藤本 久のスピリチュアル日記

今この瞬間にここに在る。私もあなたも価値満タン

一秒先の未来

2013-09-29 22:22:22 | メッセージ
いま、この瞬間を、楽しんでいますか。

いま、この瞬間は、しあわせですか。

いま、この瞬間が、喜び溢れていますか。


それとも


将来の幸せになるために、現在を使っていますか。

明日を楽しむために、今日を使っていますか。

一秒先のために、この瞬間を使っていますか。


人はより良い明日を創るために、今日努力してしまいます。

そして、常に未来のほうが現在より状況が

良くなっているはずと思いこみます。

そこで、今いるところを否定してしまいます。

今この瞬間にいることが出来なくなっています。


「一秒先の未来」はいつまでたっても来ません。

一秒後は「いま、この瞬間」になり、

また「一秒先の未来」を見ます。


常に一秒先を見ることは、いまに居ることができません。

来ることのない一秒先に居続けてしまいます。

それは「いま、この瞬間」の実在を見れず、

「いま、ここに在る」ことを味わい尽くすことが

出来なくなっています。


将来を良くしようという思いは、

やりたい事を我慢させ、

自分の人生に犠牲を払いながら

頑張ります。


明日のために、ガマンしていませんか。

目標のために、ガンバッていませんか。

将来のために、今日をギセイにしていませんか。


時代は『3G』から『LTE』。

もうそろそろ『3G』から『LTE』へ乗り換えませんか。

ガマン、ガンバリ、ギセイの『3G』から、

Love、Thanks、Enjoyの『LTE』へ。

スマホの乗り換えと一緒に乗り換えましょう。


愛と感謝と楽しみと
ありがとうございました。
藤本久

幻想とは言うけれど

2013-09-26 22:22:22 | メッセージ
あなたはどの立ち位置にいますか。


Ⅰ.目の前の状況は現実であり、実際に起こっている真実である

Ⅱ.目の前の現象はすべて自分で創った幻想らしい

Ⅲ.目に映るもの、経験するもの全ては幻想だと信じている

Ⅳ.物理的三次元での経験は幻想だと知っている


各立ち位置で、見えてくるものが変わってきます。

心の揺れ方も変わってきます。

幸せの質感が変化します。


このブログを読んでいただいている多くの方は、

ⅡまたはⅢの立ち位置を取っている方だと思います。

シフトしようと決意されている方たちです。


しかし、「信じている」のと「知っている」のには、

大きな隔たりがあります。


「信じる」とは思考の中で行われます。

「知ること」は観念として当たり前になることで、

大いなる安らぎが訪れます。


寝ている時に見る夢は

幻想であることを知っています。

一部の方を除いてほとんどの人が知っています。

それは、夢から覚め夢の記憶が残っているからです。

夢は幻想だと信じているのではありません。

知っているのです。


夢は幻想だと知っているからといって、夢を否定しません。

悪夢を見ても「しょうがないなあ」と認めます。

時には楽しい夢を見ようと彼氏や彼女の写真を枕の下に入れて

ワクワクしながら眠りに入ります。

積極的に幻想を楽しみます。


夢の内容で落ち込んだり苦悩したりしません。

でも、楽しい夢の時は起きてから一日中幸せだったりします。

それが幻想の力です。

幻想だと知ることは、恐れを手放せるのです。


『無心』は『目覚め』への入り口です。

目覚めは『幻想だと知ること』をもたらしてくれます。

風が止み「無風」になるように

心の揺れが止み大いなる静けさが訪れたとき

自らが空間として広がります。


幻想を楽しみ尽しましょう。

どうせ幻想ですから。

どうせ愛されていますから。


ありがとうございました。
藤本久

揺れる心

2013-09-25 23:23:23 | メッセージ
心が挫けてしまいそうですか。

心が折れそうですか。

心が張り裂けそうですか。

でも、その心はどこにあるのでしょうか。


確かに胸のあたりがとても痛いでしょう。

頭の中を不安や心配で充満していますよね。

動くことも何をすることもできません。

そんな自分を縛る心ってどこにあるのでしょう。


心が温かくなっていますか。

心が喜んで元気に明るくなっていますか。

心が打ち震えるほど歓喜に浸っていますか。

その心はどこにあるのでしょうか。


胸でしょうか。

頭でしょうか。

それとも魂???


