もっちり@日記 (゜、 。`フ

子猫顔のガブ・もちもちなふく・かっちかちのまめ
3匹とのもったり生活の徒然

3チョス

             

ふくとまめの容れ物

2023-12-05 20:16:25 | 写真で徒然2023
先日11月30日がふくの四十九日でした。
毎日まだこの世にいるであろうふくに『さぁふくちゃん寝ようか』と声をかけ
腕枕をして重くないようにふとんをかけて眠っていました。
いる時には腕枕の腕を動かすことはほとんどなかったけど
“重み”がないだけで寝返りをうっちゃって目覚めるさびしさ。
でも四十九日までは一緒にいられるんだと見えなくても
いるように話しかけていました。
もう腕枕をしても寝てくれるコが誰もいない。
寝るときにいそいそとどこで寝ていても来てくれるコがいない。

ふくとまめをお迎えした時に誓った
何があってもワタシが先にいなくならないこと
ずっと一緒にいること
虹の橋を渡るまで見送ること
この誓いはちゃんと守れました。

容れ物を作りながら辛くて何度も手が止まっても
ワタシが最後にしてあげられることだから
ちゃんと新しい身体を作らなきゃ。と納得いくまで
キチンと仕上げたつもりです。





ずっとアップできなかったまめの容れ物です





クリクリの黒目がかわいらしいまめにできました





ぷっくりした口元も(´∀`)





歴代のねこの中で唯一の正統派ボブテイル



台座の模様はまめのイメージの青空に咲くひまわりです





ふくの容れ物





背中の肩のところの丸





ガブ、まめと創りましたがふくの顔が一番難しったです。
でもちゃんと“ふく”になりました





右手左から2番目だけ黒い指球





ふくの台座はサクランボ






ガブとふくとまめもいてます





仲良し母娘は今頃ガブとまめのお母さんと一緒にいるのでしょうねぇ





11年近く仲良ししてくれてふくが来ない時もいつも一緒に寝てくれてありがとね





いつもおひざにいてくれて仲良ししてくれてまめの分もがんばって傍にいてくれて
最期まで一緒に眠ってくれて本当にありがとね





ガブ・ふく・まめ3人が並ぶ日がこんなに早く来るなんて。



毎日『一緒にいてくれて仲良ししてくれて一緒に眠ってくれて本当にしあわせだよ。
ママはしわせものだよねぇ。本当にありがとね。』と言っていたワタシ。
四十九日のふくからのワタシへの言葉は・・・





“いつもありがとう”


まさかふくにありがとうと言われるなんてね。



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今思うこと

2023-11-15 21:43:40 | 写真で徒然2023
ずっと猫の子供や孫と暮らし誰もいなくなった今
本当に誰もいないんだなぁと実感しています。
ワタシには人間の子供がいませんので本当に猫たちは人間と同じか
それ以上に愛おしいワタシの家族でひとり見送る度に
自分の体の一部が欠けていくような思いを抱えながら
『まだワタシにはこのコがいる』と思っていられたのに
誰もいなくなって本当にからっぽになったそんな感じです。

漫画に夫(おバカ)の話をたまに描いていましたが
実際の夫はただ天然な男ではなく、猫を子供と言いながら
なにも面倒はみない、自分の都合で可愛がりたい時だけ
猫の気持ちを考えず振り回す、自分より猫を優先できない男でした。
動物に対して優しい気持ちはありますがどこかずれていて
動物愛護や虐待に人一倍敏感で怒りも覚える割には
自分のウチの子供にちゃんとできていない。そんな人です。

一緒にいて常日頃人としてどうしても許せない言動もあり
しばらく実家にふくとまめを連れて別居期間もありました。
少しでも反省して欲しかったし自分を見つめ直して欲しかったけど
ひとりになり相手がいなくなるとSNSなどで不特定多数の人間と関わり
却って悪い方向に向かってしまった感じがありました。







