<比衣の一里塚跡にて>
中山道六十九宿巡り(第12回);第3日目(1);御嵩宿から伏見宿へ
(五十三次洛遊会)
2012年4月6日(金)~8日(月)
第2日目;2012年4月8日(土)
<地図>
■御嵩宿・比衣の一里塚
※前回掲載図と同じ
■伏見宿・可児
<可児のホテルから出発点の御嵩へ>
■ルートイン可児の朝食
朝5時頃起床.
どうやら今日も天気は良さそうである.今日も少し肌寒い.
6時50分から,ホテル1階の食堂で朝食を摂る.例によってバイキング形式.ついついいろいろなものを余計に取りすぎる.
<ホテルの食堂で朝食> <ついつい余計に色々なものを取りすぎる>
■ホテルを出発
7時45分,ホテルを出発.新可児駅へ向かう.
8時少し過ぎに,新可児駅に到着する.
<ホテルを出発> <新可児駅に到着>
■御嵩駅へ
新可児駅8時08分発の電車に乗車する.
8時19分,御嵩駅に到着する.
<新可児駅のホーム>
<御嵩から西へ>
■御嵩駅まえでブリーフィング
まずは,歩き出す前にミーティング.
リーダーのIさんから,今日のコースのブリーフィングが行われる.そして.8時25分,私たちは御嵩駅前から歩き出す.
<リーダーのIさんから今日のコースの説明がある>
■纐纈神社と愚渓寺をパス
御嵩駅前の道を100メートルほど北へ進む.交差点を左折して御嵩市街地を西へ向かう.
8時36分,西屋敷という場所にある十字路に突き当たる.地図を確かめると進行方向左手に纐纈神社という難しい漢字の神社がある.浅学の私には,こんな難しい漢字は読めない.民家の向こうにこの神社の森らしい木立が見えるが,先頭は神社の存在を確かめずに,何のためらいもなく十字路を右折してしまう.内心私は少々不満.
さらに,地図を見ると,近くを走る国道21号線を越えたところに愚渓寺という臨済宗の寺がある.現在地より500メートルほど離れたところにあるが,この寺の庭園は京都の竜安寺の石庭の原型になったところのようである(資料2,p.269).私個人では,是非,訪れて見たい.しかし,団体行動では我が儘を言うわけにはいかない.仕方がないな・・・とは言いながら,やっぱり一人歩きの方が気ままで良いなという気がしてくる.
■鬼首塚遺跡
200メートルほど北へ進むと,また国道21号線の十字路に突き当たる.この辺りの地名は「中」といらしい.
国道21号線を横切ってから左折する.交差点からほんの少し西へ行ったところに,鬼首塚遺跡がある.別名天神塚.御嵩町の重文に指定されている.
近くに立っている案内板の記事によると,鎌倉時代の建久,正治の頃(1190~1200年),悪行三昧の男が鬼岩の岩窟に住み着いて乱暴狼藉を極めた.この者は西美濃不破ノ関生まれだったので「関の太郎」とか「鬼の太郎」と呼び恐れられていた.蟹薬師祭礼にこの者が女装をして現れたところを,地頭交告源吾盛康家臣4名が討ち取り,その首を都に運ぼうとしたが,首桶の縄が切れて中から首が転げ落ちた.そこで,この首をこの地に埋めたという伝説がある.
<鬼の首塚>
■正岡子規歌碑
鬼の首塚に隣接して正岡子規の歌碑が立っている.
“草枕むすぶまもなく
うたたねの
ゆめおどろかす野路の夕立”
と書いてあるようだ.
私には詩歌を鑑賞できるだけのデリカシーがないので,そのまま通過する.
<正岡子規の歌碑>
■生け垣沿いの路地に入る
暫くの間,国道21号線をトボトボと西に歩き続ける.道路の両側には,田畑の間に民家が点在している.
8時49分,大きな字で「覚済心霊神」と刻字されている石碑の前を通過する.この石碑の由来などは,手許の資料では不明.
やや大きな交差点を越える.北に位置している大庭台と南に位置する古屋敷という場所を結ぶ道路との交差点である.
8時51分,国道21号線から生け垣沿いに右側の細い道に入る.
<大きな石碑> <右側の細い道に入る>
<顔戸を西へ>
■八幡宮
8時45分,「郷社八幡神社」の案内杭を見付ける.大正9年に建てられた立派な杭である.
地図で確かめると,この辺りの地名は顔戸(ごうど)というらしい.
そのまま通過しようとする先頭を呼び止めて,八幡神社の近くにある顔戸城趾に立ち寄ることにする.この案内杭のところで右折して,八幡神社の参道に入る.
