中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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中山道六十九宿巡り(第11回目);第1日目(1);早朝の福島宿散策

2011年12月02日 09時03分50秒 | 中山道六十九宿

                 <福島関所から福島市街を望む>

    中山道六十九宿巡り(第11回目);早朝の福島宿散策
            (五十三次洛遊会)
 
    2011年11月11日(金)~13日(月)

<福島宿詳細地図>



前日;2011年11月11日(金)

<夜行バスと電車で木曽福島へ>

■JR関東新宿バスターミナル(代々木)

 今回は,初日に,現地,つまりJR木曽福島駅集合である.従って,当日になってから,東京や横浜から出掛けたのでは間に合わない.前日の11月11日中に,集合時間に間に合うところまで移動しておくか,あるいは夜行バスなどで車中泊をして現地に向かうかのどちらかである.
 私は幹事役のO村さん,I川さんと共に,JR関東新宿バスターミナル(代々木)から,23時20分発中津川行夜行バスに乗って,まずは中津川まで移動してから,中央本線(西線)の普通電車に乗って木曽福島駅に向かう積もりである.
 心配性の私は,余り早く出掛けても,待合室で長い時間待つことになるのが分かっているのに,今回も,また,充分に早すぎる20時10分に家を出発する.
 20時と言えば,何時もの私なら,そろそろオネンネの時間である.暗くなる頃には家にいるのが習慣になっている私には,こんな夜に出掛けるのは,何とも収まりの悪いことである.夜の大船など殆ど見たことのない私には,夜の大船が,こんなに明るくて賑やかなのに,とても戸惑う.
 大船から湘南新宿ラインの電車に乗って,21時58分に新宿駅に到着する.ただ,新宿で駅の外に出てしまうと,代々木駅近くにあるバスターミナルまで,丸々1駅分歩かなければならない.私は山手線内回りの電車に乗り換えて,22時05分に代々木駅に到着する.
 代々木駅南口から外へ出る.そして,出口近くにあるコンビニで,明日の朝食と,バスの中で,暇つぶしをするために,若干の嗜好品を購入する.そして,22時30分頃,無事,バスターミナルに到着する.
 まだ,バスの発車時間まで,小1時間もある.沢山の乗客が集まっていて,待合室は超満員である.もちろん,暫くの間,座るイスもない.深夜にこんなに沢山の人が居るとは,私にとって,全く,予想外のことである.
 各方面行きのバスが,10分おきに発車している.その度に、待合室の乗客も入れ替わる.
 そうこうしている内に,藤沢にお住まいのO村さんが,待合室に到着する.

■眠れない夜行バス
 23時10分,漸く中津川行のバスに乗車する.
 車内に入って,正直なところ大いに驚く.客室の窓天井のすべてが分厚い布で覆われている.もちろん外の様子は全く分からない.第一印象は,何だか穴蔵に入ったような感じである.
 乗務員がアナウンスをするが,音量は最小限に絞られていて,アナウンスの内容も必要最小限に限られている.
 徹夜になっては困るので,早く眠りにつきたいと思うが,バスの細かい振動が気になって全く眠れない.途中,どこかのサービスエリアで休憩するが,下車する気にもなれないので,座席に座ったままで過ごす.
 それから後も,居眠りをしているような,していないような,曖昧な状態のまま,ずっと時間が経つのを
待つ.

■中津川駅に到着
 4時58分,漸く終点の中津川駅に到着する.当然のことながら.まだ,真っ暗.幸いなことに,天気もマアマアのようだし,気温は寒くも暑くもない.沢山の乗客がバスから降りたが,殆どの方が,三々五々,どこかへ消えていく.
 とりあえず,JR中津川駅の待合室に入る.私たち3人の他に,数名の客が待合室で列車を待っている.
 私が中津川を訪れるのは生まれて初めて,西も東も分からない.ただ第一印象は,かなり大きな町だなということである.真っ暗な駅前の広場は,どうやら繁華街からは離れているらしくて,何となく寂しい感じがする.
 中津川は名古屋の通勤圏らしく,上りの名古屋方面には,かなり頻繁に電車が出ているようだが,下りの塩尻方面のれしゃの本数はかなり少ない.下りの初電は6時08分発松本行である.まだ,1時間ほどある.何もすることがないので,待合室でボンヤリと時間が経つのを待っている.