一度家に戻りましたが昨年大晦日前に実家にふくとまめを連れ
帰った時にまめが眠れず鳴き続けたお話を以前描きましたが
あの時、眠れずに辛そうにしているまめを心配もせず
SNSで知らん人とやりとりに夢中になっている夫
ワタシの実家で高齢の父がいるのに“お客さん気分”でいる夫
それに対して自分のできることは自分でするワタシ達家族に不満を募らせ
まめを病院に連れて行った後さっさと自宅に帰っていった夫。
実家に忘れ物をして用件だけ話し、“外まで持って来い”という夫を無視していたら
大雪でスタックしていた。口から出たのはまめを心配するではなく『充電器よこせ』
ぶち切れたワタシは『充電器の前にまめの心配するのが先じゃないのl?お前は本当に
自分のことしか考えてない最低な人間だな。死ぬまでそこで埋まってろ!』と
充電器を雪の中に投げ捨て家の中に入っていった。
父に対してもなにも告げず勝手に帰った不義理も詫びずワタシと妹と憤慨していました。
そこから父にも侘びワタシにも自分が悪かったと謝罪が後にありましたが
ふたりの不調やワタシの喘息も悪化したりで動物病院から近い実家でお盆過ぎまで
家に帰ることはありませんした。

7月にまめの体調の異変が起きてから心配した夫が実家に来るようになり
結局まめは家に戻ることなく実家で看取ることとなりました。
話をして『かわいいなら娘や孫というならしんきゃいけないことがある。
自分の子供なら自分のことより優先して何をしなきゃいけないのか、ちゃんと考えて
自分がかわいがりたいだけじゃだめなんだよ。猫は自分でご飯もトイレもお薬も
なにもできないんだよ?』
本当は家に帰らず実家で・・・とという思いもありましたが
最後のチャンスだなと思いふくを連れて家に戻りました。
薬やシリンジの給餌も下手くそながらしてはくれましたが
やはり自分の感情でふくのことより自分の欲求を優先する態度にイライラもして
言い合いになることも多く、そんな中にふくの体調の急変。
ワタシはがんばってくれていたふくに更なるストレスを与えてしまったことに
自分の愚かさを呪いました。
ふくがなくなりふくの火葬までの間ワタシはずっと“今までもずっと事あるごと言ってきたけど
こいつにされた仕打ちをすべてぶちまけてもう二度と戻らない”と絶対に許さないと決めていました。
ふくの火葬が始まって少しづつワタシの恨みに似た凝り固まっていた気持ちが和らいでいくのを感じた。
ワタシは結婚前から体調に不調があり、今も原因不明の全身の痛みに苦しんでいます。
医者から“その原因はなんなのかあなたがよくわかっているはずです”と言われてきました。
そうです、夫のことです。口にしてはいけないことを簡単に口にして人を傷つける、同じことを
何度も繰り返す。やった方はわすれてもされた方は忘れませんから。
でもワタシはふくが『ママ、いつまでもそれを抱えているとママが楽なれないの。だからね
嫌な悲しい辛い思いはワタシが持って行くからね』って言っているように思ったのです。

話できていたようで結局前にされたことやいつまでも変わらないことを
お互いに責め合ってただけで何も解決しなかった自分達だったことに気がつきました。
収骨して改めてちゃんと話をした時に夫が
『ふくがいなくなったから俺は捨てられるんだなって思ってた』と言いました。
ワタシもそのつもりだった。もう二度と顔も見たくないと思っていたと。
でもふくが空に昇っている間腹立たしい気持ちも恨んでいた気持ちも嘘みたいに
なくなっていったこと。ふくがワタシに楽になってと言ってくれたみたいなんだと。
いつまでも前にされたことを恨んだりして抱えていても自分が辛いだけで
何もいいことはないと気がついたから、今までがどうことかじゃなく
『これからどうしたいかを』ちゃんと話そうよと。
何もなくなってしまったワタシ達がふたりになってやっとまともな話ができたのです。









