<諏訪神社下社秋宮の大鳥居>
中山道中六十九宿巡り(73):第9回(13):諏訪大社
(五十三次洛遊会)
2010年9月11日(土)~13日(月)
第2日目:2010年9月12日(土) (つづき)
<諏訪大社参拝>
■下諏訪甲州道中口番屋跡
中山道は綿の湯前の交差点を左折してつながっている.ここで左折しないで,そのまま少し直進して諏訪大社下社秋宮方面へ向かう.
16時01分,下諏訪甲州道中口番屋跡を通過する.石垣の手前に「番屋跡」と刻字した石板が石垣沿いに取り付けてある,ここで右へ直角に曲がる.
■諏訪神社下社秋宮
16時02分,諏訪神社下社秋宮の大鳥居の前に到着する. 境内に入る.さすがに大社だけのことはある.風格のある境内に圧倒される.境内に沢山の客が参拝に訪れている.
資料1には,下社について,以下のような説明文が掲載されている.
***************************
大祭:秋宮で8月1日、遷座祭(お舟祭):2月1日に秋宮から春宮にお遷した御霊代を春宮に戻す。遷座の行列の後に大きな舟に翁媼二体の人形を乗せ数百人の氏子がその舟を曳く。JR中央線下諏訪駅の東北約1km、春宮からも東へほぼ1kmの地点で、旧中仙道と甲州街道の分岐点の要所に鎮座しています。 鳥居を入ってまず目に付く正面の大きな木は根入の杉と呼ばれ樹令は約八百年の御神木です。身長1.70m、青銅製では日本一と言われる狛犬を両脇に従えた神楽殿は三方切妻造りで天保六年(1835)立川和四郎二代目富昌の作です。御社殿は神楽殿の奥で、二重楼門造りの拝殿と左片拝殿及び右片拝殿が横に並びます。これ等の建物は江戸時代中期の絵図面では帝屋(御門戸屋)及び回廊と記されており、現在の建物は安永十年(1781)春に立川和四郎初代 富棟の棟梁で落成しました。拝殿奥の神明造りの建物は宝殿で、新しい方を神殿、古い方を権殿と呼び、寅年と申年毎に左右の遷座祭を行います。当社の宝殿は上社、下社共に平素二殿並んでいます。室町時代の記録では新築後六年間雨風に晒し清めて御遷座をなし、直ちに旧殿を解体新築という形式だったようですが、いつしかこれが逆になり、祭典の直前に旧殿を建直して新殿に御遷座するようになりました。宝殿の奥が御神座とも相殿とも言われ、御神木をお祀りする下社の最も重要な場所です。上社の神体山に対し下社は御神木を御神体として拝し、古代祭祀の形式を今に残しております。日本では明治六年に太陽暦が採用され旧暦による神事行事と新暦による神事行事が入り乱れています。
***************************
資料2によると,写真に写っている大注連縄の重量は約1トンあるという.
境内にある掲示板には,以下のような説明文が書かれている.
***************************
重要文化財指定昭和58年12月26日指定一、諏訪神社下社秋宮幣拝殿この幣詳殿は安永6年(1777)に起工同10年に落成した。工匠は諏訪出身の初代立川和四郎富棟で、彼は当時盛んになった立川流建築を学び、彫刻は中沢五兵衛につき、いくつかの名建築を残した。軒まわりその他に彫刻が多く華麗なのは当時の流行であり、それがすべて素木の生地を生かして清楚である。彫刻に独得のおおらさがあり拝殿内部の竹に鶴などは代表作である。重要文化財指定
一、諏訪大社下社秋宮神楽殿昭和58年12月26日指定
一、諏訪大社下社秋宮神楽殿この神楽殿は二代立川和四郎富昌の作である。
披は技をすべで父にうけ、天敏の才能と異常な努力で立川流の最高をさわめ,幕府から内匠の称号を許されたはずの名匠である乙の神楽殿は天保6年(1835)富54才の作で父の建てた華麗な幣拝澱の前に荘重なものをつくってよく調和させ幣拝殿をひき立たせているところが賞讃される。
昭和60年3月長野県教育委員会下諏訪町教育員会
***************************
■幣拝殿と御柱
幣拝殿を参拝する.沢山の参拝者が訪れている.
