一歩ずつ

視覚障害者の主婦です。ブログをとおして、皆さんとの出会いを大切に一歩ずつ、絆を深めたいと思っています。

特別扱いと正しい障害者への理解

2009年12月15日 | 視覚障害者
最近とてもショックなことがありました。
ブログなので具体的なことは触れませんが、これから例えばの話で書きます。
皆さんの率直な意見、考えなどをコメントで聞かせてください。

私は皆さんがご存じのとおり、視覚障害者です。
目だけが見えません。
耳も聞こえます。
手足も自由に動きます。

私が例えば、電車に乗っているとします。
そんなに長い距離ではないし、ドア付近で立っていました。
すると席を譲られました。それも声からして年配らしき方に。
私は「すぐに降りますので」とお礼を述べたうえに丁重にお断りして、その年配の方に再び座ってもらいました。

皆さんはこういうとき、どうしますか?
まず私(視覚障害者)の立場の場合。
確かに人間ですから、体調がすぐれないとき、疲れているとき、乗車している時間が長いとき、そんなときは座りたいです。
譲ってくれた人が明らかに若い人だと思えたときは、上記の場合、迷わずにお言葉に甘えて座らせてもらいます。
でも自分より年配の人の場合、次の駅でその方が降りるからということがない限り座りにくいものです。

もう一つ、考え方があります。
私がどこの駅まで乗車するかは座っている人にはわかりません。
もしかしたら、周囲の人には私が席を探しているけれど、見えないからあきらめているので、この席があいていますよという意味も込めて、声をかけてくれているのかもしれません。

さらに、もう一つ。
とにかく障害者や高齢者の方には、席を譲らないといけないという意識がある方。
乗車時間や状況にかかわらず、何も言わずに立ち去っていく人もいます。

そして、逆(健常者)の立場。
先ほども書いたように、目が悪いのは理解しているけれど、体調が悪そう、疲れてそうだから、この席あいていますよという意味で、日ごろは特別譲らないけれど、障害関係なく、その人の顔色などで親切にしてくれる人。

私が座る場所を探しているから、それに対して教えてくれる人。

とにかく何でも親切にするのが、良いことだと思っている人。


色々書きましたが、何が言いたいかというと、私は目だけが不自由です。
確かに電車に座れるものなら、座りたいです。
でもどこがあいているかもわからないし、短距離なら、面倒になるのも事実です。

しかし何でもええから親切にするのが、良いことと思われている方。
すごく気持ちは有り難いのですが、時としてすごく申しわけない気持ちになることがあります。
別に足は丈夫なんだし、よほど顔色が悪いとか疲れているとか、荷物をたくさん持っているとかでない限り、気を使わないでほしいのです。

実は上記の話は最初に書いたとおり、一つの例えです。

実際は特別扱いと視覚障害者を正しく理解できていないことにより、私にすれば不必要な気遣いをされて、とても肩身が狭く、身の置き場がなかったことがありました。
でもそこで、「余計な気を遣わないでください」とキッパリ言い切ってしまうと、それまでその方がしてくれていた行為を踏みつぶすことになります。
その方がお話しをしているうちに、視覚障害者が本当に不自由をしていること、不便に感じていること、困っていることを根本的に理解していないことがわかりました。
人付き合いをしていくうえで、私を見てくれていたら、そんな誤解が生じることはなかったと信じたいのですが、聞くところによると視覚障害者と接するのは私が初めてとのこと。だからその方は優しさでやっていたことが、私にはとても苦痛に感じるようになっていました。
そして本当に求めていることに気が付いてくれていないことが、判明しました。

視覚障害者、聴覚障害者、肢体不自由者、内部障害者、ほかにも知的障害者や精神障害者、世の中には多くの障害者がいます。
ひと言で視覚障害者と言っても、全盲と弱視ではまったく違うように、ほかの障害者になると、まったく支援の方法が異なってきます。
それぞれの障害に応じた、能力や年齢に応じた支援、サポートがおこなわれないと、せっかくしていただいた行為が無駄になるだけです。

それは特別扱いとはまったく異なります。
このことを勘違いされている方が多いことも確かです。

普段は何もしてもらわなくて良いのです。
障害者がヘルプを求めてきたとき、困ってそうだなと思ったとき、それまでは温かく見守っていただいて、ヘルプを求めてそうなときだけ、自然にサポートしてもらえるのが、一番の理想です。

障害は、障害になった年齢や環境によっても、その人ができること、できないことは同じ視覚障害者でもまったく異なります。
街角で手をさしのべてくれる方は、助けが必要かどうか、どのようなお手伝いをすれば良いかだけを、本人にその場で聞いてもらえたら、それで良いのですが、日常的に障害者と接するときには、障害者と密にコミュニケーションを取り、その人が何に困っているのか、何が一人でできるのか、できないのかを、十分に相談し理解しながら、本当に必要な支援を必要なときに自然にしてもらえたら、視覚障害者のひとりとして、生活していくうえで安心して、社会参加、自立をしていけると考えています。

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1 コメント

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はじめまして! (OKKO)
2010-08-24 09:54:49
優位に立っている気持ちで親切をしてあげるみたいな気持ち・・ボランティア活動をしてる人達にもいるような気がします。親切の押し売りですね。座席を譲る時、自分は判らなくて、それは高齢者や小さい子供、障害のある方や大きな荷物の人、う~ん考えます。困っているかなぁと・・なかなか勇気がでません。絶対すわりたいんだ!と確信したら声をかけます。でもその前に誰かが席を譲ったりすると、やや自己嫌悪ですが、今は元気な高齢者は運動の為に立っている人もいるし、子供も立って揺れをたのしんでいるかもしれない・・?ちなみに私は元気に見えますが本心は実に座りたい根性の情けない人です。誰も譲ってくれません。友人に言ったらずっと立ってろ!と言われてしまいました。ネットをウロチョロしていたら此処にきました。又遊びにきます!