自分たちの歳のことなども考えこれから先20年も生きるコとは暮らせないと
思っていたので、ふくとまめを見送ったらもう動物を家族には迎えないと
決めていたのですが、改めてその話をした時に夫が憤慨していたので再度なぜかを話しました。
今までワタシは猫を猫というよりひとりの人間のように意思を尊重してきたし
自分がされて嫌なことをしないように自分より優先して考えるようにしていました。
夫はかわいいといいながらあれこれ理由をつけては面倒もケアもしてこなかった。
子供と同じというならワタシとおなじじゃなくても『仕事してたらお前が面倒見るのは当たり前』という
今までのような気持ちでいるあなたとはもう新しいコを迎えるつもりはないんだよと言いました。
かわいがりたいだけの身勝手な気持ちで一緒に暮らすならワタシは迎えないと。
ワタシはもう自分の一部を欠けるようなそんな思いに耐えられないんだよ。と

10月16日のことです。ぽっかり穴が空いた気持ちの中、実家に向かう途中路上に鳥のようなモノが
横たわっているのを発見。亡くなっているなら他の車に轢かれたりしたように
移動させて市に回収依頼をしようと他の方と一緒に鳥をシートにくるみ
見ると左の翼の付け根が折れて出血していた。車?電柱?に接触した?
電話をしようとしていたら夫が『まだ生きてるぞ!』と言うので
ふくがお世話になっていた病院が野生動物を搬送してもよい病院になっていたことから
そこに見たことろ鳶に思えるその鳥を運び込み、鳥獣専門ではないので止血と傷からの
感染予防の処置をしていただき診察してもらえる病院や野生動物を受け入れてくれるところを
あちこち探して電話していましたが昨今の鳥インフルエンザの影響で鳥を扱った病院ではNO。
環境局からは希少動物以外は放鳥してくださいとの言葉とたらい回し的扱いしかされず。
野生動物ですから自然の中で起きたことなら仕方のないことでしょう。



口は空きっぱなしほぼ動かずまばたきだけしている状態でした




でも、人のせいで傷ついて瀕死でも希少種ではないから寒空に放せという言葉に
理不尽で怒りしか感じず、どうにか怪我の治療と保護してもえる場所を探さねばと
考えましたが鳶の内臓などの損傷もわからない状態で移動もさせられず
『見取りでいいならウチで預かって様子をみましょう』とおっしゃってくださったので
お任せして引き続き治療してもらえるところを探すことにしました。
翌日、もう旅立ってしまったかなどうしてるかなと預けた病院に電話したところ
昨日より状態が良くなって口も閉じ、大丈夫な方の羽を動かしたりしているとのこと。
でも壊死が進むと身体に影響があるので早く治療先を見つけないとと言われました。
鳶は幸い少しずつ元気になり、起き上がってダンボールの端にとまったり
与えられたごはんを食べられるまでになりましたが、多くの患畜さんが訪れる病院に
このまま預かっていただくわけにもいかず早く治療先を見つけねばなりません。



はじめの病院から診察していただける病院に輸送中の鳶



夫がSNSの知り合いでカラス保存会の方がいてボランティアでカラスの診察をしてくれる
獣医師さんがいると教えてもらったとのことで、元の病院からそちらの病院に連れていきました。
レントゲンの結果は『開放骨折』肩の付け根の先からポッキリ折れていて骨の内部も乾燥している。
感染症予防の抗生剤と羽が落ちないように保定して巻いてあるだけだったので
このままでは壊死が進んでしまう。こちらの先生達も中型以上の鳥の断翼手術の経験がなく
手術は行えないので、知り合いや色々な施設に連絡をとってくださりましたがやはり
鳥インフルエンザの影響もあり野鳥保護施設、動物園なども受け入れできないとの返答。
こちらの先生に鳶の診察の際カルテを作るからと『このこの名前どうする?』と聞かれ
情がわくから名前なんてつけずにいようと思っていたワタシと夫は『!?』
でも『アビ』という名前が浮かんだのでアビにしました。
帰りにはアビにちょうどよさそうな止まり木になりそうな枝もいただきました。




ぴったりな止まり木にとまるアビ




ワタシも旭山動物園に連絡し獣医師さんとお話をしましたが鳥インフルエンザが収束するまで
野鳥の受け入れはできないと。でも、もし片方の翼がなくなっても元気でいて鳥インフルエンザが
収束したら受け入れは可能とのとの言葉をいただき、最後の頼みで釧路にある『猛禽類研究所』に
連絡をして事情を説明すると連れてきてくださるなら受け入れしますとの返事が!
札幌からは片道6時間かかる移動距離。
今のアビならきっと持ちこたえてくれる。連れて行ける日まで家で面倒をみることになりました。
鳶のごはんなんて何をあげたらよいのかもわからず動物病院で教えてもらった鳥肉・鳥の内臓系
を買ってきて食べやすい大きさに切り分け一日120~160gを数回に分けて与えていました。

