一歩ずつ

視覚障害者の主婦です。ブログをとおして、皆さんとの出会いを大切に一歩ずつ、絆を深めたいと思っています。

大失敗

2008年03月30日 | 生活
昨日、夕食にカレーを作った。
5時半に出来上がるよう、お米をといて炊飯器のタイマーをセット。
さあ、それに併せてカレーを仕上げよう。
昼過ぎから下ごしらえをしていたカレーの仕上げ準備を5時位から始めた。
5時半にタイマー音が鳴り、ご飯もできあがり。
カレーもちょうどいい具合に出来上がった。
皿に盛りつけようと炊飯器を開けて、しゃもじを入れた瞬間、「しまった!」
とうとうやってしまった。
お水を入れずに、ご飯を炊いてしまった。
できあがりは悲壮な物。
お腹をすかせて、やっと食べれると思ったのに・・・(泣)
今までお水を計って炊飯器にセットしたものの、肝心の電源を入れ忘れて炊けてなかった、という経験は何度かある。
でも水を入れ忘れ炊いてしまった事は今回初めて。
よりによって、いつもは1回に2合しか炊かないが、カレーということで3合炊いていた。
もったいないことをしてしまった。
仕方なくそれから新しい米で炊き直して、早炊きで40分。無事にご飯も炊けて食べることができたが、大失敗をしてしまった日だった。

障害者雇用

2008年03月28日 | 社会
今日の記事はあまり楽しい記事ではないので、興味のない方は飛ばしてもらっていい。
逆に興味のある方は、積極的な率直なコメントを是非頂きたい。

