藤本 久のスピリチュアル日記

今この瞬間にここに在る。私もあなたも価値満タン

瞑想な日々

2014-08-06 23:49:30 | 行動
毎日2回、朝と夕方30分間のフルフィルトメント瞑想。

週3回、毎回1時間2回のOSHOのアクティブ瞑想。

月2回、毎回25分2回の座禅と読経の日曜座禅会。


最近の瞑想な日々です。

瞑想を意図し、目を閉じると体が反応します。

まず、全身にしびれが走ります。

それはちょうど、何かに感動したときに、全身に走るゾワゾワとしたものと同じです。

そして、静かに「内」に入っていきます。


瞑想は静かな時間を創ります。

思考と感情から離れてそれを観察しています。

『わたし』をみています。


「すべて」が『わたし』に帰っていきます。

関わる「すべての人」。目の前に表現されている「すべてのもの」。

「すべての出来事」。「すべての現象」。

そのすべてが『わたし』です。


存在者としての『わたし』は不滅です。

存在は確固としたもので、揺るぎのないものです。


映画のスクリーンに映し出される映像がどんなに悲惨でも、どんなに激しい災害でも、

その火災がスクリーンを燃やすこともなく、その嵐はスクリーンを濡らしさえしません。


スクリーンが映像に影響されないのと同じように、

存在者である『わたし』は現象(目の前の出来事)に影響されません。


気づきがやってきます。

「内」に入り静かにいると彼方よりやさしい「間」がやってきます。


瞑想な日々での起こっていることです。


ありがとうございます。
藤本久

幻想世界での成功

2014-08-03 23:53:11 | メッセージ
わたし達は何故、この目が覚めている状態だけでなく、

夢見の状態や、深い眠りの状態を毎日繰り返すのでしょうか。

過去や未来は存在せず、この「いま」が永遠に続くというのに、

この目が覚めている状態の「今」が永遠に続くのではなく、夢見の全く違う世界の「今」や

深い眠りの何もない世界の「今」を経験するのでしょうか。しかも毎日。


この目が覚めているとき経験している世界は、夢見の状態、深い眠りの状態のときには

どこに行ってしまったのでしょうか。

「見る者がいるときに、見られるものが存在する。」

「見る者がいないときには、見られるものは存在しない。」

という本質から、夢見の状態や深い眠りの状態のときには、

目が覚めている者はいません。したがって見られる世界は存在しません。


目が覚めているものが現われた時、つまり眠りから覚めた時

その世界は立ち上がります。

それは自我の持つたくさんの想念とともに世界が立ち上がります。

このたくさんの想念でこの世界を創り上げています。


あなたはあなたの想念であなたの世界をあなた自身が経験しているのです。

もちろん、肉体を持つことで集合無意識からの自動的に設定されたルールはあります。

時間の観念や重力の縛りなどは想念で創ることなく影響を受けています。

しかしこのルールも目が覚めている状態での集合無意識なので、

夢見の状態では、とても緩やかになります。

夢見の世界はより自由度の高い制限の少ない「いま」を経験しているのです。


さて、あなたは眠りから覚めた時、想念によりこの世界を立ち上げました。

それでは、眠りのときには存在しなかったこの想念はどこからきたのでしょうか。

この想念は、眠る前の想念と同じものでしょうか。

同じ想念だとしたら変えることはできるのでしょうか。


世界は毎回新しく立ち上がっています。

その想念のくるところを、立ち上がる想念をみつめた時、

想念は書き換えられ、世界は大きく変化します。


望む世界の想念にする。

観念を書き換え、感情と思考を望む方向へ持っていく。

これが「思考は現実化する」などの成功哲学です。

目が覚めているこの幻想世界での成功というゲームの楽しみ方です。



次回はこのゲームからの卒業をみていきたいと思います。

ありがとうございました。
藤本久

深い眠りの中で

2014-08-02 11:27:37 | メッセージ
私たちは、毎日3つの状態を繰り返しています。

起きて目が覚めている状態。

眠りの中で夢を見ている状態。

深い眠りの中で何も経験していない状態。

この3つの状態を繰り返し繰り返しています。


そしてあなたは、この目が覚めている状態の中で、これを読んでいます。

しかしこの目が覚めている状態の世界は、夢見の状態、そして深い眠りの状態のときには

どこに行ってしまったのでしょう。


あなたは、毎日夢を見ています。

覚えているか、忘れているか、忘れていることさえ忘れているかは

別にして夢見の世界にいました。

もちろんあなたはあなたの体を持ち、行動し、感情に流され、喜びや悲しみ、恐怖さえ抱きました。

ところが目が覚めた時、あなたは夢見のときの恐怖や悲しみを気にもしません。

何故でしょうか。


深い眠りのとき、行動や感情は起こりません。

また見るべき世界、経験する世界もありません。

何故でしょうか。


眠りから覚めた時、私たちは見るべき世界を立ち上げます。

自我が立ち上がり、それとともに世界も表現されます。

私たちは時折、急に起こされて自我の立ち上がりが間に合わず、

「ここはどこ?私はだれ?」を一瞬経験することがあります。


見るべき世界、経験する世界は自我とともに立ち現われるのです。

夢見の状態のときにも、目が覚めている状態の時よりも精妙にはなりますが、

同様に自我とともに見るべき世界が立ち上がります。


しかし深い眠りの中では、世界は立ち現れず、自我も出てきません。


自我のない世界。その状態に私たちは毎日入っているのです。

そこは、至福の状態。

つまり私たちは毎日、至福の状態に入っているのです。

眠りへの欲求は、1日も飛ばすことができないくらい強く

良い眠りへの望みは、至福の中に入ることへの欲求であり、

これが本来の姿です。

つまり、至福こそがあなたの本性です。


では、どうしたらこの目が覚めている世界で至福に気づくのか。

自我とともに世界が立ち現れるこの目が覚めている世界で

自我を消滅させることができるのか。


それが『本当のわたし』に気づくことです。

「大いなる存在」「神」「真我」「創造主」・・・

が『わたし』であることに気づくことです。


『わたし』が「神」「創造主」なのです。



ありがとうございます。
藤本久