荘厳で大きな建物である.その厳かな雰囲気に圧倒される.建物の両側には御柱が安置されている.
<再び中山道へ>
■脇本陣まるや
16時10分頃,諏訪神社下社秋宮を出発,往路を少し戻る.
16時12分,脇本陣まるやの角で左折して中山道に入る.緩やかな下り坂である.道なりに暫くの間.坂道を下り続ける.
■高札場跡
16時16分,広い通りと合流する.その合流点に大きな締め縄のモニュメントが作られている.地図を見ると,この辺りに高札場跡が残っているはずである.暫くの間,高札場跡がどこにあるのか,交差点近くを探し回るが,なかなか見付からない.
その内に,メンバーの一人が,大きなモニュメントの陰にある高札場跡を探し当てる.
<グリーンサンホテル>
■ホテルに到着
16時16分,高札場跡から歩き出す.道幅が広い国道142号線を西へ向かう.JR下諏訪駅近くの交差点で左折.16時27分,駅近くにあるグリーンサンホテルに到着する.
私の部屋は3階の311号室.こぢんまりしたホテルのこぢんまりしたシングルベッドが,今晩の宿である.
■揃ってとんかつ屋「丸一」へ
全員,18時丁度にホテルロビーに集合して,市内のとんかつ屋に出向いて夕食を摂ることになる.
ホテルから先ほど通った道を逆に辿り,三叉路手前の十字路で左折する.そして交差点を横切った右手にあるとんかつ屋に入る.
お付き合いで中ジョッキ1杯のビールを注文して乾杯.つづいてとんかつ定食をオーダーする.
食事はボリューム満点で,とんかつも美味しい.ただ,量が多すぎるので,残ったネーベンを持ち帰りにする.従業員に入れ物を所望すると,大きなビニール製の入れ物を頂戴する.
■再びホテルへ戻る
19時30分頃,夕食を終える.
外へ出ると真っ暗.ブラブラと往路を辿る.途中,近くのコンビニに立ち寄って,夜食と明日の行動食若干を購入する.
19時45分頃,ホテルに戻る.
風呂に入ってから,すぐに就寝.こうして長い1日が終わった.
<ラップタイム>
8:20 観音橋歩き出し
8:29 三十三体観音
9:00 接待茶屋
9:40 広原一里塚
9:48 ドライブインお餅
10:25 和田峠
10:47 水呑場
10:50 石小屋跡
11:46 西餅屋跡
11:58 西餅屋一里塚
12:45 史跡浪人塚
13:05 山の神神社
14:53 木落坂
15:06 注連掛橋
15:43 下馬一里塚
15:46 御作田神社
15:55 本陣跡
15:57 甲州道中中山道合流之地
16:02 諏訪神社下社秋宮
16:16 高札場跡
16:26 グリーンサンホテル着
[歩行記録]
■水平歩行距離 15.7km
■累積登攀高度 594m
■累積下降高度 922m
■所要時間
観音橋 発 8:20
グリーンサンホテル着 16:26
(所要時間) 8時間06分(8.1h)
水平歩行速度 15.7km/8.1h=1.93km/h
[参考文献]
資料1;http://suwataisha.or.jp/simosya/akimiya/index.htm
資料2;『ちゃんと歩ける中山道六十七宿』五街道ウォーク
(つづく)
「中山道六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b2e28f767a7656658c0f1c4bdd2d1a76
「中山道六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b92a5fbbf5d6e6abf3bfa41cfd5e34d5
[編集後記]
2011年1月4日(火)
今日から年中行事の丹沢塔ノ岳詣でを再開した.
正月休みボケしている身体には,1週間ぶりの塔ノ岳は少々きつかったが,登り終えて心身ともにスッキリする.
明日は水彩画を再開.
