今、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」が、ニュープリントとなって、東京の映画館を皮切りに順次、全国で上映されているみたいです。
四季を人生に置き換えるなら、どう例えればよいでしょう。
春は生命の誕生であり、輝かしい未来を予感させる子供時代と言っていいのではないでしょうか。
夏は、生命の躍動する青年期で、自分の才能や能力を遺憾無く発揮する季節と言っていいでしょう。
それでは、秋はどんな季節と言えばよいのか?
今までの人生や信じてきたものを静かに振り返り、来るべき老いや死を、自分なりの方法でどう完結させるのか考える季節と言っていいのかも知れません。
この映画の主人公、老作曲家アシェンバッハは、演奏中、体調不良で倒れ、ベニスで静養する事になりました。
彼は完璧を求める芸術家らしく、自分の理想に反するものをことごとく嫌っていました。
それは冒頭で、船頭に悪態をつく場面にも如実に現れています。
また、同じ作曲家のアルフレッドとの美に対する激しい論戦にも見る事が出来ます。
アルフレッドは言います。
「美は自然に発生するもので、努力とは関係ない。
芸術家の自負以前に存在するものだ」
それに対し、アシェンバッハは
「美と純粋さの創造は、精神的な行為だ。
感覚への完全な優位を保つことによってのみ、真の英知に到達出来る。
さらに真理と人間的尊厳へも」
と、激しく抵抗するのです。
ところが、あれほど人為的な芸術活動に勝るものはないと言って譲らなかったアシェンバッハは、ベニスのホテルで出会ったタジオの造形や立ち居振る舞いに、我を忘れて、心奪われてしまうのです。
それは、彼が今まで信じてきた芸術への概念に真っ向から反するものでした。
しかし、美少年タジオの中の、人の手では到底創造しえない完璧な美の虜になったアシェンバッハは震える胸を抑え切れずに、次第に精神の内部に異常をきたしていくのです。
時あたかも、ベニスの街は疫病が蔓延し、感染を恐れた彼は一旦、タジオと別れ、ベニスを去るべきか苦悶します。
しかし、美の女神にとり憑かれたアシェンバッハはベニスに残り、美の前に平伏すにふさわしく、化粧をほどこし、胸ポケットに一輪のバラの花を挿して、意気揚々、タジオを追い求めるのです。
それは、まさしく彼が信じてきた英知、真理、人間的尊厳との訣別を意味していました。
ラストで、アシェンバッハは浜辺の椅子に腰掛け、水着姿のタジオを見つめ続けます。
すると、タジオは仲間と争った後、一人、海に入り、アシェンバッハに振り向いたかと思うと、片手をあげ、ある方向を指し示すのです。
それに気づいたアシェンバッハは椅子から立ち上がろうとするのですが、叶わず、そのまま息絶えてしまいます。
美しい水の都ベニスで、究極の美とも言えるタジオに導かれて死んでいったアシェンバッハ。
それは真の芸術を目指した彼にふさわしい最期だったのかも知れません…
四季を人生に置き換えるなら、どう例えればよいでしょう。
春は生命の誕生であり、輝かしい未来を予感させる子供時代と言っていいのではないでしょうか。
夏は、生命の躍動する青年期で、自分の才能や能力を遺憾無く発揮する季節と言っていいでしょう。
それでは、秋はどんな季節と言えばよいのか?
今までの人生や信じてきたものを静かに振り返り、来るべき老いや死を、自分なりの方法でどう完結させるのか考える季節と言っていいのかも知れません。
この映画の主人公、老作曲家アシェンバッハは、演奏中、体調不良で倒れ、ベニスで静養する事になりました。
彼は完璧を求める芸術家らしく、自分の理想に反するものをことごとく嫌っていました。
それは冒頭で、船頭に悪態をつく場面にも如実に現れています。
また、同じ作曲家のアルフレッドとの美に対する激しい論戦にも見る事が出来ます。
アルフレッドは言います。
「美は自然に発生するもので、努力とは関係ない。
芸術家の自負以前に存在するものだ」
それに対し、アシェンバッハは
「美と純粋さの創造は、精神的な行為だ。
感覚への完全な優位を保つことによってのみ、真の英知に到達出来る。
さらに真理と人間的尊厳へも」
と、激しく抵抗するのです。
ところが、あれほど人為的な芸術活動に勝るものはないと言って譲らなかったアシェンバッハは、ベニスのホテルで出会ったタジオの造形や立ち居振る舞いに、我を忘れて、心奪われてしまうのです。
それは、彼が今まで信じてきた芸術への概念に真っ向から反するものでした。
しかし、美少年タジオの中の、人の手では到底創造しえない完璧な美の虜になったアシェンバッハは震える胸を抑え切れずに、次第に精神の内部に異常をきたしていくのです。
時あたかも、ベニスの街は疫病が蔓延し、感染を恐れた彼は一旦、タジオと別れ、ベニスを去るべきか苦悶します。
しかし、美の女神にとり憑かれたアシェンバッハはベニスに残り、美の前に平伏すにふさわしく、化粧をほどこし、胸ポケットに一輪のバラの花を挿して、意気揚々、タジオを追い求めるのです。
それは、まさしく彼が信じてきた英知、真理、人間的尊厳との訣別を意味していました。
ラストで、アシェンバッハは浜辺の椅子に腰掛け、水着姿のタジオを見つめ続けます。
すると、タジオは仲間と争った後、一人、海に入り、アシェンバッハに振り向いたかと思うと、片手をあげ、ある方向を指し示すのです。
それに気づいたアシェンバッハは椅子から立ち上がろうとするのですが、叶わず、そのまま息絶えてしまいます。
美しい水の都ベニスで、究極の美とも言えるタジオに導かれて死んでいったアシェンバッハ。
それは真の芸術を目指した彼にふさわしい最期だったのかも知れません…