外のテーブ
ル(隣の店の)で、注文してくれれば運びます」という。隣はイタリアンの店。
良く観察したら、牡蠣屋前のテーブルでも、イタリアンを食べている人がいる。

河畔のテーブル絶品のシーザースサラダ牡蠣の炙り焼き

広島は牡蠣だと思っていたがこのイタリアンで頼んだ、サラダもパスタも中々い
けた。勿論牡蠣屋の牡蠣も魚もおいしかったが。

帰り道、居酒屋に寄り道して、外へ出て、「アっ!!此処のほうが値打ちだなあ」
と別の店のウインドとメニュウーを覗いていたら、40歳半ばのおじさんが、「もっ
と安くておいしいところがありますよ」と教えてくれた。こちらはもう気持ちも
良くなっていたし、腹もふくれていたので、適当に聞き流して、100mくらい歩
いたら、件のおじさんが追いかけてきて、手にしたチラシを示し「ここです。こ
の先の右手です」と薦めてくれる。なんでも宴会幹事で下見をしているところな
のだそうだ。


価格破壊の品々

そこまで薦められるなら、と行ってみたら、参急屋といって、全メニュウ390円
以下の店。試しに刺身(190円)イか刺し(290円)牡蠣フライ(忘れた)なまこ
酢などを注文。鰭酒で一杯やったのだが、味もそこそこいけた。まさに価格破壊
だ。これなら年金生活でも楽しめる。

原爆で街を破棄され、居酒屋は価格破壊の店にやられ、広島は難儀な街だ。
おいしい街でもある。

安芸の宮島

2009-11-28 13:01:02 | 雑感
定番の世界遺産、松島、天の橋立、と並ぶ日本三景の一つ宮島です。




広島市内から、市電に乗って50分宮島口へ
そこからはフェリーで渡る。人と鹿が多い。「餌をやらないで」と看板があるが、
お構いなし。おばさんたちはキャキャアいって記念写真などを撮っている。



こっちの餌はと旅館の前で売っていた、焼きガキと牡蠣ご飯のおにぎりで済ませ
る。



大鳥居が見えてきた。あれは置いてあるだけで、杭などでは固定して無いそうで
ある。朱塗りの神社は美しい。海の中に建っている事と相俟って、凛として神々
しい。ビジュアル的には満点だ。向かいの山にある五重塔も美しい。
引潮に当たって、見る見る水が少なくなってゆく。この神社の建設は、潮が引い
た時だけおこなわれたのだろうか?



裏手のもみじ谷公園を覗き、商店街を通って帰ったが、連休のことで人に溢れ、
食堂はいずれも行列だった。フェリー乗り場前で比較的空いている、山一食堂へ
入り、名物の、アナゴ丼と牡蠣フライを食べた。まずまず。

山一食堂


大和ミュージアム

2009-11-27 12:19:33 | 行ってきました
3年前に館長さんの講演を聞いて以来、一度は訪れてみたいと思っていた、
広島県の呉にある「大和ミュージアム」へ行ってきた。

大和ミュージアム全景海のくじら館

広島から快速電車で40分。駅からデパートの中を通り、陸橋で繋がっている。
目の前には自衛隊の「海のくじら館」がある。

1/10模型はさすがに迫力がある。甲板が排水のため、カーブがついているのが
分かる。水上飛行機が2機、カタパルトに搭載されていた。ブリッジの上の35
m距離測定器は当時としては画期的なものだったそうだ。



その他水中の船首の球状バウ、工程管理上の先行艤装(PART手法につながる)
など戦後日本の技術立国を推し進めた数々の技法が内蔵されているという。

維新後60年足らずで西欧列強に追いつき、ワシントン軍縮条約で総量規制を受
けるや、「質で勝負」を挑んだ、日本の技術者魂を見るようで、センチメンタル
な感情は少なかった。