トビの顔をまじまじと見つめたのもはじめてでしたが、なんともかわいらしい顔なんです。
このコの鳶生でこの一週間は痛くて怖くて長い時間だったでしょう。
こんな大怪我を負っているのにこのコは生きたいと思ってがんばっている。
なんとしても助けたい。できれば元のように空を羽ばたかせてやりたいけど
それが叶わくても安心して暮らせる場所を見つけてあげなきゃいけない。
このコが諦めていないのにワタシが諦めるわけにいかない。
どうか、無事に釧路に着いて無事に手術がおわりますように。

10月22日、釧路に向かう道中大型犬用のケージに止まり木を固定して後部座席に乗せていましたが
Gがかかったりして不安定なので片翼でバランスもとりずらく何度もこけて
ひっくり返ったりするアビをなおしてやったりしながら『猛禽類研究所』に到着。








まずは鳥インフルエンザの判定をするためPCR検査をしてもらう。
人間のように口の粘膜と肛門に例の長い綿棒のようなものを入れ調べます。
これで『陽性』と判定されると診察も受けられず『殺処分』・・・
結果が出るまで30分という時間が途方もなく長く感じました。
室内に入れないケージのままのアビの傍でどうか陰性でありますようにと祈りました。
結果は『陰性』( ノД`)良かった。そしてようやく診察です。

やはり骨の内部も壊死があり翼部分は壊死が進んでおり
断翼、骨の壊死部分を切除する処置が必要との診断でした。
手術が終わり術後の経過をみて連絡をいただき迎えに来るになりました。
何もかも初めてのことで何も分からず早くきちんと診てくださるところにと
気が気じゃなかったのでようやく安心してお任せできるところに預けられ
ワタシも夫もほっとしました。
長距離移動なので釧路に一泊し、そのよるやっとワタシは
ふくがなくなって以来“おいしい”と思って食事が食べられたのでした。

続きます





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ふくが虹の橋を渡りました。

2023-10-14 23:14:14 | 写真で徒然2023
7月31日にまめを見送り、喪失感によるふくの体調の変化を注意していましたが
食欲も衰えることなくさびしそうではあるものの穏やかに過ごしていました。
却ってワタシの方がまだキツく未だまめに関係するものをまともに見られない
日々を送っていたそんな矢先。



9月30日の寝てるとこを撮影されて起きたふく


高齢でもうワクチンは接種できなかったので鼻水は年中でしたが
今年初めに鼻水とくしゃみによる鼻血を発症して
常備薬として止血剤と目薬で治まっていたのですが
9月中頃からくしゃみが頻発するに伴い鼻血も頻発。
そしてストレスからくる膀胱炎もたまに起きていましたが
どうも膀胱炎ではないのにワタシのふとんで粗相をしていて
気になっていたのですが、10月に入りおしっこだけではなく
なんか様子がおかしく10月6日が義母の三周忌でお留守番をさせるために
実家から近いかかりつけの病院に預ける際ふくの状態を説明したところ
ただの止血剤ではなく抗生剤入りの止血剤を一週間服用させて
様子をみましょうと言われ、本当は診察を受けて・・・と思っていましたが
急を要しない感じということで服用させて様子をみることになりました。




実家にいた時は自分でパウチやカリカリも食べていました


実は昨年暮れからまめの初七日が済むまでワタシの実家で過ごしていたのですが
実家から自宅に戻りはじめはカリカリも食べていましたが
腎臓治療用のサプリを混ぜたペーストをシリンジで晩に与えていて
自分であまり食べない感じの時は低リン・高カロリーのペーストを
日に数回給餌していたのです。

