徒然なるままに

趣味、日常について思いつくままに。クラシック、今日の出来事、おいしい食べ物などなど、とにかく雑多をモットーに。

嫌いなクラシック vol.2 『フルトヴェングラーの性的営み』

2005-12-22 02:12:46 | Weblog
まるでタイトルのように書くと、どこか卑猥なものを思い浮かべてしまう方がいたらどうぞご安心いただきたい。

あくまで書いているのは音楽家の僕なりの評価である。
世間で最も評価の高い指揮者と言えば、かなりの方(ただしクラシック好きの方に限るが)がヴィルヘルム・フルトヴェングラーの名を挙げるのではないだろうか。

僕も初めて聞いたときは衝撃を受けた。
1947年に録音されたベートーヴェンの交響曲第5番の冒頭の重厚感はそれまで聞いたどんな演奏よりもすばらしく聞こえた。
それからというもの、ベートーヴェンやブラームスなどさまざまな演奏を手に入れたは聞いたものだ。

でも、この人の演奏はいつも同じパターンなのだ。
全体的にテンポを遅めにとり、ゆったりとした楽章はさらに遅くなる。そして、最後はテンポを上げて果てる。

その最たる例がバイロイトの第九として知られる1951年のバイロイト祝祭管とのベートーヴェンの交響曲第9番だろう。
巷では20世紀最高の名演。ありとあらゆるクラシックの中でも最も高い評価を得ている演奏だ。

僕は先日Tiberius Felixさんのブログでフルトヴェングラーについて書いたのだが、いちおうここでも書くことにしよう。

フルトヴェングラーの演奏は自慰行為である。本人が勝手に気持ちよくなるのを見せられている。僕はそんなものを見せられたくて聞いているわけではない。自慰行為など見たくもない!
『のだめカンタービレ』というマンガのなかで、ひとりよがりの演奏をする峰の演奏をオナニープレイって言うという文句が出てくるのだが、フルトヴェングラーの演奏はまさにそれである。

だいたい、最後で早くなって果てるっていうのはまさに人間の性の営みと一緒だ。
それがフルトヴェングラーの演奏なのだ。

今日、数年ぶりに年末ということもありバイロイトの第九を聞いたが印象は全く変わらなかった。
そう、結局のところ、僕にとってはそのワンパターンな自慰行為を聞かされることに興味がなくなったのだろう。

嫌いなクラシック vol.1 『ポリーニよ、さらば』

2005-12-20 22:43:44 | Weblog
このあいだTiberius Felixさんのブログにフルトヴェングラーの名高きバイロイトの第九について書かせていただいた。そこで少し快感を覚えてしまったのである。

鈴木淳史氏の本で『わたしの嫌いなクラシック』という本がある。今年もあとわずか、1年の締めくくりに鈴木氏の『嫌い』というコンセプトを借りて、僕なりに『嫌いな演奏家』というものを書いてみようかと思っている。

さてさて、第1回はピアニストのマウリツィオ・ポリーニ。
実に世評の高いピアニストじゃありませんか、その人から切ってみようなんて勇気がある行いだ。でも、そうでなきゃ意味がない。評論家の評価だって所詮は主観ですから。

僕はいままでポリーニのCDは相当数聞いてきたつもりだ。ベートーヴェン、ブラームス、ショパン、その他もろもろ。軽く20枚には到達する。
そのなかでも特に高評価を得ているのが、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ、ショパンのエチュードではないだろうか。僕に言わせれば、ちっともよくない、というよりもこんなに退屈で聞くのが嫌になるCDは滅多にない。

一時期ポリーニにはまった時期がある。たしかレコード芸術のサンプルCDでブラームスのピアノ協奏曲第1番を聴いたのがきっかけだった。そのときは急ぎ、石丸電気に行き(当時はぶっちぎりに安かった)アバドと共演したベートーヴェンのピアノ協奏曲、ブラームスのピアノ協奏曲を買い楽しんだものだ。
ライブ録音ならではの熱気が伝わるベートーヴェンの第4・5番、ブラームスの第1番がとくにお気に入りだった。

その後、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ、ショパンのエチュード、前奏曲、シューマン、ストラヴィンスキー、リストとありとあらゆるものを買っては聞いていた。
なかでもショパンのバラードは大のお気に入りだった。もちろん、ポリーニの新譜は全部聞いている。