<中津川駅待合室>


第1日目;2011年11月12日(土) 晴

■中央本線の電車で木曽福島へ移動
 ようやく時間が経って,中津川6時08分発下り電車に乗車する.短い3両編成の電車である.ただ,車両はデラックスでピカピカ.こんなことを言うと差し障りがあるかもしれないが,普段,私が良く乗る東海道本線や横須賀線の電車より,ずっと綺麗で乗り心地がよい.
 電車は木曽川に沿って,落合川,坂下,田立,南木曾と各駅に停車する.ワンマン電車なので,無人駅では,所定の場所から乗車して整理券を取り,下車駅では一番前の出入口で整理券と料金を運転手に支払うというシステムである.東海道本線や横須賀線の電車では,ついぞ経験したことのないシステムなので,少々,戸惑いを感じる.
 丁度,紅葉が見頃である.沿線の景色が実に美しい.期せずして紅葉が見頃な時期に旅をすることになる.
 7時07分,私たちが乗車した電車は,木曽福島駅に到着する.

<中央本線普通列車の車内>


<秋色豊かな車窓>

<福島宿を散策>

■木曽福島駅から歩き出す

 集合時間の8時30分まで,まだ1時間以上の時間がある.そこで,前回良く見なかった場所を大急ぎで一回りすることにしたい.
 前回,木曽福島を訪れてから,まだ2ヶ月しか経っていないのに,あまり記憶が定かでない.というのも,前回は,帰りの電車に間に合わせるために,かなり駆け足で,あちこちを飛ばして歩いてしまったからである.

<木曽福島駅に打擲>

■行人橋と木曽川親水公園
 駅前から右手の下り坂を道なりに下りていく.2~3分下ると低い位置にある町並みと同じレベルになる.左手から来る1本の道路が合流する.そのまま道なりに進むと,三叉路になる.何となく左折する.
早朝なので誰も歩いていない道を真っ直ぐ進むと,観光文化会館の交差点にでる.その杉崎に木曽川親水公園と行人橋がある.連れの2人はどんどん先に行くが,私は行人橋が少々気になったので,写真だけでも撮っておこうと思う.
 木曽川に川岸にでると,すぐそこに行人橋(歩道橋)が架かっている.欄干には「御嶽登山道」と刻字してある.
 辺り一帯は,散策したらさぞかし心地が良いだろうなと思われる公園になっている.

<行人橋>

■霊界に通じる行人橋
 木曽川親水公園の入口に建っている案内板の説明によると,「行人橋は,福島と三尾・黒沢(現在の三岳),王滝との交通上の重要な橋で,もともとこの位置にあり,戦国時代には既に架橋され古橋と呼ばれていた.架け替えのの記録の最も古いのは,1735年(享保20年)で,周辺から延べ350人の人速を集め,山村代官所の役人が普請奉行となって工事を行った」という.
 また,案内板によると,この橋の対岸の城山には権現滝があって,御嶽信者が身を清めたところである,行人橋は,御嶽街道の起点になっていて,聖域(霊界)への入口でもあった.
 この案内板の隣に,「御嶽教大本庁」とかいた看板がある.ここには大本庁の構成員と思われる企業や個人の名前がビッシリと書かれている.
 私は,昨年,御嶽山に登った.御嶽教の信者というわけではなく,一介の物見高い登山者として・・・あのとき,沢山の信者の方々とお会いした,皆,白装束に身を固めていた.あのときの鮮烈な印象をハッキリと覚えている.