毎月検診で8月に上がってしまっていたBUNとクレアチニンを下げる為
朝晩サプリ入のペーストをあたえることになりました。
プラス体重維持と腎臓のためにキドナも与えていたところ
効果があり、9月20日の検診時には元の数値に戻りこのまま上げることなくケアできて
穏やかに過ごさせてあげられたらいいなぁと思っていたので
キドナの給餌回数を増やし、サプリもキドナに混ぜて与え
カロリーを増やすようにしていて毛艶もよくなり調子は良くなっているように見えていました。

直接の原因になったかはわかりませんが、おバカと一緒にいて
しょっちゅう衝突して言い合い怒鳴り合いをしていて
ふくが粗相してしまったのも三回忌に病院に連れて行く前の日でした。

そのうちトイレで用を足せなくなり、足もふらつき
どうしてもおかしいので10月10日病院で血液検査をすると
まめの時と同じくBUNは計を振り切り、クレアチニンも上昇していて
脱水も進み静脈点滴と投薬で改善を試みる半日入院を即日から始めることに。
点滴で多少の水分は補給されても自分で水を摂ろうとできなくて
シリンジで水や給餌をしていましたが衰弱が目に見えて進んでいて
まめの時治療の効果がなくただ弱っていく姿が重なりました。



最後の病院に入るワタシに抱えられたふく

10月11日から腎臓の値を下げる投薬も始まりましたが衰弱は進み
給餌も回数できなくなってこれは決断するしかないと思いました。
翌日も半日預けて帰宅の際血液検査の予定でしたが、ワタシはこれ以上
病院で治療を続けても苦しみを与えるだけでかわいそうだから
病院に電話をして状態の説明をして先生の意見を聞いて
自宅で過ごさせてあげたいとおバカに言いましたが連れて行くと聞かない。
どうみても改善している様子に見えず移動や病院にいるストレス
静脈に管を通されている苦痛から解放させてあげたかった。
病院で診察を始めた先生も『血液検査で仮に改善があったとしても
今治療どうこうの状態じゃないです。』と言われたのに検査結果をみたいと
血管の細い腕に針を刺し出ない苦痛を与えてまで確かめないと納得できなかった男。
結果更に値は上昇していて『効果がない以上治療は苦痛を与えるだけです。
自宅でなるべくストレスのない程度にケアしてあげるのがふくちゃんにはしあわせですよ』と
ワタシと先生の意見は一致していました。
治療をやめる=命の期限が確定される
ふくが辛い治療を乗り越えて改善するなら堪えてお願いしたでしょう。
まめの時に“この状態になったら無理なんだ”ということ学んだので
もう覚悟するしかないと残りの時間をできる限りストレスなく
穏やかに過ごさせてあげることしかできないんだと、またふくにまで
同じ思いをさせてしまったのだと申し訳なさしかありませんでした。


10月12日自宅に帰り大好きなひなたぼっこをするふく





ひなたぼっこするふくとワタシ


前日からとても天気がよかったのでひなたぼっこをさせてあげたかったけど
病院にいたので今日は帰ったらさせてあげようと
ベランダの日当たりの良いところに寝かせてあげて
気持ちよさそうにしているふくを見守りました。

給餌しても飲み込みができなくなってきていて体力も消耗するばかりでも
無理に与える訳にもいかないので薄めたキドナを与えましたが1mlがやっと。
水分もふくませても口の端から出てししまい上手く飲み込めません。
体温維持のために湯たんぽやカイロをあて熱くなりすぎないように
場所を変えたり、床ずれしないよう寝姿勢を左右変えたり
乾いてしまう口や鼻をしめらせたりしながら看ていました。
ほぼ起きて看ていましたが前々日から以前なら寝てなくてもうたた寝なんかしなかったのに
途中で眠くて眠くて仕方がなく2時間くらいではっとして起きるような感じだったので
この日も1時間半ほど仮眠をとりましたが仮眠をとってる間に何か起きたら・・・が怖くて。

