中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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信州冬の旅;小諸市内観光と懐古園周遊(2);早朝の懐古園;天守台と鹿島神社

2018年01月29日 09時30分24秒 | 関東・伊豆箱根・上信越

                      <小諸城天守台>

     信州冬の旅;小諸市内観光と懐古園周遊(2);早朝の懐古園;天守台と鹿島神社
                    (亡姉の三回忌)
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<懐古園案内図>

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(観光案内より引用)



 小諸駅の待合室で,石油ストーブに当たりながら,ボソボソとしたパンで朝食を摂った私は,早速,懐古園そぞろ歩きを楽しむことにする.
 待合室の外へ出る.
 風は吹いていないが,やっぱり寒い.
 ただ,意外なことに残雪は殆ど見当たらない.昨年,今と丁度同じ時期に小諸を訪れたが,そのときは町中に残雪があって大変だったのに…今日は鎌倉辺りよりずっと残雪が少ないようである.
 寺へ行く前に,10時頃,市内にある実家へちょっと立ち寄るつもりである.今,8時15分.約1時間45分の散策時間がある.丁度良い長さの時間である.私は小諸城趾から鹿島神宮辺りを一回りしてから,馬場と動物園を抜けて小諸義塾跡を回ろうと思う.これで,約1時間だろう.残りの45分は,本町,藤村井戸付近を一回りすれば丁度良いなと頭の中で計算する.
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 まずは,駅前の公園を散策する.
 一昔前と比較すると,この辺りは随分と綺麗に整備されている.
 ただ昔は,この辺り,とても賑やかだった.千曲バスの停留所には何時もバス待ちの人で賑わっていた.その隣には土産屋があった.更に遡れば,戦後まもなく,この辺りにあった鹿島神社が,現在の位置に移築されるときに発掘された遺跡がこの辺りから出土していた.とても大きな石を何個か組み合わせたような遺跡だった.
 ”今,あの遺跡は一体どこへ行ってしまったんだろう…”
 あの遺跡をそのまま保存していたら,町の観光にも役立っていただろうに…
 
<駅前の公園;正式名称ど忘れ>
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 駅前の公園から,階段を降りてしなの鉄道のガードを潜る.
 さらにその先の短い坂道を下ると,有名な三の門の前に出る.ここが懐古園の入口である.門には右から「懐古園」とかかれた扁額が飾られている.屋根には残雪か霜か分からないが白いものが少しだけ見えている.
 さっそく門の写真を撮る.
 ”一体,何百枚,同じ写真を撮っているんだ…”
と私の体の奥底に潜んでいるもう1人の私が呆れている.
 ”良いんだよ.気が済むまで,何枚でも撮るさ…”
 そういえば,昨年秋にここを訪れたときには,ここで素晴らしい紅葉を楽しんだな.それにもう何年も前のことになるが,街道歩きの皆様と一緒に,ここの紅葉を楽しんだこともあったな.

<三の門>

 三の門から先へ進む.
 猟人所があるが,まだしまったまま.9時までは無料で園内を散策できる.私は少額ながら小諸市の納税者なので,無料で園内に入れる券を頂戴している.今日もそれを利用するつもりだったが,圏を使わずに入れるとは有難い.
 動物園は9時にならないと開園しないので,まずは馬場の方を回ることにする.
 料金所から右手に続く緩やかな上り坂を歩いて石垣に突き当たる.その石垣に小諸義塾ゆかりの木村熊二のレリーフがある.小諸義塾と木村熊二については,すでに,当ブログでも色々な資料から孫引きをした記事を掲載してるので,今回はグダグダ書くのは上長だからやめよう.
 ただ,私は小学校の頃から,このレリーフがここにあることは知っていた.でも,長いこと
 ”この変なおっさん,だれだろう”
ぐらいにしか思っていなかった.

