ラブラドレッセンスの瞳

暗がりの、猫の瞳の煌めき。
地中深く、眠る石の輝き。

そして父の帰宅

2010年09月16日 | 父の事全般
八事斎場をとても遠くに感じながら、やっと辿り着くと、運転手の方が手続きをしてくれました。

平日の午前中だというのに、結構な混み具合。

休日はもっと凄いんでしょうね。


既に平安会館の担当の人が待っており、火葬するのに順番を結構待つのかと思っていたら、すぐ案内されました。

母方の祖父の時は手続きとかで結構待ち、更に火葬し終わるまでも1時間以上待っていた記憶があります。

全然混んでなくて、他に2~3組しかいなかったのにあの待ちようが納得いかなかったものですが、今回はこんなに人がいるのにすぐっていうのに、逆にビックリしました。


今から炉に入れますよっていう時まで、色々考えて心を整理して落ち着こうと思っていたのに、そんな暇は全くなしです。


祖父の時と違って普通に屋根のある平屋の建物の中で、炉と炉の間隔が随分狭く、狭小住宅のようでした。

祖父の時はちょっと広めのマンションという感じでしたので、市によって随分違うものだと思ったものです。





すぐ隣もその向こうも人がいて、同じように説明を聞いたり炉が開くところだったり。

場所も狭いので手短な説明を聞き、あまり感慨深いという状態でもなく、お別れしてしまいました。


ここで本当に父の姿は失われてしまうのですが、顔を見られないのなら同じ事です。

棺越しに父の姿を想像しても、それだけです。

もうここまで来たら見られないのは同じですから。


そうは思いつつも、本当に体がなくなってしまうというのは、とても苦しいです。


苦しいというか、悲しいというか、色々入り混じった感情が・・・。


その時たまたま後ろの方で突然泣き声が上がり、他の方が別れを受け入れがたい様子だったので、逆に私は泣かずに済みました。


他の方が取り乱していると、逆に冷静になりますね。





それから1時間程待ち、お昼も過ぎたので、食欲はありませんでしたが売店でサンドイッチを購入し、2人で食べました。


待っている間、色々思い出すかなとか考えていましたが、疲れていたせいかあまり思考は回りませんでした。


母も同じだったようで、何もする事がなくボーッと待っているのもしんどかったようです。


他の方々は親戚一同大勢で来ている様子で、葬式だからと悲嘆に暮れている様子も疲れきった様子もなく、ワイワイとお喋りしている姿がよく伺えました。


でも私はその間、1つだけ覚悟しなくてはならない事があり、ショックを受けないように自分の頭の中で何度もシミュレーションを重ねていました。


それは、父の遺骨を見る時です。





私はそれまで葬式で火葬場まで行くというと、母方の祖父の時ぐらいしかなく、眠ったようだった祖父が全く違った形になって炉から出て来た時、物凄くショックを受けたのを覚えています。


祖父の姿がすっかりなくなってしまい、その時1番ハッキリ

「お爺ちゃんがいなくなった!」

と感じ、叫びそうな程ショックでした。

それまではまだ祖父の姿があったから、式の最中は泣いていたものの、従兄弟と喋っている時は結構ケロッとしていたものです。

でも、骨を見た時に誰だかわからない状態になってしまった訳ですから、その時初めて
「いなくなった」
と感じたのです。


祖父でさえあれ程のショックを受けたのです、父ならばどれ程になってしまうでしょう?