末期の状態なのに呼吸は安定していて一見すやすや眠っているようにしか
みえませんでしたが仮眠前から少しづつ呼吸が早くなっているはわかりました。
それでも苦しそうなところを見せず横たわるふく。だけど確実に衰弱している。
無力でそばにいることしかできないのに何を眠くなってるんだ!と立ち上がったり
体を動かしたりしても異常な眠さで意識がなくなりそうで。
朝7時におバカを起こし1時間だけ仮眠をとろうと眠り出して30分
起こされ行ってみると痙攣が始まっていて、ついにきてしまったのかと
思わず抱き上げて『がんばったね。苦しいのにごめんね、ありがとね』と言って
涙が止まらなかった。『呼吸がわからないからおろせ!』といわれたけど
この期に及んで呼吸?何言ってんのこいつ。と怒りがこみ上げる。

仕方なく床におろして見守り続ける。
まめも『まだここにいたいよん』と2度目の脚が脚が伸びた後呼吸が止まりましたが
ふくは何度も抗い、止まった?と思った後もう一度ぴーんと脚が伸びて停止しました。
きっと相当苦しかっただろうにそれをワタシ達にみせまいとしてくれていたのでしょう。
昨年同じ様な状態になって回復してくれたふくはこの一年薬や点滴・サプリなど
どんどん種類も量も増えても耐えてくれていました。
まめがなくなった後もさびしく辛かったのにきっとまだ一緒にいてあげたい一緒にいたいと
ちいさな体で想像できないくらいの苦痛に耐えていたのでしょう。
そして誕生日の11月1日はむかえられませんでしたが、正確な誕生日は不明なので
すでに20歳になっていたに違いなく、20歳に見えないかわいらしいまま
元気そうに振舞ってくれたのでしょう。

11年ずっとワタシや家族に笑顔と愛情としあわせを与えてくれた。
かわいい娘のまめにも会わせてくれた
毎日一緒に猫同士のようにふとんで枕で一緒に眠ってくれた
調子の悪い時はいつも寄り添ってくれた
猫なのに他者を気遣えるやさしい、そして強い娘でした。

看病中ワタシが眠くて仕方がなかったのは一緒に寝て欲しかったのか
ワタシに苦しむ姿を見せたくなかったのか
わかりませんが、最期まで抗って一緒にいたいと闘っていた姿を忘れません。

2023年10月13日午前8時4分 ふくは永眠いたしました


ふくの祭壇



お骨になったふくとゆき兎さんからのお花




本日10月14日13時ふくはキレイなお骨になりました。
虫歯で抜いた左上下犬歯以外何一つ欠けることのない
キレイなお骨でまめの時と同じく肩甲骨もキレイに残っていました。


少し気持ちが落ち着いてまめのことを、まめの容れ物をアップしようと思っていた矢先
ふくを亡くし、かなりキツいです。
報告として長くなりましたがお知らせしましたがこのブログの主役が3人とも旅立ってしまい
そろそろ終幕に向けて行こうと考えております。
まめやふくのこと、容れ物のことはアップしたいと思っております。
ガブ・ふく・まめを愛してくださった皆様本当にありがとうございました。






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がんばっていたまめのこと(追記あり)

2023-08-06 16:49:36 | 写真で徒然2023


昨年末から歯石による口内の潰瘍で痛く辛い思いをさせ
それも2月には回復してごはんもお水も普通に摂れるようになり
体重も徐々に増えていましたが
月1の検診は腎機能がだんだんと悪化していました。
サプリを処方されるも数値に目に見える改善がなく
2種類のサプリを食事に混ぜて与えていました。
ごはんもたくさん食べてサプリ入りのごはんも自分で食べてくれて
改善してくれたらいいなぁと様子を見ていました。
年末から今まで病院から近い実家にずっといて何かあればすぐに受診できる状態にしていました。



7月10日にふくが膀胱炎を発症。同じ時にまめもかなりひさしぶりに
同じく膀胱炎を発症して常備しているサプリを飲ませるも
ふくはすぐに落ち着きましたがまめはなかなか症状が治まらず
2度目のサプリでようやく落ち着きました。
その翌日から食欲がどんどんなくなり歩きづらそうな感じもあり
病院に連れて行きました。
膀胱に石や腫れもないので痛み止めのシロップだけを処方され帰宅。
点滴も50mlしはじめる。、
翌日からシロップを飲ませると口をくちゃくちゃする仕草。
歯石がとれていないのでまたひどくなってきているのかと翌日また病院に。
歯石はとっってもらいひと月効く抗生剤の注射、粉の痛み止め
点滴を100mlに増やして様子を見ることにする。
そこから食事を摂れるようになるけど口が痛いので躊躇して食べたいのに
食べられないような状態になる。

