一歩ずつ

視覚障害者の主婦です。ブログをとおして、皆さんとの出会いを大切に一歩ずつ、絆を深めたいと思っています。

妊婦死産のニュースで

2007年08月31日 | 生活
奈良県立医大病院で搬送依頼を断られた妊婦さんが受け入れ先に時間がかかり、死産するという悲しいニュースがあった。
私も6年半前、前置胎盤でかかりつけ医から救急搬送されたひとり。
私は妊娠7ヶ月で朝起きたら出血していて、あわててかかりつけの産院に電話して行くと、医師から「大変なことになっているから、今からすぐに救急車に乗ってNICUのある病院を探すので行ってもらいます」
「ちょっと待ってください。朝起きて出血してたからびっくりして朝ごはんも食べずに飛んで来ました。上の子に朝ごはんも食べささないといけないし、預けてもらうところも探さないといけない。荷物を用意してもう一度来てはだめですか?」と聞くと、「そんな事言ってる場合じゃない。あとの事は家族に任せてすぐ緊急入院してもらいます」
その時、出血だけで痛みもかゆくもなかった私は、説明されても何が何だか理解できないまま、救急車を呼ばれて受け入れ先の高槻病院に運ばれた。
実は私の住んでいる所は大阪市。万が一緊急帝王切開を考えて、NICU(新生児集中治療室)のある病院を探された。
大阪市内にはNICUのある病院は何箇所もある。しかし、どこも満床と対応する医師がいないという理由で断られたらしい。
そして最後に受け入れてくれたのが、高槻病院だった。
今回も最終的に受け入れてくれた先が高槻病院というニュースを見たとき、思わずこのことを思い出した。
私の場合は、かかりつけの産科医から探してくれたが、今回はどうもかかりつけ医がいなかったらしく、病院からの依頼じゃなかっただけに、本当に受け入れられなかったのかと疑問に思う。
高槻病院も一時期、産科病棟が一杯で婦人科の部屋で入院して、あき次第移ったという話を聞いたことがある。
NICUのあるような大きな病院なら、他にも病棟があるはず。
緊急性を考慮して、とりあえず受け入れる態勢ができないものかと、素人の私でさえ思った。
婦人科手術の予定がある私にも多少の衝撃があった。

あと少しで

2007年08月25日 | 生活
気が付けば夏休みもあと1週間。
子供の宿題は主人に任せているので、順調に進んでいるかは母親の私はわからないが、最後の1週間、子供たちをどこか近場につれて行きたい気持ちはあるが、今私の体調はそれどころではない。
手術までのホルモン治療の副作用で、 多汗、のぼせ、ほてり。それだけならいつもの事。
今回は倦怠感と気分の浮き沈みが大きい。
どこにも行く気になれず、仕事以外この数週間、一歩も外出していない。
家でもだるく、何もする気になれず、家事も切羽詰ってやっているさま。
こんな経験、当然はじめて。”うつ”ってよく聞くけど、こんな辛いとは。
誰とも会いたくない、ひとりでいたい、私をよく知る人なら、社交性のある私には想像できないと思う。
悪いことは重なるもので、手術の件を迷惑がかかるので、職場と同僚には早めに伝えた。
職場は問題なく、「治療に専念してもらったらいい。あとはこちらで何とかカバーするから。詳細がわかったら教えてほしい」で済んだ。
ところが同僚には、冷めた反応をされた。細かい事は個人情報に関わることなので避けるが、社交辞令でも「お大事に」「それは辛いよね」「力になれる事があれば話くらいは聞くから言って」、そんな言葉だけでも欲しかった。
甘えていると言われればそうかもしれない。でも縁があって、同じときに入社して同じ仕事をしている同僚。
ライバルといえばそうかもしれないが、ライバルの存在とは少なくとも思っていなかった。
でも、その時今までひとりで抱え込んでいた仕事上の悩みを告白したが・・・。
私は私。私には関係ない。そんな反応に感じた。
手術も上を見ても下を見てもきりがない。
重度の病や障害で苦労している方は世の中にはたくさんいる。
そんな風に考えたら、私の手術なんてちっぽけなもの。
でも私には一大決心だった。
手術を決めた翌日、私は学生の頃の友人にメールを送った。
最近は年賀状とたま~に”元気?”とメールする程度。
”手術決めてん”1時間後に返信が届いた。
”やっと手術決めたんや。辛かったもんね。つらなったらいつでもメールしてや”
涙が出てきた。
持つべきものは友達。離れて環境が変わっても、相手の苦しさや辛さに同情してくれる友達。
昔はけんかもしたけど、でもお互い言いたい事、言い合ってのけんか。
普段は会えなくとも、こういうときに昔の友達のありがたみを改めて感じた。
ありがとう。○○へ。手術でめげそうになったら、手紙送るね。

