吉見観音は正式には岩殿山安楽寺といい坂東11番札所で真言宗智山派に属し古くから「吉見観音」の名で親しまれている古刹です。たまにお遍路さんの巡礼に遭遇します。
今から約1300年ほど前、行基菩薩が岩窟に観音像を安置したのが始まりと言われています。その後大同元年(1806年)坂上田村麻呂によって吉見領の総鎮守となりました。平治の乱後には源範頼がこの地を領するようになり二十五間四方の本堂と十六丈の三重塔を建立したと伝えられていますが、天文年間(約450年前)の上杉憲政と北条氏康の松山城合戦に際し松山城の落城とともにこれらのすべての伽藍が焼失してしまいました。
現在の本堂は寛文元年(約340年前)に再建されたものであり五間堂の平面を持つ密教本堂で江戸時代前期の建築様式を伝える貴重な遺構です。堂内の欄間には左甚五郎の作と言われる「野荒らしの虎」が納められています。
仁王門をくぐると本殿です。重厚な佇まいを感じます。
本殿裏の崖に創建者の墓が祀ってあります。知られていないのかお参りする人はあまりいないそうです。
本殿前の広場にある如来像で寛政2年の鋳造の様です。
境内にある他の堂塔です。
裏の境内林の中には鐘楼と八起地蔵が祀ってあります。
秋を感じさせる一コマです。
三重塔は本堂よりも古い寛永年間(約350年前)の再建であり全体的に簡素な意匠ながら和様様式で統一された江戸時代初期の特徴をよく現しており貴重な遺構です。塔は印度において仏教とともに起こった建築で仏陀の遺骨を奉安して供養するために建てられたものです。塔の内部は四天柱を建て中には誕生釈迦尊像を安置し、心柱は天井の梁で支えられ組み物等は工匠間のいわゆる六枚掛けで整然としています。塔建築の少ない関東地方において江戸時代初期の塔は県内に三塔現存していますがその中でもこの三重塔は当代の様式を最も伝えている極めて重要な建築物として昭和28年3月に有形文化財として県の指定を受けました。
仁王門は元禄十五年に再建され三棟造りの八脚門という建築様式をもち内部には「阿(あ)」「吽(うん)」の仁王像二体を安置しています。屋根は瓦葺きでしたが現在は銅板葺きに改められています。仁王像の建立は元禄十五年(1702年)と考えられています。
仁王門に掲げられている扁額です。
仁王門の金剛力士像です。上が「阿」下が「吽」と思います。
木鼻彫刻というそうで龍、獅子、象などがあります。これは象のようです。
毎年6月18日に「厄除け朝観音御開帳」が行われ参道には出店が連なり深夜2時頃から早朝にかけて大変な賑わいとなります。この日は古くから「厄除け団子」が売られています。
参道の入り口では観音様と仁王像が迎えてくれます。
参道の途中に名物「厄除け団子」を売っている「とんびや」有ります。お店はここだけの静かな参道です。突き当りが山門下になります。
(注) 吉見観音へのアクセスは電車、バスはよくありません。車が便利です。
電車、バスの場合は東武東上線東松山駅から免許センター行バス「百穴前」で下車徒歩約30分です。
車の場合は関越自動車道東松山ICから約20分。広い駐車場が有ります。