Look at the Dawn Sky (^^)

見ると早起きした気分になれるブログを目指しています

基本、雨ふりの朝は更新したりしなかったりであります

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座れ

2017-10-09 08:45:32 | 日記

 佛暦2561年 10月9日




 起てよ、座れ。

 眠って汝らになんの益があろう。矢に射られて苦しみ悩んでいる者どもは、どうして眠られようか。

 起てよ、座れ。

 平安を得るために、ひたすら修行せよ。汝らが怠惰でありその〔死王の〕力に服したことを死王が知って、汝らを迷わすことなかれ。






























 神々も人間も、ものを欲しがり、執着にとらわれている。

 この執着を超えよ。

 わずかの時をも空しく過ごすことなかれ。時を空しく過ごした人間は地獄に墜ちて悲しむからである。




 怠りは塵垢である。

 怠りに従って塵垢がつもる。

 つとめに励むことによって、また明知によって、自分に刺さった矢を抜け。

(ブッダのことば スッタニパータ/中村元 訳 より)




 230 拝


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犀の角のように

2017-09-26 10:28:56 | 日記



佛暦2561年 9月26日


























 あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれも悩ますことなく、また子を欲すなかれ。況や朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。

 交わりをしたなら愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍の生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

 朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れがあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

 子や妻に対する愛着は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。筍が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。

 林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。








 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

 仲間の中におれば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。




 四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

 出家者でありながらなお不満の念をいだいている人々がいる。また家に住まう在家者でも同様である。だから他人の子女にかかわること少なく、犀の角のようにただ独り歩め。

 葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように、在家者のしるしを捨て去って、在家の束縛を断ち切って、犀の角のようにただ独り歩め。




 しかしもしも汝が(懸命で協同し行儀正しい明敏な同伴者)を得たならば、あらゆる危機にうち勝ち、こころ喜び、気を落ち着かせて、彼とともに歩め。

 しかしもしも汝が(懸命で協同し行儀正しい明敏な同伴者)を得ないならば、譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。

 われらは実に朋友を得る幸せを褒め称える。自分よりも勝れあるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、犀の角のようにただ独り歩め。

 金の細工人が仕上げた二つの黄金の腕輪を、一つの腕にはめれば、ぶつかり合う。それを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

 このように二人でいるのならば、われに饒舌と諍いとが起こるであろう。未来にこの恐れのあることを察して、犀の角のようにただ独り歩め。

 実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々のかたちで、心を攪乱する。欲望の対象にはこの患いのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

 これはわたしにとって災害であり、腫れ物であり、禍であり、病であり、矢であり、恐怖である。諸々の欲望の対象にはこの恐ろしさのあることを見てとって、犀の角のようにただ独り歩め。




 寒さと暑さと、飢えと渇えと、風と太陽の熱と、虻と蛇と、──これらすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。

 肩がしっかりと発育し蓮華のようにみごとな象は、その群を離れて、欲するがままに森の中を闊歩する。そのように、犀の角のようにただ独り歩め。

 集会を楽しむ人は、暫時の解脱に至るべきことわりもない。太陽の末裔(ブッダ)のことばをこころがけて、犀の角のようにただ独り歩め。

 相争う哲学的見解を超え、(さとりに至る)決定に達し、道を得ている人は、「われは智恵が生じた。もはや他の人に指導される要がない」と知って、犀の角のようにただ独り歩め。




 貪ることなく、偽ることなく、渇望することなく、(見せかけ)で覆うことなく、濁りと迷妄とを除き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め。

 義ならざるものを見て邪曲にとらわれている悪い朋友を避けよ。貪りに耽り怠っている人に、みずから親しむな。犀の角のようにただ独り歩め。

 学識豊かで真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を除き去って、犀の角のようにただ独り歩め。

 世の中の遊戯や娯楽や快楽に、満足を感ずることなく、心ひかれることなく、身の装飾を離れて、真実を語り、犀の角のようにただ独り歩め。

 妻子も、父母も、財宝も穀物も、親族やそのほかあらゆる欲望までも、すべて捨てて、犀の角のようにただ独り歩め。




 「これは執着である。ここには楽しみは少なく、快い味わいも少なくて、苦しみが多い。これは魚を釣る釣り針である」と知って、犀の角のようにただ独り歩め。

 水の中の魚が網を破るように、また火がすでに焼いたところには戻ってこないように、諸々の(煩悩)の結び目を破り去って、犀の角のようにただ独り歩め。

 俯して視、とめどなくうろつくことなく、諸々の感官を防いで守り、こころを護り慎み、煩悩の流れ出ることなく、煩悩の火に焼かれることもなく、犀の角のようにただ独り歩め。




 葉の落ちたパーリチャッタ樹のように、在家者の諸々のしるしを除き去って、出家して袈裟の衣をまとい、犀の角のようにただ独り歩め。

 諸々の味を貪ることなく、えり好みをすることなく、他人を養うことなく、戸ごとに食を乞い、家々に心をつなぐことなく、犀の角のようにただ独り歩め。

 こころの五つの覆いを断ち切って、すべて付随して起こる悪しき悩み(随煩悩)を除き去り、なにものかにたよることなく、愛念の過ちを断ち切って、犀の角のようにただ独り歩め。