決断

2007年08月17日 | 生活
若いころから私を苦しめてきた生理痛。
私はとうとう手術を決意した。
ロキソニンやボルタレンなどの痛み止めが効かなくなっていたこと、ホルモン治療の副作用にも苦しめられていたこと、こどもはもう望まない、そして閉経までにまだしばらく時間がある。
この数ヶ月、悩みに悩んだ末の決断。
医師と相談して、予定では今なら年末年始頃に手術できるとのこと。
緊急手術などで予定がずれ込む可能性はあるが、年末年始の休みを利用すれば、仕事に迷惑をかけることも最小限で済むかもしれない。
来年の春は子供の入学式などもひかえている。今が最初で最後のチャンスかもしれない、と思い思い切って決断した。
でも手術の予約を入れてから、これでよかったのかと自問自答している。
そして何より怖い。詳しい事は今後検査や医師と相談して決めることになるが、自分でネットで色々調べてみた。
私の場合は子宮だけを摘出する準根治手術になりそう。
おそらく開腹手術。ということは全身麻酔?局所麻酔?いずれにしても怖い。
まだ先のこととは言え、今から不安いっぱいである。

ガイドヘルパー

2007年08月11日 | 視覚障害者
昨日ガイドヘルパーの申請をしてきた。
今までこだわっていた訳ではないが、ガイドヘルパーを利用していなかった。
手続きが面倒くさかったというのもある。
でもそろそろ限界を感じていた。
子宮内膜症の治療で半年間、4週間に1回通院の必要になった。
今までは長年通院している病院ということもあり、何とか一人で行っていた。
でも大病院なので、院内の移動が大変。
特に会計の所は人がごったがえしていて、いつもすごく神経を使って歩いていた。
場所が微妙にころころ変わったりして、そのたびにうろうろ。
視野も視力も徐々に悪くなっている私にはもう限界だった。
役所に行き、申請した。特に通院の場合は障害者自立支援法により、申請するのに医者の主治医意見書が必要とのこと。
婦人科の持病持ちで通院するので、「婦人科の先生に意見書を書いてもらおうと思っている」と言うと、役所の方は「(目の)障害をよく理解してくれている医師に書いてもらいたい。単独外出が困難なので移動支援が必要という趣旨の意見書が必要」と言われた。
おかしいと思う。障害があろうとなかろうと具合が悪いので病院に行く。そのために移動支援を申請する。その医師が障害(私の場合視覚)を理解しているかどうかは別問題。
障害者手帳を所持しているということは、障害がある(症状が固定している)から持っているのである。
今さら障害(病状)をと言うことは、眼科の医師に意見書を書いてもらえと言っているのと同じである。
先天性の障害ならなおさら、眼科なんて今さら行っていない。初診でどこかの眼科にかかってください、と言われたがそれで何がその人の障害を理解していることになるのか?
一番(その人を)理解してくれている医師というが、矛盾している。
何科であれ、今、どういう病状で通院しているかが大事ではないか?
その点で介護保険とは根本的に考え方がちがうはずだが、介護保険の扱いと同じ感覚で障害者自立支援法が実施されているのを改めて感じた。

