中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る中山道六十九宿(第15回);第3日目(3);東海道草津宿

2012年12月24日 05時35分09秒 | 中山道六十九宿

                  <南草津駅前にて>

歩いて巡る中山道六十九宿(第15回);第3日目(3);東海道草津宿
           (五十三次洛遊会)
      2012年11月16日(金)~19日(月)

第3日目;2012年11月18日(日) (つづき)


<東海道草津宿地図>



<草津宿の概要と見所>


■草津宿の概要
 草津宿は江戸から68次の宿場である.
 資料1 (p.180)によれば,草津宿には本陣2軒,脇本陣2軒,旅籠72軒あったらしい.
 草津宿は東海戸との分岐点に位置する大きな宿場であった.
 早津川が天井川のため川端に追分があったが,明治に隧道ができて追分の位置が変わった.
 近くにある草津宿の案内板によると,草津宿は東海道五十三次の宿場の中でも大宿で水陸交通の要所であった.そのため草津宿は関所の役割も担っていた.草津宿でもこの辺り一帯には,問屋場,貫目政所が設置されていた.

※草津の掲示板より引用

■草津宿の見所
 10時20分,街道脇に草津宿の見所を纏めた案内板が立っている.
 “なるほど・・・ここに掲載されているところは外さないようにしなければ・・・”
と思いながらデジカメに収める.


<草津宿を行く>

■書状集箱
 10時20分,最初に眼に付いたのが,書状集箱である.
 案内板の説明によると,この書状集箱(ポスト)は明治4年(1871年)郵便創業当時使用していたものと同じ型のものである.
 この書状集箱は現在でも利用されているという.

<書状集箱>

■草津宿本陣
 10時23分,草津宿本陣に到着する.
 中には入れないが立派な門構えである.
 数年前に,東海道五十三次を歩いたときに,この辺りも歩いているはずなのに,そのときのことを全く思い出せない,実に歯がゆいことである.

<草津宿本陣>

■草津宿の街並み
 引きつづき草津宿の街並みを楽しみながら,ノンビリと歩き続ける.
 勿論,昔のままの家屋はほとんど見当たらないが,それでも昔の雰囲気が何となく多々寄っている素敵な街並みが続く.

<草津の街並み>

■草津街道交流館
 10時32分,草津街道交流館に到着する.
 ここは,中をちょっと覗いただけで通過する.

<草津街道交流館>

■常善寺と正定寺
 交流館の直ぐ近く,道路を挟んで反対側にある常善寺の前を通過する.さらに10時34分,交流館と同じ川にある正定寺を通過する.手許の資料では,両寺の由来は不明.
 
<常善寺>                                                                  <正定寺>

■立木神社
 10時36分,道幅が広い道路(並木通り)と交差する.地図で確かめると左折してこの広い道路を東へ少し行ったところに草津市役所がある.
 並木通りとの交差点を渡って,10時37分,立木神社に到着する.鬱蒼とした樹木の中に長い参道が続く,参道の先に本殿が見えている.
 資料3によると,「立木神社の創建は古く,縁起によると今から約千二百数十年前の称徳天皇(しょうとくてんのう)(第48代)神護景雲元年(じんごけいうんがんねん)(767年)のこと,御祭神である武甕槌命(たけみかづちのみこと)が常陸国(ひたちのくに)(茨城県)の鹿島神宮を白鹿に乗り旅に出られ(古来始めて旅立つ事を鹿島立ちと云うのはこの縁による),諸国を経てこの地に到着されました.そして.手に持たれた柿の鞭を社殿近くに刺されこう言われたそうです.「この木が生え付くならば吾永く大和国(やまとのくに)(奈良県)三笠の山(今の春日大社)に鎮まらん」 すると,その後不思議にも柿の木は生え付き枝葉が茂り出しました.里人は御神徳を畏み,この木を崇め神殿を建て社名を立木神社と称したのが始まりと伝えられています.」

<立木神社>

<南草津駅周辺>

■矢倉橋
 中山道は道幅の広い国道1号線と斜めに交差する.交差点を渡ったところで.10時57分,北川に架かる「やぐらはし(矢倉橋)」を渡る.
 橋の手すりに「東海道」と書いた小さな板が取り付けられている.この板を見て,自分たちが間違いなく東海道を歩いていることが確認できたので,大分気分が楽になる.

<やぐらばし>

矢倉立場跡
 10時47分,矢倉立場跡に到着する.民家の窓に立場の一般的な説明文と立場の様子を描いた浮世絵が取り付けられている.

<矢倉立場跡>

■野路小学校
 10時53分,野路小学校の前を通る.