鳴いて起こされるのでごはんかとあげて食べず寝付けずうろうろしてる。
気温も上がり暑いのが苦手ななのでなるべく涼しい状態にしてあげるが
やはりなかなか寝付けない状態が続いた。
7月23日に病院で血液検査をしてもらうと腎臓の数値BUNが
振り切れるほどの数値に跳ね上がっていた。CREも上昇。
なぜ、最初の日に血液検査をしてやらなかったのか今も悔やまれて仕方ない。
この日から半日入院の点滴投薬治療が始まった。
おウチにいられない病院で半日はストレスになるのはわかっていても
家でワタシがしてあげられることは限られているから出来うる限りの
治療を先生にお願いして毎日夕方に迎えに行っていた。



食べられなくなっていたけど病院で食べさせてもらったエナジーちゅーるを
けっこうたべていたとのことでとりあえず2本買って帰り
家であげたらすごく食べるので2本じゃ足りなかったから他のペーストと混ぜて
あげたりしたけどやっぱりちゅーるだけ舐めて。
何度も『ちゅーる頂戴!』と鳴くまめに『そんなに鳴いてたら疲れちゃうよ!』と言ったら
しゅんとして仕方なく眠りだしました。
そんなに好きならもっと買ってきてあげれば良かったなぁと翌日も半日病院に預け
その間に腎臓用のもっとナトリウムやリンの低いモノを買って用意もしました。
腎数値は下がるどころかまた上がっていてちゅーるも欲しがらない状態になっていたので
体外にリンや毒素を排出するレンジアレンを朝・晩にしてシリンジで与えることと
家でのんびり過ごさせてあげる選択もありましたが、家でできる治療は限られているので
もう少しだけ病院で点滴投薬をお願いすることにしました。
口に潰瘍があるのがわかり痛いのでペーストの食事も辛そうですが食べないと体力がなくなるので
病院と家でシリンジでの強制給餌をしていました。
水も自分でたくさん飲める時もあれば口を気にして飲めないことも。
寝付けずうろつきはしなくても寝場所を変え続けたり、とても楽そうに眠れていたり
とても辛いのにがんばっているまめを見ていて
『ばばちゃがちゃんとわかってあげられていたらまめをこんなに苦しませなかったのに
ごめんね。かわってやりたくてもかわれないくせにだめなばばちゃでごめんね』
と謝るワタシに辛いだろうにまめはゴロゴロしてくれた。
やさしいまめはいつも『いいよん』ってしてくれたけど今回はいいよんで済むことじゃないんだよ。

そして30日、朝預けて帰ろうとしたらまめが『置いてかないで』と鳴いていた。
血液検査をした先生が『更に数値が上がっていて血液が黄色ががっていて肝臓も悪化しています。
このまま点滴中に・・・ということもありえます、どうしますか?』と言われすぐに迎えに行きました。


お気に入りの“隠れ家”で猫になっていたまめ(30日)




暑かったので涼しい廊下で伸びてるまめの横にワタシもご一緒(30日)
なつかしの廊下で寝転がったお話→うれしかったの

迎えに行くと処置室のケージの中にまめがいて、もう顔を上げる元気もなさそうですと言われていたのに
ワタシとおバカの気配に気づいたのか遠くなのに首をあげてきょろきょろして
ワタシの方を見ました。『迎えに来たよ帰ろうね』と実家に連れて帰りこの日も暑かったので
なるべく涼しく過ごせるようにひんやりシートや扇風機で調整してあげ、水分確保のため皮下点滴をしたら
すごく楽そうな顔になり夕方5時~8時くらいまで眠っていました。
夜中に看ているために8時から仮眠をとらせてもらい23時半におバカがまめを部屋に連れて来た時
寝ている場合ではなかったと思った。明らかに様子が変わっていた。
脱水が進み表情もうつろで身体に力が入らないような感じだった。
右の上唇が赤くなり染み出ている。そこからはふくとずっとふたりまめを看ていました。
清浄綿で顔や口をきれいにしてやり鼻も乾かないように水を含ませて濡らすなど。