これで,やっと平凡な毎日に戻れそうである.
中山道中六十九宿巡り(73):第9回(13):諏訪大社
(五十三次洛遊会)
2010年9月11日(土)~13日(月)
第2日目:2010年9月12日(土) (つづき)
<諏訪大社参拝>
■下諏訪甲州道中口番屋跡
中山道は綿の湯前の交差点を左折してつながっている.ここで左折しないで,そのまま少し直進して諏訪大社下社秋宮方面へ向かう.
16時01分,下諏訪甲州道中口番屋跡を通過する.石垣の手前に「番屋跡」と刻字した石板が石垣沿いに取り付けてある,ここで右へ直角に曲がる.
■諏訪神社下社秋宮
16時02分,諏訪神社下社秋宮の大鳥居の前に到着する. 境内に入る.さすがに大社だけのことはある.風格のある境内に圧倒される.境内に沢山の客が参拝に訪れている.
資料1には,下社について,以下のような説明文が掲載されている.
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大祭:秋宮で8月1日、遷座祭(お舟祭):2月1日に秋宮から春宮にお遷した御霊代を春宮に戻す。遷座の行列の後に大きな舟に翁媼二体の人形を乗せ数百人の氏子がその舟を曳く。JR中央線下諏訪駅の東北約1km、春宮からも東へほぼ1kmの地点で、旧中仙道と甲州街道の分岐点の要所に鎮座しています。 鳥居を入ってまず目に付く正面の大きな木は根入の杉と呼ばれ樹令は約八百年の御神木です。身長1.70m、青銅製では日本一と言われる狛犬を両脇に従えた神楽殿は三方切妻造りで天保六年(1835)立川和四郎二代目富昌の作です。御社殿は神楽殿の奥で、二重楼門造りの拝殿と左片拝殿及び右片拝殿が横に並びます。これ等の建物は江戸時代中期の絵図面では帝屋(御門戸屋)及び回廊と記されており、現在の建物は安永十年(1781)春に立川和四郎初代 富棟の棟梁で落成しました。拝殿奥の神明造りの建物は宝殿で、新しい方を神殿、古い方を権殿と呼び、寅年と申年毎に左右の遷座祭を行います。当社の宝殿は上社、下社共に平素二殿並んでいます。室町時代の記録では新築後六年間雨風に晒し清めて御遷座をなし、直ちに旧殿を解体新築という形式だったようですが、いつしかこれが逆になり、祭典の直前に旧殿を建直して新殿に御遷座するようになりました。宝殿の奥が御神座とも相殿とも言われ、御神木をお祀りする下社の最も重要な場所です。上社の神体山に対し下社は御神木を御神体として拝し、古代祭祀の形式を今に残しております。日本では明治六年に太陽暦が採用され旧暦による神事行事と新暦による神事行事が入り乱れています。
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資料2によると,写真に写っている大注連縄の重量は約1トンあるという.
境内にある掲示板には,以下のような説明文が書かれている.
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重要文化財指定昭和58年12月26日指定一、諏訪神社下社秋宮幣拝殿この幣詳殿は安永6年(1777)に起工同10年に落成した。工匠は諏訪出身の初代立川和四郎富棟で、彼は当時盛んになった立川流建築を学び、彫刻は中沢五兵衛につき、いくつかの名建築を残した。軒まわりその他に彫刻が多く華麗なのは当時の流行であり、それがすべて素木の生地を生かして清楚である。彫刻に独得のおおらさがあり拝殿内部の竹に鶴などは代表作である。重要文化財指定
一、諏訪大社下社秋宮神楽殿昭和58年12月26日指定
一、諏訪大社下社秋宮神楽殿この神楽殿は二代立川和四郎富昌の作である。
披は技をすべで父にうけ、天敏の才能と異常な努力で立川流の最高をさわめ,幕府から内匠の称号を許されたはずの名匠である乙の神楽殿は天保6年(1835)富54才の作で父の建てた華麗な幣拝澱の前に荘重なものをつくってよく調和させ幣拝殿をひき立たせているところが賞讃される。
昭和60年3月長野県教育委員会下諏訪町教育員会
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■幣拝殿と御柱
幣拝殿を参拝する.沢山の参拝者が訪れている.
