西郷が最後に潜んでいた洞窟と、終焉の地を見て、西南戦争とは何だったのか考えてしまいました。
隼人の乱、シャクシャインの乱、島津の琉球侵攻、五稜郭の戦い、西南戦争、琉球処分、沖縄占領と並べると何か見えてくる物がありはしないか。中央と辺境という枠組みの中で、いつもはみ出してくる我慢の限界。沖縄は反乱の一歩手前でしょうか。
昨日、三郷北小倉の三九郎を見てきました。ここでは昔から7日にしています。7日早朝に道祖神の御柱を倒してオンベなどの飾り物をはずし、縁起物として参加者に配ったあと、各家庭から集めたしめ縄や松と一緒にサンクロウを作って焼くのです。7日に焼くということで、マユダマを焼いて食べるという習俗はないそうです。
写真で見てもわかりますが、この地区の特徴は御柱に飾った、ニッテン・ガッテンの大きな飾り物が三九郎にあることです。これは毎年焼いてしまう地区と、作るのが大変だからと3年に1回焼く地区があるといいます。基本的には小学生の子どもが参加して行う行事ですが、東京などから移住してきた家では保護者の負担が大変だからと、子どもを参加させないとのことでした。それもあんまりじゃありませんかね。この火の前でテレビのインタビューを受け、解説をしました。実はもう一か所同時に行っていて、そちらで焼いてしまうならくださいといってもらった、ダイオンベ(右:御柱に横に並べて飾られたもの)とショウオンベ(左:御柱のてっぺんに縛り付けて飾られたもの、同じ三郷中萱の熊野神社の祭りでお船や屋台を飾った花竹と同じもの)が下の写真です。1年間飾っておいて、来年の三九郎で焼くものだから来年も見に来て下さいと言われました。
今年の成人の日は8日(月)なので、6・7・8が3連休です。1月1日が月曜日で、第2週の月曜が成人の日だということで、随分早い成人の日となりました。この連休と連動していた小正月の火祭り、松本近辺でいうところの三九郎も7日にする所が多いと思います。私の住むマンションでも、正月飾りを集めるためのダンボール箱がエントランスに数日前置かれました。
正月飾りの松をおろすのは7日ですから、7日に集めるのは悪くありません。私が子どものころは、7日は外飾りを下げ15日に内飾りを下げるということで、2回松集めをし15日に三九郎をしたのです。昨日、安曇野市に道祖神の三九郎を見に行きましたが大したものでした。
その途中、6日に松を集めて三九郎を作っている子どもたちがいました。三連休の初日にやると決めてあるのでしょうか。もういつまでが正月だとか、しめ縄・門松などの意味など全く関係ありません。年神を迎えるだとか、作神を迎えて豊作を祈るとかの意味が失われ、行事をやるということに主眼が置かれてしまいました。今日はテレビ局から三九郎の意味を話してほしいという取材をうけることになっています。古い物がいいなどとは思っていないし、これが伝統だなどとゴネルつもりもありませんが、小正月を破壊してしまったハッピーマンデイはひどすぎると、毎年のことながら、7日に全てが終わる今年のカレンダーからして、特にひどいと思います。ちなみに、次の日曜は14日なのだから、この日に火祭りをやろうと思えばできるのですが、3連休のいずれかの日と動いてしまった気持ちは後戻りしないのです。