私は現在一年前から、週3~4日、半日パートに行っている。
年度毎の一年契約でこの3月に契約更新の時期を向かえた。
当初からフルタイム勤務を希望していた。
それは経済的な理由もあったが、将来的に安定した仕事に就きたいため、正社員登用を検討してもらうならフルタイムで成果を上げて認めてもらいたかったというのもある。
体力がまだある間に、就労意欲がある間に、向上心がある間に、頑張って自分のために、家族のために、そして他の就労を希望している多くの障害者のためにも・・・、いろんな思いで昨年から働いていた。
当初、募集は月5日の半日勤務。募集定員は2名だった。
障害者雇用とかではなく、一般採用での募集だった。
しかし、職種と通勤の便とを考えて、今のところを、ダメ元で視覚障害がある(弱視)という前提で問い合わせてみた。
そこから話はとんとん拍子に進んで面接などはあったが採用までの日は早かった。
結局私を含めて3人採用となった。
その中には、扶養の範囲内で働きたい人、少しでも収入が欲しい人、話を聞いていると家庭の事情などで希望している事も違っていた。
どういう採用基準で選んだかは、私たちには当然わからないし、知るよしもない。
でも、採用していただいた以上は、企業のためにも「障害者を雇って後悔」してもらわない為にも負けずに全力で自分の力を発揮しようと意気込んでいた。
夢と希望を抱きながら業務を開始した。
当初から私がフルタイム勤務を希望していたので、「今の仕事に慣れたら前向きに検討しましょう」と言ってもらっていた。
「仕事に慣れたら・・・」それは何ヶ月かかるか、もしかしたら何年もかかるかもしれない。
やってみないと私にもわからなかったし、雇用する側もわからないのは仕方がない話。
でもその言葉を信じて、他に一緒に入社した健常者の同僚に負けないよう、足を引っ張らないよう、正直ムリをしていた部分もあったが、今が勝負時と必死で一年を過ごした。
入社して一年経った今年3月、今月末で一端契約が切れる私は更新の期待とは別に、正社員への転換を心のどこかに期待していた。
その理由の一つは自分でも満足できる業務がこなせていること。
目が悪くても仕事が遅い訳でもない、資料の拡大など物理的なサポートはしてもらっているが、そのおかげで今は何も問題なく業務を遂行している。
そしてもう一つの理由。それは最近退職した人がいてて、その席が空いていた。
もちろん事務の方ではないので、その場所を期待するのはお門違いかもしれない。
でも、職歴の中に総務経験はあるし、誰でも最初は慣れていないしわからないのは当たり前。
話は戻るが、昨年の夏頃にも再度フルタイムを上司にお願いしていた。
上記の場所とは違うが、別の部署で業務内容も具体的な話でどうか?という話だった。
私は「させてもらえる仕事なら何でもチャレンジさせていただきます。よろしくお願いします。」とお願いしていた。
「今すぐではないけど・・・」という話で。
その後、婦人科の入院手術などもあって、その話は私自身が遠慮もあり、出さないようにしていた。
3月に入り、来年度の契約更新の書類が届いた。
内容は今年度と全く一緒だった。
「何で?」上司に確認した。
「昨年夏頃、フルタイム勤務をお願いしていたのですが・・・」
「今の職種は3人体制だから無理」(それは当たり前。そんな話でお願いしていたのではない)
「他に○○さんにやってもらう仕事はない」
じゃああの時の話は何だったの?
あまりの言葉に私自身、言葉を失った。
その瞬間に、働く意欲が失せてしまった。
自分の力が足りなかったら、あきらめもつく。でも、そうではないと自負している。
それから私はショックを表に出さずに、落ち込んで泣いていた。
悔しい、情けない、と言うより腹立たしい気持ちの方が大きかったかもしれない。
その私の感情に追い打ちをかけるように、それから2週間後、その席に新規の弱視のパート職員が入社してきた。
私の心は穏やかではなかった。
障害者雇用率を達していない我が社が罰則金を納める位なら・・・という考えとは別に、その上司にとって自分の立場上、雇用率をノルマ化されているので、自分の株をあげるためというのがありありだった。
ちなみにその上司は他部署からも嫌われている上司ということが以前わかったことがある。
その理由についてはここでは書かないが、かなり嫌われているみたい。
私もこの件以外にミーティングの時にみんなの前で「○○さんは人の好き嫌い激しいやろ?」(何の根拠を持って?)
「私の事も嫌いやろ?」
「・・・。そんな事ありませんが。」(心の中では嫌いですと言ってやりたかったが・・・)
完全にパワハラ発言。
それだけではない。私たちパート職員で結託されたくないからか、仕事以外でもメールや電話を含めてつきあいは禁止。
おかしいと思いませんか?「私情を仕事に持ち込むなとか」なら理解もできます。
でも、何で仕事以外の時間まで制限されないといけないのか。
それ以来、私たちは職場では差し障りのない会話しかできなくなり、それぞれ解雇されるのも恐れているので、反発もできない状態に陥っている。
上司の上司に相談することも考えた。
でも今は所詮パート職員。立場的には弱いのが分かり切っている。
理屈は正しくても、現実はそんな事をしたら後々、自分が居づらくなるのは目に見えてわかっていること。
ましてや視覚障害者が仕事探しをすることがどれだけ難しいか私自身が一番よくわかっている。
悔しい気持ちを抑えて、転職を視野に入れることにした。
今まで、正直ここで落ち着こうとしていたので、求職活動はまったくと言っていいほどしていなかった。
インターネット、職安、新聞の求人や人材紹介会社、ありとあらゆる手段を利用して、探している。
だけど・・・。
この4月にパートタイム労働法が改正される。
パート職員の意欲や能力を生かして、正社員転換や文書での明確な契約が今までは努力化だったが、4月からは義務化となる。
今回の事はその新しく入ってきた人を私はうらみたくない。
もちろん温かく、少しだけ先輩の私は見守っていたい。
でもその気持ちとはうらはらに複雑な気持ちを今でも抱いている。

