right time right place

「正しいときに、正しい場所にいる」

うれしいことや、いやなこと。
なんでもとりあえず、必然だと思ってみる。

心の方をなんとかしないとな。

2013-10-16 09:46:04 | 日記

いやあ、台風ですね(でしたね、ですかね)。
別に統計を見たわけじゃないので確かなことかはわかりませんが、
台風が来ると、NHKの視聴率がグンと上がるのではないでしょうか。
台風だけじゃなくて、地震もそうかな。
災害情報と言えば、NHK。


しかし、あの災害情報番組って、ぼくらが見てどれくらい意味のあるものなんでしょうね。
台風の現在地や進路予想は気になるけど、
あの、「どこどこの市町村では何人が避難していて、床上浸水が~」というやつは、
気になって見入ってしまうわりに、そこに住んでいるわけでもないほとんどのぼくらにとって、
必要な情報なのかと言われると、ちょっと考え込んでしまいませんか。



しかし、かく言うぼくも、その手の「各地でたいへんなことになっています」報道を、わりと熱心に見てしまうタイプの視聴者であります。
家や建物が壊されていたり、山肌が崩れていたり、自動車が横転していたり、
そういう映像を、決して見ていて気持ちがいいはずがない映像を、不思議と目を凝らして見入ってしまっている。
これはいったい、どういうことなんだろう。



ぼくはこんな仮説を立ててみました。

ぼくたちの、少なくともぼくの心は、無意識に、
そうした災害のような、「非日常」の刺激を求めている。
ぼくたちの、少なくともぼくの心は、腹の底では、
平穏無事な日常が壊されるようなスリルを、欲している。

災害報道番組が繰り返し流す「各地の被害情報」は、
そうした刺激を求めるぼくたちの、少なくともぼくの心を満たしている。
そういう役割を果たしている。



暴論かもしれません。
でも、少なくともぼくの場合、この仮説がわりとしっくりくるのです。

ぼくは、主観的には平穏無事な日々が続く平和を希求しているつもりでも、
別の部分で、おそらくぼくが目をそらし続けている部分で、
ぼくはその反対の、破壊的な刺激を求めている。
そういう部分が、他ならぬぼくの心の中に、きっと確かに存在している。

これは、できることならそうであってほしくないですが、きっとある種の真実なのだと思います。



いま、永田町の方では日本の憲法を変えようという話がひそひそと進められています。
戦争を禁止している第9条もその対象になっていて、より「戦争がしやすい」憲法にしようという話になっている。
この動きも、「各地の被害状況」を食い入るように見つめてしまうぼくの心理も、深いところで通じている気がします。
それは、退屈を嫌い刺激を求める心の作用に、にんげんの主体性が押し流されている状況と言えるのではないか。



ぼくたちの、少なくともぼくの心は、ほんとうのところでは、平和なんて望んでいないのかもしれません。
それよりも、退屈な平和よりも、刺激の多い「非日常」としての争いや災いに、心はひかれてしまうのかもしれない。
それこそが、倫理観とか正義感なんてものでは太刀打ちできない、
まことに不条理ですがそれだけに堅牢な、「ひとのこころ」というものなのかもしれません。



でも、だからといって、「こころのまま」でいいとはぼくは思いません。
なんともならないかもしれないけど、なんにもしないというわけにもいかない。
ぼくは、ぼくの中にある暴力的な心との付き合い方を、学んでいかなくてはいけません。



戦争反対を訴えるために街に出る前に、やっておくべきことがあるんだろうな。





「状況がじたばたしているときに『ふだん通りのこと』をするには、
 状況といっしょにじたばたするよりもはるかに多くの配慮と節度と感受性が必要だ。」
 ~思想家・内田樹~

最新の画像もっと見る

コメントを投稿