上北池公園と野路一里塚
 10時57分,上北池公園に到着する.道路が交差する角地にある小さな小さな公園である.
 公園の一角に野路一里塚がある.江戸日本橋から東海道経由で120番目の一里塚である.
 この小さな公園で立ち休憩を取りながら,
 「さて,昼食はどこで摂りましょうか・・・」
という相談になる.
 ここから直ぐ近くにあるJR南草津駅辺りへ行ってみようかという提案がある.私が手許に持っている地図は,少々古い地図らしくて,南草津駅近くには何もなさそうである.私は,
 「どうやら駅前には何もなさそうですね」
とうっかり言ってしまう.するとリーダーが,
 「いえ,駅前には大きな商業施設がありますよ・・・前に資料を送ったでしょう」
と言われてしまう.そういえば,頂戴した資料には,南草津駅近くの飲食店の譲歩があった.私は頭が悪いので,この資料には眼を通したはずなのに,頭の中に残っていない.どうやらすっかりポケてしまったようである.
 
<上北池公園>                                 <野路一里塚>

■南草津駅前へ
 地図と資料によると南草津駅に隣接して,大きな商業施設があるらしいので,そこへ行ってみることにする.
 南草津へ行くまでの道順が不明だが,適当に西の方へ歩いて行けば東海道本線の線路にぶつかるはずである.
 歩き出して直ぐに大きな集合住宅に突き当たる.集合住宅のまで右折し,さらにその先で左折して,11時20分頃,南草津駅前の大規模商業施設FeriE(フェリエ)に到着する.
 フェリエの2階には何軒かの飲食店が営業している.この階で一旦解散して,自由昼食を撮ることになる.
 
<南草津駅に向かう>                          <FeriEに到着>

■昼食は牡蠣フライ
 私は何人かの仲間と一緒に,和食の店に入る.
 いろいろ迷ったが,平素,余り食べない牡蠣フライを注文する.久々の牡蠣フライはとても美味しい.

<牡蠣フライ定食>

■教善寺
 12時丁度に,昼食を終えた私達はフェリエを出発して,元の位置近くまで戻る.旧中仙道と国道1号線の関係が,少々分かりずらくて,先ほどまでの中山道の続きに入るのに迷う.唯一の目印は,先ほど通過した野路小学校の建物が良く見えることである.
 結局,私達は野路6丁目7番地付近で中山道に戻る.
 12時13分,教善寺を通過する.ここは浄土宗の寺のようである.
 資料4によると,「開山は清誉上人,開基は遠藤権兵衛,1653年開創,本尊は阿弥陀如来.20年ほど前に「びわ湖百八霊場」の企画が立てられ,最初に「近江湖北27名刹霊場」が設立し,続いて「近江湖東27名刹霊場」「近江湖南27名刹霊場」が誕生した.2009年に「近江湖西27名刹霊場」が成り,「びわ湖百八霊場」がスタートした.」と紹介されている.
 また,「滋賀県は京都・奈良に次いで仏教関係の文化財が多く,名刹・古刹がひしめいている.教善寺は旧東海道沿いに立地する浄土宗のお寺で,近江湖南27名刹霊場第21番
である」という.

<教善寺>

清宗塚
 12時14分,遠藤家に到着する.遠藤宅の庭に平清宗の塚がある.個人宅の庭先なので恐る恐る拝見する.
 遠藤家の門を入って右手の奥に清宗塚がある.塚にはいろいろな樹木が植えられている.その中に大きな石塔が立っている.
 案内板の説明によると,「文化元年(1185年),壇ノ浦の合戦で平宗盛とその長男清宗は源義経の捕虜となり,鎌倉に護送される.しかし,源頼朝は義経の鎌倉入りを許さず,義経は仕方なく京都に上る.その途中で篠原で宗盛,この地で清宗の首をはねる.時に清宗は17才.その首は京都六条河原で晒される.」
 なお,「清宗の母は兵部権大輔平時宗の娘.後白河上皇の寵愛を受け,3才で元服した」という.そして,「遠藤権兵衛家は代々胴塚として保存供養している」とのことである.

<清宗塚>

■常徳寺
 12時19分,常徳寺入口を通過する.
 資料5によると,この寺は曹洞宗.本尊は釈迦如来.これ以上の詳しいことは分からない.

<常徳寺>

[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;http://www.tatikijinja.net/history/
資料4;http://tempsera.at.webry.info/201103/article_3.html                                          
資料5;http://www.kokokujitanbo.com/kt-ng-5.htm
                                         (つづく)

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