荘厳で大きな建物である.その厳かな雰囲気に圧倒される.建物の両側には御柱が安置されている.
<再び中山道へ>
■脇本陣まるや
16時10分頃,諏訪神社下社秋宮を出発,往路を少し戻る.
16時12分,脇本陣まるやの角で左折して中山道に入る.緩やかな下り坂である.道なりに暫くの間.坂道を下り続ける.
■高札場跡
16時16分,広い通りと合流する.その合流点に大きな締め縄のモニュメントが作られている.地図を見ると,この辺りに高札場跡が残っているはずである.暫くの間,高札場跡がどこにあるのか,交差点近くを探し回るが,なかなか見付からない.
その内に,メンバーの一人が,大きなモニュメントの陰にある高札場跡を探し当てる.
<グリーンサンホテル>
■ホテルに到着
16時16分,高札場跡から歩き出す.道幅が広い国道142号線を西へ向かう.JR下諏訪駅近くの交差点で左折.16時27分,駅近くにあるグリーンサンホテルに到着する.
私の部屋は3階の311号室.こぢんまりしたホテルのこぢんまりしたシングルベッドが,今晩の宿である.
■揃ってとんかつ屋「丸一」へ
全員,18時丁度にホテルロビーに集合して,市内のとんかつ屋に出向いて夕食を摂ることになる.
ホテルから先ほど通った道を逆に辿り,三叉路手前の十字路で左折する.そして交差点を横切った右手にあるとんかつ屋に入る.
お付き合いで中ジョッキ1杯のビールを注文して乾杯.つづいてとんかつ定食をオーダーする.
食事はボリューム満点で,とんかつも美味しい.ただ,量が多すぎるので,残ったネーベンを持ち帰りにする.従業員に入れ物を所望すると,大きなビニール製の入れ物を頂戴する.
■再びホテルへ戻る
19時30分頃,夕食を終える.
外へ出ると真っ暗.ブラブラと往路を辿る.途中,近くのコンビニに立ち寄って,夜食と明日の行動食若干を購入する.
19時45分頃,ホテルに戻る.
風呂に入ってから,すぐに就寝.こうして長い1日が終わった.
<ラップタイム>
8:20 観音橋歩き出し
8:29 三十三体観音
9:00 接待茶屋
9:40 広原一里塚
9:48 ドライブインお餅
10:25 和田峠
10:47 水呑場
10:50 石小屋跡
11:46 西餅屋跡
11:58 西餅屋一里塚
12:45 史跡浪人塚
13:05 山の神神社
14:53 木落坂
15:06 注連掛橋
15:43 下馬一里塚
15:46 御作田神社
15:55 本陣跡
15:57 甲州道中中山道合流之地
16:02 諏訪神社下社秋宮
16:16 高札場跡
16:26 グリーンサンホテル着
[歩行記録]
■水平歩行距離 15.7km
■累積登攀高度 594m
■累積下降高度 922m
■所要時間
観音橋 発 8:20
グリーンサンホテル着 16:26
(所要時間) 8時間06分(8.1h)
水平歩行速度 15.7km/8.1h=1.93km/h
[参考文献]
資料1;http://suwataisha.or.jp/simosya/akimiya/index.htm
資料2;『ちゃんと歩ける中山道六十七宿』五街道ウォーク
(つづく)
「中山道六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b2e28f767a7656658c0f1c4bdd2d1a76
「中山道六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b92a5fbbf5d6e6abf3bfa41cfd5e34d5
[編集後記]
2011年1月4日(火)
今日から年中行事の丹沢塔ノ岳詣でを再開した.
正月休みボケしている身体には,1週間ぶりの塔ノ岳は少々きつかったが,登り終えて心身ともにスッキリする.
明日は水彩画を再開.
これで,やっと平凡な毎日に戻れそうである.