僕にとってポリーニはいいと思う演奏の方が少ない。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第22番、ブラームスのピアノ協奏曲第1番、ショパンのバラード、以上。
とくに前2者はいまいち抜けきらない音楽を彼持ち前の楽観さで弾きぬいてくれるあたりが痛快だ。とくにブラームスは彼の初期作品独特のうじうじ感をとってくれているあたりが最高。バラードはとりあえず音はいいし、熱気もあるし。
ちなみにブラームスとショパンにはポリーニ以上に良い演奏はある。

さて、ひどいのはその他全般。とくにベートーヴェンはひどい。
若い頃録音した後期ソナタ集、印象は味がない+深みがない→ため息…といった感じだ。無味無臭の水を飲まされているようなもので、良いと思う瞬間など皆無だ。去年だったか、5~8が入ったCDが出たが、途中で聞くのを止めてしまった。つまらなすぎて聞けない。

同じことはショパンのエチュードにもあてはまる。たしかに巧いかもね、で?
シューマンも同じで、巧いよね、で?である。
そこがない。

すべてにおいてポリーニの演奏は表面的であって、曲に対する突っ込みが弱い。だから聞いている側にもその薄っぺらさがつたわる。どこがよくてこの人を世間ではベタ褒めするのだろう?僕には到底理解しえない。
僕は空虚に響くポリー二のベートーヴェンのピアノ・ソナタ第30番を聞いてそれをつくづく感じた。あぁ、なんてひどい演奏を選んでしまったのだろうと。。。

ポリーニよ、さらば。

居酒屋への不満

2005-12-15 02:45:21 | Weblog
昨日ブログを書いていたら、全部消えてしまい書く気力がなくなってしまい、今日まで持ち越しに。
本来はもっと前に書くべきだったはずなのに…。と弁解をしておく。


数日前、誕生日を迎え、2人だけの誕生会を開くことになった。
当初、どこでやるかも決まらず、どうするのだろう?と思っていたのだが(今回は祝われる側だったので)、服やアクセサリーを見たいということで新宿に行ったついでに新宿でやることになった。

それにしても、新宿地区のホットペッパーはなんでそうも厚いのか?
ちょうど、クリスマスや忘年会のシーズンということもあるのだろうが、ずいぶんと厚かった。だいたい1.5cmの厚みだったかな。

とまあ、実際に行ってみたのは鳥料理中心のお店だったのだが、味は大方○だった。唯一の失敗は焼き鳥のカワを塩で頼んでしまったことくらい!?
それにしても、近頃の居酒屋は焼酎にはこだわるようになっているようで、一部の店ではプレミア価格で販売している晴耕雨読なども置いてあった。
でも、僕は焼酎が苦手だ。ときどき泡盛を飲むくらいで、もっぱらビール。

もともとはビールも苦くて好きではなかったのだが、数年前にドイツを旅した時以来、すっかりビール党だ。
そんなビール党の人間からすると、居酒屋のビールの種類には不満が多い。まっ、こだわりを持った店もなくはないのだが。たとえばIrish PubやKirin Cityなどはなかなか旨いビールを味わうことができる。
どこもかしこも国内大手のビールメーカのビールか発泡酒。ときにエビスもあるが、めったに見かけない。もっといろんな種類のビールを置いてほしいものだ。

日本人にとっては、しょせんビールは「とりあえず」の飲み物にすぎないのだろうか…。まっ、変に締め付けの厳しい日本の取引慣行では仕方ないのか。所詮はビール会社向きの話であって、ぜんぜん消費者に向いていないのは納得いかないけど。

まっ、相変わらずのダメな日本の姿(いちがいに日本の取引慣行すべてを否定するものではないとしても)を実感できる場としてとっておいてもいいかもね、と皮肉が言いたくなる。

ちなみに、行った店はモルツでした。


閑話休題。

近頃音楽ネタしかなく自粛していたのですが、今日は別の話題もあったので書いてもいいでしょうと思ったものの、とくに語りたいCDもなくといった状況です。
あえて取り上げるなら、以前にも言ったかもしれないけど、アーノンクールのメサイアがすごくいいことくらいかな。

まっ、恋人宅に届いたHMV(クレジットがないそうなので肩代わりしたものの、配送無料にまで金額がいかずついでに注文したわけです。ヒモだと思われても困るから念のため)の中に僕が注文したCDも入っているので、それを聞いて書けるような内容であることを祈って。。。
というわけで、数日以内にここに載らなかったらまたハズレを引いたと思って察してください。。。

