奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その204)

2017-03-16 10:02:41 | 奈良・不比等
「古谷経衡(ふるやつねひら)」著「“意識高い系”の研究(文春新書2017刊)」を読んだ。1982年・札幌市生まれ、小中高と札幌の公立、立命館大学・史学科を2008年に卒業し、2010年より千葉県在住。--------
「意識高い系」は「リア充」とは異なると述べている。「リア充」とは、「実人生の充実している事・また其の人」を云うとのことで、「意識高い系」と云うのは、「何事にも背伸びして自分を大きく見せようとする浅ましい様(さま)を示す行為・また其の人」を云うのであると。------
「意識高い系」が指摘されてきたのは、「スクールカースト」の中・下層を構成し、「土地持ちの地元民(ジモティー)・土着民」や「内部進学者」のように約束された「大学デビュー」や「地元の人的ネット」にも縁の無い存在として人生の駒を進めてきた中で、抑えられない承認欲求が高まった故の異常行動を取る人達の事を問題現象として命名されたものであると。-------
経済格差社会が進行したとの議論があるが、グローバル化も経済構造の変化とも関係無く、親の土地などの資産を引き継ぐ子弟は何事にも余裕があり、賃貸住宅育ちの「意識高い系」から見ると羨(うらや)ましい限りの本物の「リア充」となれるのだと。-----
奈良県で見れば、県内郡部の旧村地域にお住まいの先住民(在来人・地元民ジモティー)と新興住宅地の開発とともに京阪神地域から移住してきた新住民(外来人)との間には超えられない垣根が厳然としてある。村の鎮守の神様に外来人は一切係わらせて貰えない。お寺の檀家制度もそうである。お陰(かげ)で幸か不幸か奈良の歴史文化には何の関係も無い。新興住宅地は都市計画の法的承認を受けて開発されていても、旧村の地元民の仲間に加えて貰ったのではなかった。小学校など学校だけが共通するのだが子供達はそこでスクールカーストの洗礼を受けることも多い。------
人口減少社会に移行して、社会階層の流動化が止まって階層の固定化が目立つと「古谷経衡」は見ているようだ。「古谷経衡」が自虐的に「リア充」ではなく「意識高い系」であることを告白しているかのような感想を持った。

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