長々と愚痴を書きましたが、私の今の本音。
雇用する側、雇用される側、パート職員、障害者と身近に働いている方、いろいろな方の意見を聞きたく思い切って書きました。


保育所修了式

2008年03月24日 | 想い
土曜日、保育所の修了式があった。
下の娘なので、これで保育所生活も最後。
混雑しないうちに門の前や遊具の前で写真を撮りたかったので、早めに着いた。
写真を撮って、会場に。
会う先生みんながみんな「おめでとうございます」と。
その時から私の目には涙が・・・。
こんな時から泣いていたら、あとどうなるの、と涙をこらえて。
お友達もみんな集まり、いよいよ式開始。
順番に名前を呼ばれて修了証書をもらった。
うちの子は0歳から入っているので、3番目だった。
入所した年の誕生日順で呼ばれていた。
前半の子はそういう訳で、話もした人が多く、想い出が頭の中を巡った。
所長先生から証書を受け取り、通路を通って待機している親に証書を手渡す。
いよいようちの順番。私がスタンバイして旦那はビデオ係。
名前を呼ばれた瞬間から涙が止まらず、先生がひとりひとりに名前の後にエピソードを話していたが、感極まりすぎて何を話していたか覚えていない。
その後、歌や挨拶などがあり、1時間の式が無事に終了。
そのあと、お世話になった先生やお友達と一緒に写真撮影。
この保育所から同じ小学校に行く友達は今年は誰もいない。
仲の良かったお友達ともみんな離ればなれ。
子供は理屈ではわかっていても、実感がないのか、この年では泣いている子は誰もいなかった。
昼食を兼ねて、近くのカラオケ店で親子でお別れ会をした。
特に仲良くさせてもらっていた子は、大阪府下の離れた所に引っ越しをすることになり、親は淋しさも増大した。
一緒に写真を撮ってもらい、住所をお聞きして、できあがった写真を送付することにした。
約3時間のひとときを楽しく、思う存分過ごすことができた。
ブログには書いていないが、ここ最近、辛かった事があり私の笑顔が消えていた。
久しぶりにつかの間笑顔を取り戻せた時間だった。
みんなそれぞれの小学校で大きくなって、夢に向かって羽ばたいて欲しい。
アルバムを見ながら、7年間の想い出に終止符を打った。

強膜炎

2008年03月24日 | 病気
先週の木曜日あたりから左目に充血が出だした。
最初はその前に花粉症デビューもしてしまったので、その影響かなと軽く考えていた。
でもそのうちに目に痛みを感じだした。ゴロゴロというか時には突き刺すような痛みも・・・。
結膜炎かなと思って、ドラッグストアで市販の結膜炎用の目薬を買った。
次の日、目薬を点しても痛みは治まらない、ますます充血がひどくなり、目が真っ赤。
右目にも充血が始まった。
目やには出ない。結膜炎なら目やにも出るはず。
一抹の不安を抱えて翌日金曜日、かかりつけの眼科に行った。
先生は診察後、徐に目の模型図(目玉親父のような模型図だったらしい)を出してきて、「強膜炎という白目の炎症の病気です。目薬を出しておくのでこれで様子を見て、症状が改善されなければ、来週にでも来てください」と言われた。
「きょうまくえん」という言葉を聞いた時、「胸膜炎」と想像した。
「何で胸の病気が・・・?」ちんぷんかんぷんで頭の中はハテナマークが飛び交っていたが、聞くのも恥ずかしさがあり、結局信頼している先生なので、指示されたとおり診察を終えた。
帰り道、携帯のサイトで「きょうまくえん」を検索。「胸膜炎」しか出てこなかった。
何で?この不安を解消したく、帰ってすぐ今度はパソコンで検索。
すると出てきた。目の病で・・・。
関節リューマチの合併症で、30代から50代のそれも女性にまれに出る症状。
確かに年代と性別は当たっている。でも関節リューマチ?
そんな降ってわいてきた単語に、え、何で?
ショックだった。まさか、自分に限って・・・。
午後から仕事だった私は目の痛みとかすみを忘れるために、眼帯を購入してから仕事に向かった。
でも就業して1時間。もともと悪い視力が半分。仕事にならない。メモも自分で書いていることすら読み返せない。
とても仕事にならないので、早退をさせてもらった。
職場には「強膜炎」という病気が自分でもまだ理解できてなかったし、大げさにしておかないと「結膜炎もどきで休む人」と思われるのが嫌だったので、「眼底出血かもしれない」と適当に話しておいた。
週末、まじめに点眼して、今日、だいぶ充血も治まってきた。
ほっと一安心。でもこの病って再発しやすいらしい。
再発の多い人は関節リューマチなどの全身的な病を調べた方が良いとネットに・・・。
何事も心配ありませんように・・・。



