right time right place

「正しいときに、正しい場所にいる」

うれしいことや、いやなこと。
なんでもとりあえず、必然だと思ってみる。

さあ、書いてみよう。

2014-01-08 09:49:41 | 日記


お正月のソワソワした空気も落ち着きを見せ、子どもたちの学校が始まり、通勤電車が日頃の賑わい(あるいは、地獄)を取り戻す頃、
塾の先生をしているぼくにも日常という名の甘美たる日々が回帰します。
朝から晩までの耐久戦的冬期講習は昨日でひとまず終了。
今日からはまた午前中をこうした駄文の執筆等でつぶし、昼過ぎから「さてと」と仕事に出かける、
そんな「半・世捨て人」生活をしばらくの間のんびりと楽しめそうで、うれしい限りです。


ぼくは「日常」ということばがかなり好きで、他にも「平常心」とか「日課」とか、
そういった退屈で地味な概念に比較的厚い信頼を寄せるタイプで、つくづく革命家には向かない性格なのだなと思っています。
20世紀中頃の中南米とかで生まれなくて、ほんとうに良かった。



そうだ、この前の日記があまりにも尻切れとんぼ的に終わっているので、続きを書きますね。
昨日までのぼくが朝五時に起きていったい何をしていたのかという話。


そう、何を隠そう授業の準備をしているのです。
な~んだ、いかにも普通でつまらないですね、すみません。
朝から晩まで授業がある日には、その日の分の授業準備はどうしたって早朝にやるしかないということになります。


しかし、27にもなって、まだ日も昇らない時間にセンター試験の問題を解いているのって、どう考えても可笑しいですよね。
センター試験というのは十代の終盤に訪れる人生で一度から二度くらいの通過儀礼的イベントであって、
ぼくはそれをもうとっくに通り過ぎてしまったわけであります。
なんだか、卒業した高校の部活にしつこく顔を出し続ける迷惑なOBになったような気分がして、
朝から「おれはいったい何をやっているんだろう…」と自己への懐疑心に苛まれることも多々あるわけですが、
「まあ、だれに見られてるわけでもないし」と思い直してひっそりと(早朝のいいところですね)やっています。


でも、よくよく考えてみるとセンター試験ならまだいい方で、ときには中学生の問題や小学生の問題を解いていることもあります。
ここまでくると、リトルリーグの試合に社会人が出場するようなもので、
どことなく背徳的な気配すら漂ってきて、ほんとうに困ってしまいます。


しかも、そのリトルリーグの試合で大活躍できるかというそうとは限らないのがさらに困ったところで、
ここだけの話、ほとんどの問題でぼくは「右手うちわで全問正解」とは行かず、けっこう間違えたりします。
その度にじぶんの低能さに嫌気がさすのですが、そこでも「まあ、だれも見てないから」と開き直ってしまえるのが、早朝のいいところですね。



塾の先生をしていると言うといかにも頭の良い人だと思われがちですが、
実物のぼくを知っている人はお分かりのように、ぼくはいわゆる「頭の切れる人」とは対極を成す人間です。
頭の回転速度は年代物のパソコンのハードディスクみたいに遅いし、
ものの覚えは鶏レベルで、必死に頭に叩き込んだ知識も波打ち際に書いた砂文字みたいにあっけなく消えてなくなってしまいます。
中学校の成績は良いときで「中の上」くらいだったし、高校は勉強に関しては「のんびりそのもの」のところで、
留学して覚えた英語を一芸入試みたいに駆使して運良く大学に受かって今に至るわけで、
そんなぼくがいったいどうして塾の先生なんかやっているんだと聞かれると、ぼくも「う~ん」と考え込んでしまいます。


しかし、大変厚かましいことに、ぼくはこの不完全かつ問題を多く抱えた知性の持ち主であるぼく自身のことを、
この手の仕事に向いた性向の持ち主だと思い込んでいるふしがあります。
ぼくは、たくさん間違えるからこそ、よりよく教えることができるのだと、こう思っているわけなのです。



どうしてそうなるのか、そこにもいろいろと思うところはあるのですが、
書くとまた長くなりそうなので、次の日記に回します。


こうやって、「読み切り」ではなく「連載形式」で日記を書いていくというのも、悪くないかもしれないな。
けれど、「連載」が成立するためには読んでくれている人が毎回の日記を律儀に見てくださっていることが必要なわけで、
その点はやや心配があるのですが、べつにわからないからといって皆さんの成績や給料に影響があるわけでもあるまいし(当たり前だ)、
まあいいや。





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