『心』はどこにもないんです。

そして、どこにでも『心』があるのです。

『こころ』は、場所やモノではなく状態だからです。


『風』はどこにあるでしょう。

風は空気が動いた状態を指します。

ほほを撫でるさわやかな風がここにあれば、

嵐や台風のように人や家までも飛ばす大きな風もあります。


嵐が去り、静かに風が止んだとき、

「静風」「止風」とは言いません。

風のない状態、『無風』と表現します。


こころも「静心」「止心」とは言いません。

『無心』と表現します。

では、こころがない状態とはどういうことでしょう。


張り裂けそうな心、歓喜で震える心。

心とは、ネガティブであれ、ポジティブであれ、

穏やかであれ、激しいものであれ、

それは感情の揺れが引き起こすものです。

常に独り言のように頭の中でしゃべり続けている思考から

観念によって湧き上がる感情の揺さぶりです。

それは、(他人)のささいな一言をきっかけとして、

状況や環境のちょっとした出来事をきっかけとして、

揺さぶられます。


頭の中のおしゃべりを止めてみる。

「いま、ここ」に集中して

五感で周りを味わい尽くしてみる。

歩いているなら、足の裏で地面を味わう。

カフェでエスプレッソを飲んでいるなら、

味、香り、空気、照明、音楽、隣のおしゃべり、

前の人のファッション、スタッフの表情・・・

そのすべてを、判断せず、評価せず、ただ味わい尽くす。

そこが『無心』の入り口です。


静かに座り坐禅を組む。

目を閉じ呼吸を整え瞑想する。

ヨガで体を使って調息する。


『無心』になると、空間が広がります。

自分が空間となり、とてつもなく拡大していきます。

そこには『自』と『他』がなくなります。

『大いなるひとつ』になります。

『愛そのもの』を知ります。



心の揺れは治まりましたか。

治まるわけないだろうって。。

それはそうです。

心の激震は、ここに来ている人の特権ですから。

感情に揺さぶられ、苦悩も歓喜も味わう。

それがここで出来る、楽しい、素晴らしい経験なのです。


だから大丈夫。

あなたはどうせ愛されているのですから。


ありがとうございました。
藤本久


今、その場所が最高のポイントです。

2013-09-24 21:21:21 | メッセージ
いまその場所、その状況、その状態から抜け出したいですか。

だから、そんなに苦しいのですか。


「状態を変えたい」「状況を変えなきゃ」「もっといいところへ行かなければ」

という思いが、この場所に留まり続けようと頑なに拳を握りしめます。

そこに安らぎはありません。


『変化』は必然です。瞬間、瞬間、全ては別物です。

瞬間ごとに状況は変化し、同じ状態はあり得ません。

が、今の状況、状態を否定することで、同じ状況、状態を再構築します。

今を受けいれないことで、頑なに『同じ』を握りしめます。


今のこの瞬間の状況、場所、状態は誰が何と言おうと最高のポイントです。

そう気づいたとき、ギュッと握りしめていたコブシが開きます。

開いた手の平から『簡単』と『すぐに』が状況、状態を好転させます。

それは、今の状況、状態を味わい尽くし、おなかが一杯になって

満足したからです。


焦らず、深く「いま」を味わい尽くす。

そこに幸せが流れています。

愛が溢れていることを気付きます。

悦びに満たされていることに感謝できます。



「でも、こんなのいやだ。」 まだ言ってますね。

何故、いやなのでしょうか。

何故、今に焦点を合わせられないのでしょうか。

ナゼ、より良いと思われる次の瞬間の「未来」を見続けるのでしょう。

なぜ、焦るのでしょうか。

なぜ、楽しめないのでしょうか。

何に、怖れていますか。


恐怖は愛のない状態から湧き上がってきます。

とすればなぜ、自分自身を愛せないのでしょうか。



あなたは、そこに存在する、それだけで価値満タンです。

そして、存在することそのものが愛されることです。100%です。

たとえ、ご自分でご自身を愛せないと思っていても、

宇宙はあなたを愛しています。完全にです。完璧にです。


だから、安心してご自分を愛おしんでください。

赤ちゃんを見るように、鏡のあなたに微笑んで。


大いなる安らぎは、いつもあなたの隣にあります。

ほら、鏡に映るあなたの隣にいたでしょ。



『いま、ここ』に愛と感謝をこめて
ありがとうございます。
藤本久