夫婦愛

2008年03月20日 | 生活
微笑ましい話。
昨日、花粉症で病院に行った時の事。
待合室で車いすのおばあちゃんとご主人だと思うが待っていた。
車いすの奥さんは介護度が高い感じだった。
診察と会計を終え、薬を待っていた。
ご主人は奥さんの手を握りながらコートの袖を通して着せていた。
その後マフラーを巻いて、奥さんの頭に帽子をかぶせた。
それもよくお年寄りがしているような毛糸の帽子とかではなく、青い(?)帽子だと思うが何か、おめかししていつでもお出かけできそうなおしゃれな帽子だった。
ひざかけをかけて、後は薬を受け取ったらいつでも帰る準備ばんたん。
その間にご家族だと思うが、雨が降っていたのでお迎えに来てくれるという電話も入っていた。
薬を受け取りご家族を待っている間、そのご主人は奥さんの顔をのぞき込みながら、奥さんの帽子の向き(微調整)をしていた。
待っている間も奥さんに事あることに話かけながら、身だしなみを整えていた。
奥さんは認知症も入っているのか、ほとんど無表情、無反応。
でもご主人は奥さんのために一生懸命介護していた。
この一部始終をを目の悪い私は「悪いなあ」と思いつつも、あまりにも微笑ましくじっと見入ってしまった。
今の時代、介護疲れで大切な家族を殺してしまう、という悲しい事件も起きている。
そんな中で、久しぶりに素晴らしい夫婦愛を見させてもらい、心が温かくなった。
どこのどなたかもわからないが、いつまでもご夫婦仲良く、長生きしてもらいたい、最近色々あって、落ち込んでいた私を温かい気持ちにさせてくれた一日だった。

花粉症デビュー

2008年03月19日 | 生活
今まで自分には縁のないと思っていた花粉症にとうとうなってしまった。
おとといあたりから、鼻づまりに悩まされていた。
仕事柄、声を出すのも苦しい・・・。
口呼吸していると喉もカラカラ・・・。
咳もたまにだが出るので、風邪だと自分では思いこんでいたし、花粉症なんてまさか自分はならない、そう思っていた。
でも、喉は痛くない。人に「花粉症?」と聞かれても「きっと風邪」と。
あまりにも市販の風邪薬では治らないので、病院に行った。
判決がくだった。「風邪よりアレルギーですね」
「先生、それって花粉症?」「まあそういうことです」
が~ん!まさか!
と言うことで私もとうとう花粉症デビューしてしまった。
こんなデビューしたくないのに・・・。
花粉症と言えば、イメージ的には鼻水ズルズル・・・、という印象だったが鼻づまりの方もあるらしいと今回知った。
これから毎年、憂鬱な時期がきてしまうのかな。
みんな口揃えて、突然やってくると言うが、本当にそうなってしまった。

Windows Vista

2008年03月15日 | 生活
先日購入したVistaノートを時折動かしている。
XPを使い慣れていると、何となくもどかしいというか、使い勝手が悪い。
まだ手探りで、PC-Talkerを使用しているせいか、なぜか動きも遅く感じる。
無線LANのせいかどうか、そのあたりも正直解明できていない。
Wordで文書を作る機会があり、早速Word2007も動かしてみたが、結局うまくいかず、Word2003で作成した始末。
このノートを買ってから、まともに説明書なんて見ていない。
箱から出したきり。
このPCにどんなソフトがプリインストールされてるのかすら、まだちゃんと確認していない。
とりあえず、使いやすく、コンパネとか設定をさわっただけというのが正直な話。
これから勉強しなくっちゃ・

ランドセル

2008年03月14日 | 生活
今年入学する子供のランドセルが届いた。
奮発して、百貨店で昨年の秋頃購入。
百貨店オリジナルランドセルで、名前を刻印してくれるサービスに惹かれて購入。
ふたを開けた時正面のポケットの前に、ローマ字で名前プレートが付いていた。
かっこいい~なうい!(死語か)
ホントはそこの百貨店の友の会に入会していて、ちょうど満期になったお買い物券も溜まっていたのでそこで購入した。
当初はブランドのランドセルを考えていた。
でも、カラーを実際見てみると(私はあんまり見てないけど・・・)カタログとは違う物で、結局、本人の意見も尊重してオリジナルランドセルのカラーに決めた。
どちらかと言うとローズピンクと言うのが最も近い色だろうか。
私の時代は、男の子は黒、女の子は赤、私学の子は茶色と決まっていた。
今は違う。イオンでも確か24色もあるのだ。
色鉛筆と一緒やん。確かめた事ないけど、と言うことは金色や銀色のランドセルもあるの?と素朴な疑問を描いた。
まさか、でもまさかじゃないらしいのです。
以前、私は見ていないけど、「おはよう朝日です」でヒョウ柄のランドセルを作っている人がいるとやっていたらしい。
そんなランドセル恥ずかしくて、持って行けないですよね。
でも、目立って探しやすいかも・・・。
自分の子なら反対するだろうな。
そのうちゴールドランドセル、プラチナランドセルの時代がきたりして・・・。