<木村熊二のレリーフ> 

 木村熊二レリーフが埋め込まれている石垣に沿って右折する.右側の石垣の上が番所跡である.
 序でだから石段を登ってみる.上はちょっとした公園風に整備された広場になっているが何もない.
 広場の先へ行ってみると,小諸市内と浅間山連山が見える.
 あまりユックリとしている時間もないので,すぐに石段を降りて弓道場の方へ向かう.
 途中に大きなケヤキの木が聳えている.
 近くに忠魂碑が立っている.小学生の頃,引率されて良くここへ来たことを覚えている.

<番所跡>
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 大ケヤキの左側には天守台の石垣が聳えている.実に風情のある石垣である.
 右手には藤村記念館が見えている.
 石垣下の残雪を横目に眺めながら先へ進む.
 逃走記念館の前で,掃除をしている年配の男性が私を見つける.
 「オハヨウございます.今日は寒いですね…」
と私に話しかける.
 黙礼をしただけで通り過ぎようとしていた私は,この穏やかな口調で話しかけられて,ハッとする.少しどぎまぎしながら,
 「オ,オハヨウございます.ご苦労様です…」
と私も挨拶する.
 その後も,散策を楽しむ方や開園の準備をされている方,何人かにお会いするが,全員が声を出して,
 「オハヨウございます.今朝は寒いですね」
という時候の挨拶をする.
 私はとても驚くとともに,
 ”そういえば,私も昔は必ず時候の挨拶をしていたな…”
と気がつく.
 都会暮らし(でもないか?)をしているうちに,合う人にいちいち声を出して挨拶するという週間が失せてしまったことに,今頃になって気がつく.

<大ケヤキ,天守台,それに藤村記念館>
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 地獄谷に架かる粋月橋を渡る.
 粋月橋とは実に良い名前だなと私は思う.
 橋を渡ると,そのさきに鹿島神社,寅さん記念館(休館中),小山敬三美術館などがある.特に小山敬三美術館には,是非,訪れたいが,残念ながら開園は9時からである.今回は見送るしかない.
 ”…ま.とにかく粋月橋を渡ろう…”

<粋月橋>

 鹿島神社を詣でる.
 境内には,全く人の気配もなく,静まりかえっている.
 ここでは,ちょっと時間を取って,ゆっくりと「来し方行く末」を瞑想したいなと思う.
 境内を取り囲む垣根に寄進者の名前が刻字されている.そのなかに旧制中学1年生から新制高校(現在の高校)まで同級生だった友人の名前が刻まれている.残念ながらこの名前の主は数年前に旅立ってしまった.
 鹿島神社が,まだ小諸駅前にあった頃,つまり戦争たけなわだった頃,国民学校高学年だった私たちは,定期的にこの神社を訪れて,宮城遙拝をしていた.あれから幾星霜.私は懐古園を訪れる度に,この神社で瞑想する.そしてあの重苦しくて狂気のような時代はもうご免だと改めて思う.
 移築されたとはいえ,今見えている社殿は,あの頃と同じものである(と思いたい).
 昨年末,私は長男家族と一緒に,生まれて初めて鹿島神宮を参拝した.そのときも,頭のどこかで,何時もこの懐古園の鹿島神社を思い浮かべていた.  

<鹿島神社>

 ”おっ…! 余りユックリしていられないな…”
 私は正気に返る.そして往路を引き返す.
 粋月料金所付近で,鹿島神社の鳥居の向こうに浅間山を仰ぎ見る.私たち小諸ゆかりの人間には正に信仰の山である.
 この冬はちょっと雪が少ないように見えるが,奥に聳えるのが前掛山,その手前が牙山(ぎっぱやま)と剣ヶ峰,左の凹智が湯の平,その左が黒斑山である.
 小諸ゆかりの人間には,この山の配置で見上げる浅間山がもっとも美しいと思っている.

<鹿島神社の鳥居越しに浅間山を望む> 
                                (つづく)
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