<八幡神社参道入口>
■八幡神社遠望
参道入口から八幡神社まで,300メートルほどの参道が続く.
参道の途中で左折すると,顔戸城趾がある.八幡神社まで僅か200メートルほどの距離を往復するだけだが,草臥れ始めたのか,誰も付いてこない.仕方なく私一人で,大急ぎで八幡神社の鳥居まで往復する.
<八幡神社>
■顔戸城趾
八幡神社の往路を急いで引き返して,一行に追い付く.
顔戸城趾は鬱蒼とした樹木に囲まれている.城趾入口には「私有地につき立入り禁止」という掲示がある.折角,枝道に入ってきたが仕方がない.そのまま,すごすごと往路を引き返す.
資料3(p.49)によると,ここは室町後期の戦国武将斉藤妙春によって築城された平城があったようである.
<顔戸城趾>
■比衣一里塚
9時18分,比衣一里塚跡に到着する.こんもりと小さな築山があるが,これが一里塚跡なのだろうか.江戸日本橋から96里目の一里塚である.京まで後38里である.
<比衣一里塚跡>
■御嵩炭田跡
比衣一里塚跡から,国道21号線を離れて,進行方向右手の古道に入る.この辺りは「里」という所らしい.暫くの間,長閑な田園風景が広がる.
9時30分頃,共和中学校校庭の土手に突き当たる.資料3(p.49)によれば,突き当たりの三叉路付近に御嵩炭田跡があるらしい.三叉路で立ち止まって,炭田跡が何処にあるか確かめていると,たまたま近くの民家から出てきた初老の男性が,私たちに向かって,
「こっちだ,こっちだ,・・」
と手招きする.
地元の方に聞くのが手っ取り早いので,
「どうもスミマセン・・,炭田跡はどっちでしょうか?」
と伺う.男性は,
「炭田跡? そんなの知りません.中山道はこっちですよ」
と言う.
私は内心で”中山道がそっちぐらいなことは,聞かなくても分かっているよ,オレが知りたいのは炭田跡なんだよ”と思うが,
「どうもありがとうとございます」
とお礼を言う.
地図で確かめると,共和中学校の近くに前方後円墳の高倉山古墳があるようだが,少々坂道を登らなければならないので,あえて見に行こうとは提案しない.
<伏見宿に入る>
■伏見宿の概要
私たちは,いよいよ伏見宿に入る.江戸から50次目の宿場である.資料2(p.271)によると,伏見宿の宿内人口は485人.男,230人.女,255人.宿内惣家数82軒,内,本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠29軒の規模だった.
※休憩所の案内板を写したもの
■大柳跡
高倉山古墳の南端をかすめるようにして通過し,国道21号線から右の小径に入る.その入口に大柳跡がある.
資料3(p.49)によると,かつて樹齢100年の大柳があったという.伏見宿の遊女は,この柳に櫛を供えると苦死(クシ)から逃れ,早く親元に帰れるという信仰があり,「お柳さま」とあがめられていたという.
今も,この柳の切り株が残っているというが,どこにあるのか確かめられないまま通過してしまう.
つづいて,名鉄御嵩線陸橋を渡る.
■本陣跡
9時41分,本陣跡に到着する.「本陣之跡」と刻字のある大きな石が置かれている.
周囲は観光地化されている.辺りは一寸した広場になっていて,休憩所も整備されている.ここで小休止.
予め文献で調べたところでは,今私たちがいる交差点を南は100メートルほど行ったところに領界石があるらしい.また,すぐ近くの浄覚寺が本陣跡のようである.
どこが本陣跡なのか,頭の中がゴチャゴチャしてくるが,旅も3日目ともなると草臥れてくる.“まあ,,いいか”で,深く追求しないことにする.
<本陣跡の公園>
■本陣跡休憩所で一休み
成り行きで,何となくここの休憩所で休憩を取る.歩きも3日目ともなると疲労が蓄積しているのだろう.仕方がないことである.
元気な方が,たまたま散策中の人が連れている犬と戯れている.犬が苦手な私には,ちょっとできない芸当である.
<伏見休憩所で一休み>
(つづく)
[参考資料]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料3;五街道ウォーク事務局,発行年不明,『ちゃんと歩ける中山道六十七宿』
資料4;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
[加除修正]
2012/05/07 転換ミス訂正
「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/e5ceee3caf89cb17c2680b1ca16828ff
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a2b22e63d2a34018826d5211aba46f4f
※転換ミスなどは後刻訂正する.
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