<行人橋の案内板>

■本陣跡
 道なりに進んで,本陣跡に到着する.残念ながら,今は本陣らしい雰囲気は全くない.今は木曽町役場福島支所になっている.
 
<本陣跡>

■数々の史跡
 7時29分,白壁の建物が建ち並ぶ一角に到着する.入口にある案内杭を見ると,近くに高瀬家資料館があるが,まだ時間が早いので開いていない.
 高瀬家は代官山村氏の家臣で,関所番を務めていた.また,島崎藤村の姉,園(その)の嫁ぎ先だったという(資料1,p.204;資料2,p.117).


<街中の案内杭>

■福島関所跡

 7時34分,福島関所跡に到着する.前回(第10回)の3日目にも,私たちは,ここを訪れている.あのときから,まだ2ヶ月しか経っていないのに,記憶があやふやになっている.
 石段を登って,もう一度,福島関所跡を見学する.

<福島関所跡の階段>

■久昌院
 再び往路を引き返す.7時42分,再び,白壁の家が立ち並ぶ場所に戻る.ここは,どうやら高瀬家の屋敷跡のようである(資料1,p.204).
 屋敷跡のすぐ脇の登り坂を150メートルほど登ったところに久昌院がある.同行のお二人は興味がなさそうなので,坂の途中から久昌院を見上た写真を撮っただけで引き返す.
 この寺は高瀬家の菩提寺である(資料1,p.204).


<久昌寺の入口>

■高札場
 往路を引き返す.途中で左折して,中山道上の段へ向かう.
 左折してから,右手に曲がりながら続く坂道を登る.中腹まで登った右手に復元された高札場がある.
 高札場のモミジが見事である.
 
<復元された高札場>

■上の段
 坂道を登り切ると中山道上の段の町並みに入る.ここは1927年(昭和2年)の福島大火から焼けずに残ったところである.
 案内板の説明によると,「この街並みは江戸幕府の命により.防塞施設として作られているという.的の進入を阻むために『鍵の手』に折り曲げたり,急な坂道や道の両側に石垣を作ったり,いわゆる『枡形』を設けており,この地区にはその地形がそのまま残っている」.
 また,「この上の段は,木曾義仲から19代目の木曽義昌の居城『上之段城』があったところ」だという.
 古い家並みが続くが,生活の臭いもあって,好感が持てる街並みである.



<上の段の街並み>

■晴明社
 7時51分,清明社に到着する.
 近くに立っている案内板によると.この神社は,平安時代に活躍した陰陽師安倍晴明(921~1005年)を祀った神社である.

<清明社>


<上の段の案内板>

■福島駅へ戻る
 そろそろ集合時間が近づいた.私たちは上の段をとおりぬけて,今朝,最初に左折した三叉路まで戻る.
 ここから長い登り坂を登って,8時06分に木曽福島駅へ戻る.
 まだ,集合時間まで,25分ほどあるが,もう殆ど全員が揃っている.久々の仲間とのご対面である.今回の参加者も11名と盛況である.
 お天気も上々.
 私たちは,集合時間前の8時24分,元気に木曽福島駅から歩き出す.
 今日の行程は水平距離21.2キロメートル,累積標高上り546メートル,下り753メートル.これから上松宿,須原宿を経由して,JR須原駅まで歩く予定である.

<JR木曽福島駅に集合>

■付記;福島で訪れてみたかったところ
 観光資料「木曽町めぐり旅」を見ると,今回は時間の都合で見学できなかったが,機会があったら,是非,訪れてみたいところがいくつかある.その主な場所を列挙すれば以下の通りである.
  福島城趾
  木曽福島会館
  山村代官屋敷
  木曽福島郷土館
  木曽義仲の墓
  興禅寺
  小丸ヶ丘城趾
  関山公園
 これらの場所が,どんなところかは,一介の旅人である私には,何も分からない.
                       (つづく)
[参考文献]

資料1;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社



「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/834f0135aa6578649691c0f45ff97e9d
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/5d53d1071f7d3c2ce4565fe30773ff09













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