諏訪内晶子のバッハ

2005-12-03 23:11:40 | Weblog
とうとう12月に入り、最初の週末を迎えた。
目下、奮闘中の論文も今朝方とりあえずひと段落がついた。
とりあえずコメントを待つ期間、1日ぐらいはのんびりしようと決め込んだ今日は、何枚かのCD2を改めて聞くことにした。

今日は、朝からアファナシエフのディアベリ変奏曲を聞いてしまった。
アファナシエフの演奏はベートーヴェンのピアノ協奏曲を聴いたときに耐えられなくなって途中で聞くのを止めたといういわくつきのものだったのに。。。
冒頭から噛んで含めるような演奏で、テンポも比較的遅めなのだが、なんといってもリズムの重さが気になる。

年末にむけてCDを注文しようと思い立って、その候補を探しながらかけていたのだが、同時に発売されたリストのピアノ・ソナタ(おおよそ30分くらいの曲を40分を超えるほどのテンポで演奏しているらしい)、モーツァルトの幻想曲が今回の候補からは削除することにした。
年末にシューベルトの後期ソナタもバジェット盤で再発売されるようなので、これらは併せて来年以降に持ち越すことにしよう。

気を取り直して、諏訪内晶子のバッハのヴァイオリン協奏曲集を聞いた。
オケはヨーロッパ室内管弦楽団。2つのヴァイオリンの共演者はウィーンフィルの若きコンマスのシュトイデ。ヴァイオリンとオーボエの協奏曲ではフランソワ・ルルーがオーボエを担当している。

この曲、オリジナル楽器の演奏ではいくつか楽しめる演奏ものあるものの、いわゆる現代楽器の演奏ではこれといって贔屓にするような演奏もなかった。以前、ムローヴァの演奏を聞いてすっかり失望してしまった。彼女ならいけるだろうと信じていたのに・・・。そんなこともあり、避け続けていたのだが、かつてメンデルスゾーンの協奏曲であれだけの演奏をした諏訪内さんならと店で試聴した結果、購入することになった。
(ちなみにもらったサービス券で買うつもりだったのでタダだったことも大きいかもしれないが・・・)

全体としてベタッとした感もなくて、非常に心地よい演奏が繰り広げられている。低弦が全体を過不足なくかちっとしめているあたりもいい。それになんといっても押し付けがましさがない。
そこらへんがときに退屈にさえ感じるバッハの緩徐楽章を聞きやすくしているのかもしれない。

諏訪内さんのヴァイオリンも過度に構えてオケと対峙するという風でなく、自然と一体化しているあたりもいい感じ。
それにしてもこのヨーロッパ室内管はいい楽団だと思う。これまでのさまざまな録音を聞いていてもこの楽団が奏でる音はいきいきしている。おまけに、指揮者や共演者の要望に合わせてフレキシブルに対応するあたりはほんとうにうまい。

あえて不満をあげるならば、2つのヴァイオリン協奏曲の3楽章のカデンツァ。急に曲想が変わってしまうあたりがなんか嫌だ。

とりあえず、ひさしぶりにバッハのヴァイオリン協奏曲を心地よく聴くことができたので感謝したいですね。

さてさて、明日はハリポタの最新作を観てきます。
今まで興味もなかったのにここ数日テレビでこれまでの3作を見てしまったら行きたくなってしまいました。

オーソドックス=美 ⇒ ペーター・レーゼル讃

2005-12-01 22:34:13 | Weblog
今日はずばり音楽ネタのみで勝負する。
だからこそ、2日連続で書ける。でなければ書けないほど日常に驚きはない。
と書くとまるでずいぶんと話題のない人間のように思えてくるのがツラい。

落ち込んでいても仕方ない。
最近、このブログに熱中して書いているときが気分転換の時間になっていることに気づいたからこそ、今日もまた書けるのだ。
いや、書かねばならない。このブログを楽しみにしてくれている人がいる限り!としょっぱなから暴走してみる(爆)

コホン。
以前、横浜に行ったという話しを書いたのを憶えている方はいらっしゃるだろうか?今日聞いたのはその時に中古で購入したCDである。
今頃になって聞き終わったのかと思うかもしれないが、そういうものだ。正確に言うならば、このCDに関しては違う。以前1度は聞いた。そして、そのときもおっと思った。だからこそまた聞いている。