 以前に経験した楽しみと苦しみとを擲ち、また快よさと憂いとを擲って、清らかな平静と安らいとを得て、犀の角のようにただ独り歩め。

 最高の目的を達成するために努力策励し、こころが怯むことなく、行いに怠ることなく、堅固な活動をなし、体力と智力とを具え、犀の角のようにただ独り歩め。

 独座と禅定を捨てることなく、諸々のことについて常に理法に従って行い、諸々の存在には患いのあることを確かに知って、犀の角のようにただ独り歩め。

 妄執の消滅を求めて、怠らず、明敏であって、学ぶこと深く、こころをとどめ、理法を明らかに知り、自制し、努力して、犀の角のようにただ独り歩め。




 音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め。

 歯牙に強く獣どもの王である獅子が他の獣にうち勝ち制圧してふるまうように、辺地の坐臥に親しめ。犀の角のようにただ独り歩め。



 慈しみと平静とあわれみと解脱と喜びとを時に応じて修め、世間すべてに背くことなく、犀の角のようにただ独り歩め。

 貪欲と嫌悪と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失うのを恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。



 今の人々は自分の利益のために交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は得がたい。自分の利益のみを知る人間は、汚らしい。犀の角のようにただ独り歩め。

(中村元 訳/ブッダのことば スッタニパータ より)




 230 拝


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なんとかしなければ

2017-09-07 06:56:05 | 日記



 佛暦2561年 9月7日




 教えに通じている在欲信者たちが、「欲望ははかないものである」と語っているのを、わたしは見た。

 かれらは「欲望ははかないものである」というけれども、かれらは実に道理を如実に知ってはいないのである。

 かれらは欲情を断ち切るだけの力をもっていない。それ故に妻子や財産に執着しているのである。

(イシディンナ長老の詩句/訳者 中村元/仏弟子たちの告白 より)




 正にこのことです。私が今一番なんとかしなければならないことが正にこれですね。




生きとし生けるものが幸せでありますように。




 230 拝


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能ある鷹、能なし鷹

2017-09-02 08:13:45 | 日記




 佛暦2561年 9月2日













































































































 たとい(ある修行者が)三種の明知を体現していて、死を捨て去った者であり、汚れが無いとしても、無知なる愚人どもは、「かれは人に知られていることが少ない」といって、かれを見下す。




 ところで、この世で食物や飲料を(多く)所有している人は、たとい悪いことを行っていても、かれは愚かな人々から尊敬される。

(アジナ長老の詩句/中村元 訳/仏弟子の告白 より)
































 能ある鷹は爪を隠すし、食い付く犬は吠え付かぬと申します。




 だからこそ、こんな風に愚者と賢者はこの狭い世界を住み分ける。




 日なたと日陰が決して交わらないように。




生きとし生けるものが幸せでありますように。




 230 拝


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残飯を

2017-09-01 07:37:39 | 日記



 佛暦2561年 9月1日



















 (・ω・)ノみんなおはよ。


























 わたしが乗るためには、柔らかい布が象の頸に敷かれていたし、またわたしは、サーリー米の御飯に浄肉のスープをふりかけて食べていたが〔幸せではなかった。〕




 しかるに、今日、幸運にも、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。




 ボロ布でつづった衣を着て、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。

 托鉢によって得た食べ物だけを食べて、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。

 三種の衣だけを着て、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。

 家の貧富をえらばずに托鉢して、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。

 独りで座して、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。

 一つの鉢に盛られる食物だけを食べて、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。




 食事の時を過ぎては食事しないで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。

 森に住んで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。

 樹の下に住んで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。

 屋外に住んで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。

 死骸の棄て場所に住んで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。

 指定された場所に住んで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。

 座ったまま横臥しないで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。

 望むことが少なく、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。

 満足して、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。

 人々から遠ざかり離れて、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。

 人々と交際しないで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。

 精進努力して、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。




 高価な真鍮製の鉢と百両もする黄金製の鉢とを捨てて、わたしは土製の鉢を執った。これは(わたし)の第二の灌頂である。

 かつて、わたしは、高く円い城壁をめぐらされ、堅固な見張り塔や門のある城の中で、剣を手にした人々に護られながら、しかもおののいて暮らしていた。

 今日、幸運にも、恐れおののくことなく、恐怖・戦慄を断ち切って、ゴーターの子・バッディヤは、森に潜んで、瞑想にふける。

 幾多の戒めに安住して、心の落ち着きと智恵とを修めて、わたしは、順次に、あらゆる束縛の消滅を体得した。

(カーリゴーターの子であるバッディヤ長老の詩句/中村元 訳/仏弟子の告白 より)




 今も昔も世俗の欲に骨の髄まで犯された人々からは、こうした「残飯を喜ぶ」という修行者の暮らしや生き方などは、狂気の沙汰と思うのでしょうね。

 でも、本当の幸せの正体とは、あらゆる束縛の消滅です。

 しかし世俗にまみれたわたし達は、幼稚で稚拙な欲望を際限なく満たすことが幸せだと思い込んでいます。

 欲は束縛です。

 怒りも束縛です。

 無智こそが束縛です。

 ならば束縛を少しでも減らして、減らして、本当の幸せを目指し頑張りましょう。




生きとし生けるものが幸せでありますように。




 230 拝


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