展示も割合客観的だった。戦後の復興が、このような技術の背景があったという
ことを認識できるだけでも、有意義だった。



休日のせいか結構人出が多かった。帰途駅前でおつまみ2点とビール(またはハ
イボールなど)のほろ酔いセットで、思い切りリラックスできた。


長命寺

2009-11-27 10:30:44 | 雑感
808段の石段が始まるこの門まで約700段

長命寺は近江八幡にある西国巡礼第三十一番の札所である。

808段の石段の上にあり此処からの琵琶湖、近江平野の眺望は素晴らしい。

紅葉が盛りで、三重塔、鐘楼は気品を漂わせていた。



鐘楼で長命を祈願し、一つだけ鐘を撞いた。ただ長命というより、元気で長生きしたい。

若い修行僧であろうか、仏前でお経を唱え、読経が終わると、一礼し、お礼を言っ
て立ち去る。受付の人にもキビキビとお礼を言い立ち去る。その姿が若々しく、
力に溢れていた。清清しい。



本当に808段あるのか帰り道数えたが810段あった。(数え間違いか?)



国宝 彦根城

2009-11-26 13:48:21 | 雑感
井伊直弼の出身地彦根城に行った。

水郷近江平野にひときわ高くそびえるお城だ。

天守閣は三層でさほど大きくは無いが、そこまでたどり着くにはかなりの坂を上
がらねばならぬ。

長い石段天主への道天秤櫓

殿様はどのあたりに住んでいたのだろうか?これでは家来が天守閣でお目通りするときは、きっと息が切れていただろう。これはコンクリートではなく、漆喰で固められ、天守
閣の中は曲がった梁で支えられている。国宝である。

近江平野

直弼は此処で近江平野と琵琶湖を見ながら、既に開国の腹を固めていたのだろうか。
信長の安土城、秀吉の長浜城とこの地は東海道、北陸、伊勢、から京都を結ぶ要
害の地だったのだろう。

黒門からの堀

堀は大きく、途中二期桜(四季桜かと見たら、水戸から送られた「二期桜」と表
示があった。)が小さな花をつけていた。古武士の城にふさわしい、質素な花である。

「彦にゃん」というゆるきゃらがお出ましになったのがご愛嬌であった。




水郷めぐり

2009-11-25 12:49:48 | 雑感



山仲間の友人達と近江八幡の「水郷めぐり」なるものを経験した。

琵琶湖のどのあたりになるのだろう。東湖岸だろうが、葦の密生地である。
櫓の小船(10人乗りくらい)で、葦の間の水路を一巡りする趣向だが、中々風情
がある。琵琶湖のイメージの修正を迫られる。


風もなく音も無く出航。聞こえるのは櫓のきしむ音のみ。すぐ近くにカルガモが
葦の根元にいる。
水面が開けてくると、鵜や青さぎ、カイツブリ、などが羽を休めている。

もう少し寒くなると、さらに渡り鳥などが増えるという。鳥の宝庫だ。

葦(ヨシ)は白い穂で中空、アシは黒い穂で中が詰まっている。アシは使い道が
無いと船頭さんが教えてくれた。早春に焼いて新しい茎を出させるのだそうだ。
最近は中国製のよしずなどに圧倒され、刈り取り経費も出ないと船頭さんはこぼ
していた。電柱などが無いので、時代劇などでよく使われるとのこと。TV剣客
商売(池波正太郎原作)が有名。