CDというものはそんなものなのかもしれない。
1度聞いたときに何も思わなければ、もう1度聞こうとはせずにお蔵入りする。そうでなくて聞くことがあるとすれば、よほど疲れていて1枚間違えてそのCDを取り出してしまった時か、雑誌や新聞でそのCDが取り上げられた時くらいだ。

ただし、どうしようもなくひどい演奏だとまた聞きたくなることがある。こういう時は非常に病んでいるときだ。過去に1度だけそのような行為に出たことがある。その結果ますます病んでしまった(涙)
その演奏とはずばり、クレンペラーのマタイ受難曲だ。

この挑戦的なコメントには反論を大いに期待したい。
たとえどう言われようと僕は嫌いだ。この演奏が名盤と誉れ高いことは知っているが、あまりに鈍過ぎる。しかも合唱が下手だ。普段は軽く聞きとおす(決して気軽に聞けるという意味ではない!)冒頭の合唱を聞きとおすこともツラい。
以前、こちらも名盤と言われるミサ曲ロ短調も聞いたことがあるが、これはまだいけた。なぜならあまりキリエの部分に魅かれないからだ。魅かれるとすれば、衝撃的な出だしくらいだろう。グローリア以降は重ためのテンポも意外に悪くない。
しかしながら、このマタイは耐えられなかった。全曲聴きとおすなど到底願い下げである。

クレンペラーの名誉のために言っておくが、そのほかの演奏ではいいものもある。ベートーヴェンの英雄やモーツァルトの交響曲などはときどき聴きたくなる。

さて、そろそろ話しを元に戻そう。
改めて聞いたCDとはペーター・レーゼル(ピアノ)、クラウス・ペーター・フロール指揮ベルリン交響楽団のベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番『皇帝』である。

冒頭から適度な重みと力感があって、やっぱり皇帝っていい曲だよねって言いたくなるような雰囲気が漂っている。といって特に派手なことをやるわけでもない。実にオーソドックスな正統的な演奏だ。悪く言ってしまえば、地味という言葉があてはまるのかもしれない。しかし、あえてそれに抗弁しようとはしない。
そういえば、アラウ(ピアノ)コリン・デイヴィス指揮ドレスデン・シュターツカペレの演奏もそうだった。

この曲を変にいじくるとかえってつまらなくなる。普通に演奏すればいい。そんな曲に思えてくる。
皇帝というタイトルも曲の雰囲気を適切に表しているように思える。ただし、当時ナポレオンが皇帝として居座っている以上、ベートーヴェンにとって見れば許し難い話だが・・・。
どちらにしろ、この曲はどこか英雄と共通する部分がある気がする。ベートーヴェンが思う理想的なリーダーの生き様を描いたような気さえしてくる。それほどに人間臭さがでている。とくに第2楽章、どこか我々にメッセージを送っているのではないか。ふと、立ち止まってそこにあるものをじっと見つめてみる、忙しいという言葉にかき消されてしまうようなそんな瞬間がいかに大切なものであるか、それを教えていてくれるような気がする。
過分に自分の主観がはいっている。そのとおりだ。
僕は悩みもなく楽しいときにこの曲を聞いても何も感じない。だが、この曲からは何も僕はなにかに疲れたとき、悩んだときにこの曲を聴くと、またやろう!と思わせてくれる。
そんな特別な曲だからこそ、この曲は主観を持ってしか語れないのだ。

いまはきっとそんなときなんだろうか。このCDはとてもよく聞こえた。ちなみにこのCD、全集3枚組みで3000円というバジェット盤なのだが、ほかの4曲も演奏はすばらしい。ひろくお勧めしたい演奏だ。

そうそう、ついでに皇帝といえば、ギレリス(ピアノ)、マズア指揮ソビエト国立交響楽団(?)の演奏でBrillant Classicsから出ている演奏はまるでなにかに憑かれたような白熱した演奏だ。マズアという指揮者はじつに退屈な演奏ばかりするが、ときに伴奏になるとその退屈さが中和されるようで、あまり気にならない。この演奏も併せてお勧めしよう。

ついでのついでに、ピアノの音色という意味ではフリードリヒ・グルダ(ピアノ)ホルスト・シュタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏がいい。ベーゼンドルファーの音色のよさが良く出ています。

古楽器がいい方はスティーブ・ルービン(フォルテピアノ)クリストファー・ホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団。変に急ぎ足で演奏しないルービンの演奏は魅力的なのだが、廃盤のはずなので中古店で探してみてください。

ではでは。