2008年03月11日 | 生活
今の季節、苺が旬。
スーパーに行くと、様々な種類の苺が並んでいる。
とよのか、さちのか、とちおとめ、あまおう・・・、などなど。
どれが甘くて、どれが酸味があってというのは、未だにまだ理解はしていないが、その時並んでいる苺の中から、今日は大粒、今日は小粒で、と選ぶようにしている。
後は香り。ほのかに甘い香りがパックを持つだけでする苺は食べても甘くておいしい。
そんな苺に滅多と当たることはないが、先日、そんな苺に巡り会えた。
食べても甘くて実がぎっしり詰まっているというか・・・、濃厚な甘さがあった。
数年前までは苺の当たりはずれが多かったように思う。
1パック298円などで売られていた苺は、表面は綺麗に見えても中の方が傷んでいたりがよくあった。
しかし、数年前からそんなはずれの苺に遭遇することもなくなった。
消費者の目もごまかせなくなってきたのか。
この私の住んでいる所はスーパーの激戦区。大型スーパーもでき、食料品だけ売っているスーパーは生き残りがかかっている。
他より一円でも安く、安全で美味しい物を消費者に提供しなければ、店じまいもありうる場所だ。
苺がその代表例かもしれない。
我が家はこの数日、苺続き。そのうち子供から「飽き~た」と言われる日もそう遠くない予感。

2台目パソコン

2008年03月07日 | 生活
2台目ノートを購入した。
一番の理由は、やはり先日の修理。
あんなに長い間、パソコンのない不自由な生活を経験すると考えてしまった。
ちょうど東芝dynabookのAXシリーズで秋冬モデルが春モデルが出るのを前に安くなっていた。
何とか買える金額だったので、一日じっくり東芝のHPとにらめっこしながら検討して買うことに決めた。
使うことはないと思うが、プレミアムでパワーポイントも装備されていて11万円ほど。
あと無線ルーターやスクリーンリーダーもビスタ用に代えても15万円もかからない。
しいて不満を言えばボディーのカラーが白しかなかったこと。
これは不満だったが、値段と機能を比較したらまあ満足できる買い物だった。
早速、無線設定をして・・・。
久しぶりに、いや自分で後ろの配線をさわるのは初めて(最初デスクを購入した時は、電気屋さんに設定してもらったから)。
テレビと電話とパソコンの配線がごちゃっとなって何がどれかさっぱりわからない。
最終的に旦那にヘルプして、何とか無線接続完了。
スクリーンリーダーが届かないことには、私は動かせない。
でも目の前にあるおもちゃをまだ開けれない子供の心理と一緒。
早く見たくて聞きたくて・・・。少ない視力で設定だけでもすることにした。
ビスタの特徴でもあるガジェットを選んでいた。
天気ガジェットを邪魔だから隠そうとしたら、知らない間に間違ってアンインストールしてしまっていた。
しまった、と思った時にはすでに遅し。色々復帰できないか試してみたが無理だった。
仕方ないので、まだ本格的に使う前で何も保存していないので、早速リカバリで戻すことにした。
それにしてもドジな私だ。
今、ちなみに新パソコンがリカバリ中なので、その間にこのブログを書いている。
旦那は家ではほとんどパソコンは使わない。
写真とラベル関係は私にはどうしようもできないので、旦那に任せているがそれ以外は・・・。
一人で2台も持ってどうするの?と聞かれもしたが、このパソコンも修理前はメタボ状態。
だから、これからは2台をうまく使い分けて、せめてメタボにならないようにしたいと思っている。