落ち着いていた呼吸も早くなっていて3時くらいには舌をだして『かっ!』と吐き出すような
声を出すようになり、おバカを起こして一緒に傍で看ていた。
5時には更に苦しそうにし始め、父も呼びワタシとふくとおバカと父で
ずっとまめを見守り続けました。

『まめ、もう頑張らなくていいんだよ。苦しいね、ごめんね。
こんなんなってもがんばってくれてありがとね』
そう言ってもまめは『ここにいたいよん』『やだよん』『やだよん』と必死に抗っていました。

一度痙攣して脚が伸びましたが、まだ『やだよん』といってこらえた。
そして二度目に脚が伸びて・・・・
最期の最期まで闘って闘って闘い抜いてがんばりすぎるくらいがんばって
まめは虹の橋を渡りました。
臆病そうに見えて本当はふくよりずっと順応性もあり強かった。
強くてもそれを表に出さずいつも穏やかなやさしいコでした、





初七日をワタシ勘違いしててお花を買ってなかったので実家の庭のお花をお供え


早いもので今日で『初七日』です。
今、ガブの時のようにまめの形の容れ物を作っています。
きっと闘病中もガブがずっと傍にいてくれたと思うし、先に天国にいったおばあちゃんも
きっと迎えにきてくれていることでしょう。
四十九日までのんびりワタシやふくやたまに父のいる1階にもいっているんじゃないかと思います。

猫は痛みを我慢する生き物で症状が出た時には手遅れということもあると
わかっていたのに、腎臓の数値が上がっていたこともわかっていたのに
かわってやれないなら早め早めの検査が大切だとわかっていたのに
自分に腹が立ってまめに申し訳なくてふくをひとりにしてしまったことも申し訳なくて
ワタシは何度同じこと繰り返せば学習できるんだよと。

ふくは幸い今のところ腎臓の数値も上がることなくその他の数値はサプリを2倍にした効果がみられ
正常値にまで改善しています。ですが、18年一緒にいた娘がいななったことがなんでもないはずがないでしょう
ごはんも食べてくれているしお水もいっぱい飲んでくれいますが気を抜かず少しの変化にも対応できるよう
ケアを続けていきます。

長々となりましたが、まめがどれだけ頑張ったか残しておきたくて。

まめが虹の橋を渡りました

2023-08-03 16:37:02 | 写真で徒然2023
2023年7月31日午前6時18分
がんばってがんばりすぎるくらいがんばって
まめは息をひきとりました。

経緯はまたアップしますが
本日は報告まで。




30日点滴治療を途中でやめて家でのんびりさせていた時のまめ。
夜中もそして最期までふくはまめに寄り添っていました。







翌日(8月1日)は友引だったので見送りを8月2日にしました。
連日暑いので保冷剤でまめを保護しなるべく涼しい場所に安置していました。
箱の中にもお花入れてありましたが、持たせてやるために見送り前に
新しく買ってきた“ひまわり”真ん中がガブ、左がまめ、右がふく
そんなイメージ。






まめの遺影。
なるべく最近のかわいい姿をと探しました。カメラ嫌いなので正面顔が
なかなかなく、クリスマスのコスプレがかわいかった一枚にしました。







まめのコラージュ
もっともっとたくさんの写真がありますが、今選べるだけの写真です。






昨夜小さな骨壷に収まりかわいいピンクの骨袋に入りました。
火葬直後熱を持っているのでカビなどの防止にまだ蓋は閉じていません。
お世話になっている動物病院の担当の先生からこれまたピンクのかわいいお花が届きました

これから少しずつまめのお話をアップしていきます。
まめを愛してくださった皆様。形はなくなってしまいましたが
思い出は消えないしデータとしても残っております。
(インスタグラムに写真や動画が多数アップされていますのでよろしければご覧下さい)
娘を失ったふくのメンタルや体調のケアを一番に考えねばと思っています。








本日も訪問いただきありがとうございます