辛い子宮内膜症

2007年08月07日 | 生活
4,5日、起きあがるのも辛いほどの生理に苦しめられた。
いつもは気休め程度でも、処方されている「ロキソニン」が効くのに、今回は全く痛みが収まるときがなく、トイレも家の中をはって行っていた。
当然食欲もまったくなく、水分だけは摂っていた。排出されない出血が膀胱にたまっているのか、やっとの思いでトイレに行き排尿しようとしたら、ますますお腹が痛くて、脂汗が滝のように流れた。
最後の奥の手で処方されている、ボルタレン座薬を入れ少し経つと何とか少し胃の中に食べ物が入れるようになったが、こんな苦痛は今までに味わったことのないつらさ。
月曜日、ちょうど主治医の担当日だったので、職場に事情を話し休ませてもらい、病院に予約外だったが行った。
その時私は医師に弱音を吐いてしまった。
と言うのは、子宮内膜症や子宮筋腫とのお付き合いも学生の頃からなのでもう20年以上。
2度の出産以外、毎月生理のたびに痛み止めを服用して、ホルモン治療で生理を半年間止めての治療ももう3回はしている。
ホルモン治療の間は生理痛に苦しめられる事はないが、逆にのぼせやほてり、肌荒れなどの副作用に苦しめられている。
何より一番気になるのが、女性ホルモン(エストロゲン)の不足により多用すると骨粗鬆症の心配もある。
からだに負担をかけずに閉経まで過ごせたら、それにこしたことはないが、そういう訳にもいかない。
そして仕事も始めて毎月生理のたびに、1日から2日突然仕事も休ませてもらわないととても仕事どころではない。
色々以前から悩んでいて家族にも相談して、いっその事、もう妊娠も希望していないので、筋腫や卵巣だけでも取り除いたら・・・。
今回のあまりのつらさに私は弱気になり、こんな毎月つらい思いをするなら、生理が近づくたびに「またこの痛みがあったら・・・」そう考えるだけで憂鬱な気分になり、思い切って医師に相談してみた。
医師は年齢が手術するにはまだ若くて早いこと。
今の病院は婦人科医も不足していて、特に私の通院している病院は高度医療に対応しているため、重症患者(ガンや緊急を要する人)を優先するので、今の私の現状では難しいと悟られた。
どうしてもすぐに手術を希望するなら、私の家の近所に○○病院があるから、そこでも紹介しようか?と言われた。
この○○病院、実は私の勤務先。私は今○○病院で勤務しています。と思わず言ってしまった。
でも本音も職場で入院・手術するのはまだ、公私混合しそうで嫌だし、ましてやデリケートな部分。やっぱり気持ちの整理がつきそうにない。
だからとりあえず、すぐではなくても今の病院で何とかお願いしてみようと思う。
それまでの間、生理の痛みから逃れるため、4回目の治療に入ることにした。
過去3回の治療もそうだが、半年薬の力で生理を止めたところで、生理痛が緩和される感じがない。
それだけに総合的に判断して、この選択が正しいのかどうかはわからない。

白浜

2007年08月01日 | 生活
白浜に海水浴に行ってきました。
暑かったですが、大阪の暑さより湿気が少ないのか、からっとしていて気持ちよかったです。
到着した日はホテルのプールで泳いでいたのですが、上がってから夕食までの間に子どもが「しんどい」と言いだし熱を測ると38度。
さっきまであんなに元気だったし、プールに入っていた時もはしゃいでいたのになぜ?
ホテルのフロントに相談して、今からでも診てくれる病院を紹介してもらい、ホテルの車で送迎までしてもらいました。
私はもう一人の子と部屋でお留守番をしていたので直接の感想ではありませんが、診てもらった先生はとても良い女医さんだったらしく、「おそらく軽い熱中症でしょう」と診断されました。
考えてみたらプールに入っていた時、はしゃいでいて水分(お茶)を一口二口飲んだ程度でした。
その日は熱冷ましの薬を飲み、熱冷ましシートやアイスノン、体温計を借りてゆっくり休養させました。
宿泊先のホテルや病院のおかげで、ひどくならずに翌日には熱も下がり海に入れましたが、この時期は水分補給が大切だと改めて感じました。
翌日の夜は花火大会もあって道路も交通規制がかかっていたので、その点でも助かりました。
花火も本当にすばらしく、感動でした。
わが家族にとっては、このホテルにはほぼ毎年お世話になっていて、一時期花火もホテルの質も下がり行かなくなっていた時期が数年ありました。
でも今回の事で大変、ホテルの質や従業員の対応が良くなっていることがわかり、「また来年来ますね」と無事に大阪に帰ってきました。
今回何よりもうれしかったのが、熱冷ましシートをおでこに貼っているのを見て、従業員の方会う人会う人が「お子さんの具合、どうですか?」と声をかけてくれた事。
この一言が本当に温かく感じました。