どうしてもその時が不安でした。


全く影も形もない状態になってしまうんだと、何度も繰り返し祖父の時の事を思い出していました。





その時が来て、とても怖かったですが行かない訳にもいきません。

恐る恐るですが炉に向かい、覚悟を決めました。

母の方がもっと他の人の遺骨を見ているとはいえ、ショックじゃない訳はないでしょうし、私がしっかりしなくてはいけないと思いました。


他の方の炉も順次開いていったので、結構な熱さです。


その時たまたま見ていた方向の隣の人の炉が開いて、遺骨が出てくるところが見えたのです。


「ああ、あんな風になるんだ」


と思った時、父のいた炉が開いて、隣の人と全く同じような骨が出てきました。



「同じだ。
 隣の人と同じ。
 死んだら皆、同じなんだ」



そう思ったら、ショックではありませんでした。






父の姿は跡形もなく、面影も遺品も何もなく、そこそこの骨と熱気が残っただけでした。


でも考えていたようなショックはありませんでした。


母は私がショックを受けないかと気にしていたようでしたが、遺骨を拾う手も震える事なく、頭蓋骨も自ら砕き、転んだ時に欠けていた前歯が目に付いたので、拾いました。


骨になってしまったら、父を殺したがん細胞もすっかり焼けてなくなってしまったし、左目がないのも関係ありません。


他の人と同じです。


老衰で亡くなった人、

事故による怪我で亡くなった人、

癌ではない病気で亡くなった人、


誰とも同じです。

区別はつきません。


そう思えば、ここにいる人は皆同じ思いをしている、私だけではないんだと感じられ、怖くありませんでした。





やっと、1番怖かった儀式を終え、家に帰れる時がきました。


父が「帰りたい」と言っていた家。


父が40年近く暮らしてきた、私達家族の家。


うちには仏壇もないので、予め用意した簡易の棚みたいなものですが、そこに小さくなった父の欠片を置いて、やっと


「おかえり。
 やっと帰って来れたね」


と言う事が出来ました。


本当はそんな風に帰ってきたかった訳ではなかったと思います。

生きている間に、意識のある間に家に帰りたかったはずです。

それはわかっていたのに、叶えてあげられなかった事を一生後悔しながら生きていくんだなと思いました。





その日から、毎日お線香をあげています。

たまにお寺に行った時に嗅ぐ臭いが、住み慣れた自宅でするというのに、どうしても違和感があります。


それは、一年経った今でもそうです。

こんな臭いがしているのが、おかしいんだと感じます。




一年経ったのに、一年も経ったのに、つい昨日の出来事のように感じます。


まだ私は、いつも通り玄関から父が帰ってくる気がしています。


それを望んでいます。


寝ていると、隣の部屋から父のいびきが聞こえてくる気がします。


でも不思議と、病院にいる気はしません。



家から近い事もあり、病院の近くをよく通る事があります。


仕事帰り、父のいた病室を見上げるのが癖になっていました。



もう父はその病室にいないのに。



でも不思議と、上に上がろうとか、病室の前まで行って確かめようという気には、一度もなりませんでした。



病室にいると思ったところで、いずれ死んでしまうのだから、心が嫌がっているのかもしれません。




父にいて欲しい場所は、この家なんです。


生きている時は例え病室にいても、生きてさえいてくれたらいいと思いました。


でも、違うんです。


病室にいれば、いずれはいなくなってしまうんです。




でも、家にいれば違う。


父は病気にならずに、今まで通り平穏に過ごしているはずだ。


だから、家にいて欲しいのです。




でも、どこにもいません。


病室にもいません。


車にもいません。


家にも帰ってきてくれません。




一年経てば、流石に私も少しは現実を受け入れて、一年前とは違う考えになっていると思っていました。


現実は、殆ど変わっていません。


そもそも一年経った気がしてないし、ついさっき起こった悲しみのような気がしています。



こんなにも、一年で変わらないとは思っていませんでした。


時間が必要だとしても、変わらなさ過ぎる気がしました。


こうやって書いていれば少しは現実を受け入れると共に、悲しみも和らぐかと思いましたが、効果の程はまだわかりません。





ここまでは何とか書こうと頑張りましたが、正直気持ちは落ち込むし、泣きながらしか書けないしで、とても精神的に辛かったです。


でもこれで、来年はその時の気持ちだけを書けばいいので、少しは「やり終えた」気がします。


私にとってとても辛かった9月15日と16日が、去年と今年だけである事を、心から願っています。



こんな面白くもなく、個人的に悲しいだけの話を長々と、読んでくれた方々に感謝します。


人生は悲しいだけではないんだと自分に言い聞かせ、これからは泣いているだけではなく、少しずつでも自分の事をやっていこうと思います。




 
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