船頭さんとの会話のやり取りを楽しみながら一周するのはなぜか江戸時代に帰っ
たようでとても癒された。これはエンジン付きの船では味わえない。

尤も同行の仲間たちがとても気持ちが良いので、どこを訪れてもこの旅は楽しい。

国民宿舎

2009-11-22 22:44:01 | 雑感


国民宿舎に泊まった。

設備は中々豪華である。琵琶湖畔にあり、今日は日曜日というのに満席だという。

職員の応対も悪くない。価格がリーズナブルなのか、人気がいいらしい。
早朝ミーティング、体操と木の息吹を聴く会などを催している。

宿舎前の湖畔には鴨だろうか、渡り鳥が羽を休めている。

周りも紅葉真っ盛りでロケーション抜群である。

これは税金の無駄使いとはいえないのではないか。



イルミネーション

2009-11-21 22:05:59 | 雑感


今年も名古屋駅のイルミネーションが点灯した。

動きがあり、駅前が活気付く。

今年は春夏秋冬の移り変わりを表している。梅雨雨でアジサイが咲いたり、春のタンポポの綿帽子が飛ぶところもあって芸が細かい。

足元には、各テレビ局のキャラクターの展示があるのがご愛嬌である。
若い二人連れには絶好のデートスポットである。

デートには少し明るすぎるか。



乱読

2009-11-12 10:28:49 | 雑感
時間が少しできたせいか、このところ本がよく読める。濫読といってもいいくらいだ。

といっても、目的があってではない。(目的を持って読み始めた「本の都市リヨ
ン」などはまだ1/4から少しも進んでない)

もっぱらエンターテイメントである。

例によって、浅田次郎(「おかし、うらめし、あなかなし」「活動写真の女」)
天童荒太「幻世の祈り」、それに先輩から薦められた、堺屋太一「俯き加減の男
の肖像」などである。

浅田次郎は語り口の面白さは抜群である。さすがプロだと思わせる。
天道荒太はちょっと考えさせる内容である。
堺屋太一の本は、今の日本の状況(不況、低成長)と良く似た元禄の次の世を描
いている。さすがに学者だけあって、実証的な背景があるのだと分かるが、描写,
ストーリーは、もうひとつか。


中仙道の秋

2009-11-03 08:25:05 | 行ってきました

好天が続き爽やかだ。早速、秋の中仙道を歩いた。(この記事は10/4日のことです)

石畳の残る中山道紅坂一里塚里山

中央線武並駅下車。さわやかウオーキング常設コース。
里山の道を文字通り爽やかな風に吹かれ、歩き始める。我々の他には、男女4人組だけ。
藤村高札跡を通り、2.3軒の集落を抜けると、そこから、「中仙道」の表示。
一応石畳の道が続き、木漏れ日が風に揺られて動いている。小川には小魚が煌き、道には栗が落ちていた。
大きいのを選んで拾う。田へ出ると、そこは紅坂一里塚。
林の縁をなぞるような山道をたどり、里へ出る。農業用水のため池などがあり、のんびりした
である。村の人に出会う。「どこに行くんだね」「恵那です」「恵那は今お
祭りだよ」と教えてくれる。暫くして公設の四ツ谷休憩所。

四谷休憩所

小さな渓を渡ると(乱れ橋といって昔は岩も流す急流で、飛脚が金を出し合って橋を架け、
2文の料金を取ったといわれるが、今は飛び越せそうな小さな流れである)。上り坂になりこれを乱れ坂という。
急坂のため、大名行列が乱れ、旅人の息も乱れ、女人の裾も乱れたところから、その名が付いたという。


乱れ坂標識姫御殿跡槙が根追分

首なし地蔵、姫御殿跡を過ぎ、槙が根追分へ。ここで伊勢への道と分かれる。
ここで本日二組目の夫婦連れに出会う。私と同じ年くらいの仲のよさそうな二人だ。中仙道を踏破しているとのこと。今日は中津川から来たと言う。
恵那市の35周年記念事業で出来た、桜100選の西行の森公園へでる。19号線や中央高速が一望できる見晴らしの良い公園である。

西行の森公園槙が根の一里塚

槙が根の一里塚(中仙道の中でも、もう一里塚は3.4箇所しか残っていないそうだ)までくると、ここからは下り一本道。よく整備された道が続く。途中伝説の西行塚へ寄り、案内板を通って、恵那の街中へ。

伝説の西行塚中仙道案内板

今日はお祭りの一日目で、駅前は縁日のテント張りの真っ最中。明日なら松茸の路傍焼きのイベントがあったのに残念だ。

全工程約3時間の心地よい林間、里山歩きだった。紅葉はまだ少し間がありそうである。
あちこちに盛りの彼岸花が咲いていた。